貴方のその痛みと私の痛みは似ているけれど違うもの
私は確かに鬱もやったし、
双極性障害な時もあった。
拒食ももっと激しくて
食べる事は生きる事につながると思った瞬間から喉を何も通らなくなった。
生きているのが嫌で、苦痛だったから
早く大切な人が居る違う世界へ行きたいと願っていた。
そこから、やっぱり私は自分を背負って生きるんだと決めたけど
しばらく心と身体がそれぞれに抗ってバランスが取れなかった。
パニック障害や不安障害などとも連携して
アクティブだと思われているけれど
何か前進しようとする自分に気が付くと
『充実して生きようとしているな』と
針で突かれる様な罪悪感で痛みを伴う感覚が今もある。
子ども達の寝顔を見るたびに
私が海外に行かなかったら・・を想う。
銀行でキャリア組に入り今も仕事をしているんだろうか。
ろくに恋愛も出来なかったから今もフラフラとしているんだろうな。
大恋愛を経験出来なくて
英語も全く出来なくて
海外に家族や友人もいないだろうけど
大切なあの人は事故に遭う事もなく生きてくれているのかな。
そんな事を思うと自分の存在が危うくなる程、
責めてしまいたくなる。
オランダ姓の彼が私と出会った事で
どれだけの事を得たのか
どれだけ幸せなのかと
懇々と繰り返し話してくれたことを
全てひっくり返す事になる。
あぁ、それはあんまりだと
いつもそこで思考を止める。
この20年間、
幾多となく繰り返してきた阿呆みたいな事。
障害者福祉の仕事で、就労移行支援に携わっていると
精神の方と多く関わるのだけれど
時には『あぁ、そのざわざわとした不明だけれど不安で仕方ないと言う気持ちが分かるなぁ』とか
『自分を守るために他人に厳しく言いたくなる時もあるよなぁ』とか
思い出す事がある。
自分も似たような痛みを経験しているけれど
『分かる』とは決して言わない、
その痛みは似て非なる事だと思うから。
私は自分の過去をオープンにしているので
どうしても同じ様な精神の方に依存されやすくなる事を
この2年で学んだ。
だからこそ距離を取るコツも知った。
前は横を一緒に走るイメージだったけれど
今は後ろから明かりを足元に照らす、程度だ。
きっと物足りないと感じる人も居るんだろうなと思うけれど
心の中で呟いている
『ごめんなさい。あなたの痛みを100%共有出来ない』と。
でも100は無理でも
毎日が前より楽しく、
うんと輝けるにはどうしたら良いのか
一緒に考える事は出来る。
100に近づく努力はするよ、と。
息子が食後のテーブルを除菌しながら
『将来、お互いが家事が出来るパートナーが良い』と言う。
塩むすびでさえ姉の作ったものが美味しいと
おねだりして甘えているくせにと思いつつも
可愛くて笑ってしまう。
上手、下手は後からでいい。
大切なのはやるか、やらないかだと思う。
やって貰って当然な事はこの世には1つも無い。
家があって
ご飯があってお風呂に入り、自分の布団で眠る事
それは当然にある事じゃない。
誰かがあなたを想い、色んな形で支えてくれている毎日を
それぞれが生きている。
だから『ありがとう』って言葉にしなくても
気持ちを持つのは大切だなって思う。
人生の半分以上を共にした友人が私に言うのは
『生きててくれてありがとう』って言葉。
人は生きているだけで感謝されるんだって
毎回、正直ほっとする。
私が辛かった時、
一番近くで私を支えてくれた彼女も相当辛かったはずなのだから。
『あなた達がとても好き』といつも言ってくれて
バカ騒ぎも一緒
喧嘩も一緒
沢山の時間を共有したのだから。
私も彼女が生きてくれている事実が嬉しい。
私の痛みは今もあるけれど
それが時々顔を出したとしても私の生活は揺るがない。
仕事もなんとか出来る。
障害か、そうでないかって
社会と言う受け皿の体制が整っていれば何とかなるんじゃないかって
そう思う。
何百人を前にしたプレゼンでも緊張しない私が
電車に乗る時は子ども達が作ってくれたお守りを握りしめて
動悸と吐き気に葛藤しながら
『今なら降りれる、さぁどうする?』って
毎駅ごとに思っている事なんか
私を知らなければ想像もしないと思う。
薬を飲んで、
笑顔で『大丈夫です!』と言える私になるまで
そんなに長くはかかっていないけれど
周りの協力が無ければ今の私も居ないと思う。
だから周りの人が生きてくれている事も
有難い事だと思う。
私は痛みには強い方なのだと言われる。
tattoを入れた時もぐぅぐぅ寝ていたのだけれど
横には筋肉ムキムキ、典型的な外国の男性が
冷や汗たらしながら20分ごとに休憩していた。
『お前、痛くないのか?』と聞かれ
『猫が引っ掻いてるくらいじゃね?』と言って爆睡していた位なので
出来る事ならば心もそれくらいタフでいて欲しいと思う。
まぁ、そんなうまい様には行かないのが生きてるって事なんだろうけど。
痛みは人それぞれだと思う。
頭で分かっていても
本質的なところでは
病名だったりで『一括り』にされる事が多い。
それは病名だけでなく
男性、女性
年齢、育ち、国、宗教、職業、
そんな事で一括りにされてしまう事がある。
それもまた違うのだ。
障害とひと言で言っても
発達障害だとひと言で言っても
1人ひとり、顔が違う様に違う。
そんな傾向にある人が多いと言うだけで
皆が皆そうとは限らない。
精神的な痛みも同じだと思う。
その痛みに似た感覚は知っている。
けれどだからと言って
私はあなたの苦しみを全て分かると言う訳では無い。
それは冷たい様に聞こえるが
正直な事。
私はどんな人とも正直に付き合っていきたい。
#コーチング #レジリエンス#海外留学#バイリンガル#パニック障害#福祉の世界#拒食症#シングルマザー#子育て#世界ひとり旅#ヒッチハイク#保護犬のいる生活