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映画魂🎦85点『ザ・キラー』

Netflixの独占配信の映画、ザ・キラーを批評していく。
宣伝を偶然目にしていたく興味を持った。監督さんが自分の好きな映画ばかり撮っていたのだ。『セブン』、『ファイトクラブ』、『ドラゴン・タトゥーの女』。どれも夢中になって影響された作品ばかりだ。そんな人が静かな殺し屋の映画を創った。これはもう観るしかないのである。


物語の軸は『報復』

主人公である掃除屋は見た目はどこにでもいそうな中年男性。本当に、冴えないおじさん、という風体。凄みなど全くない。だがその道のプロフェッショナルで、同業者達からも一目置かれている。そんな掃除屋おじさんが物語の冒頭で今までに経験のないミスを犯してしまう。その一度のミスで手痛い教育的指導を受ける羽目になる。それに納得出来ず、反抗的行動に出る。その経過で自分のライバル達を屠っていく話だ。

日本でいうと駅の椅子で新聞読んでそうな人

アクション映画にあるまじきローテンション

主軸は危害を加えられたことによる『報復』。ただやられたのは自分ではなく、大切にしている『家族』。その家族の為に本当ならやる必要のない報復に繰り出したのだ。その様子は淡々と業務をこなしていく用務員のようである。手を下す瞬間も躊躇は皆無。激しい戦闘描写もあるが、迸る熱さのようなものは感じない。アクションに限らず、このおじさんは会話もほとんどしない。処理実行する時にも喋るのは相手ばかり。最低限の受け答えのようなものはあるが、ただの応答みたいなもの。アクション、会話ともにローテンションだ。

喋り方がずっと一定

心のぼやきが主題

この主人公は最初から最後までずっと心のぼやきが止まらなかった。ぼやきと言っても文句ではない。いや、やられた事に対しての文句もあるが、それ以外の特に意味のないぼやきがほとんどだ。
それは世間一般によく言われているような戯言だったり、統計学者がまとめたデータだったり、自分の中にある物差しで測った心象だったり。本当に役に立たないような内容ばかり。

だが、おそらく、この心のぼやきがこの映画の本題なのではと思う。前述しように、相手を処理していくシーンではちょっとしたアクションもある。だが観客が注目するのはこのぼやきの部分だと思われる。今流れている映像よりも、おじさんがぼやいている内容に意識がどうしても持っていかれる。監督さんはこれを伝えたいのか? と思うほどだ。
このぼやきがまた何とも言えないぐらいに癖になってくる。テンション低めだが、しかし劇中での行動と共に流れるからか、どこか凄み感じさせる。凄みがあるぼやきとはこれ如何に。

普通の仕事をする人でもいそう

実はもうひとつ理由があった

前述した報復がおじさんの目的だが、その実、もうひとつ目的があった。別に達成すれば何かご褒美が貰えるようなものではない。特に謝礼も出ない、実に個人的な理由だった。だが本人とっては重要だろう。それは一般人の自分なんかにも納得の行くものだ。というより、誰しもが持ち得る感情であろう。これを前提に物語をもう一度振り返ってみると、殺しを生業とする掃除屋おじさんが、優秀なサラリーマンに見えてはこないだろうか。裏稼業で日々、重労働に勤しんでいるおじさん。そう考えると、少し、悲哀の感情が芽生えてくる気がする。

一般人と同じ感性も持ち合わせているのだ

極限まで無駄がない生き方

仕事に専念し、仕事に支障が出るような要素は可能な限り排除する。技術を高め、感情を抑制し、成功率を限界まで上げる。その結果、納得がいく報酬が支払われる。裏稼業だから失敗すれば次はない。報復の物語が始まった原因は仕事の失敗だった。ひとつのミスによる対価は自分の人生という業界だ。無駄を無くし、リスクを出来る限り減らすのは当然だ。
その機能美に特化した工芸品のような生き方にはミニマリストや修行僧のような高潔さを感じる。やっていることは殺人なので高潔も何もないと思うのだが。しかし、殺人の道具であるはずの『刀』。機能美を突き詰めた結果、ひとつの芸術品となった。国宝と言われるようなレベルまで昇華した。人間という生き物も、鍛錬の末、そんな境地に至る者もいる。

生き方そのものを鍛錬する

まとめ

これといったハイライトシーンなどもなく、実に滔々と流れるように物語は進んでいく。主人公の地味おじさんと感覚を共有しながら守るような作品ではと思う。そんなに気合を入れずに、休日に朝起きてお目覚めのコーラゼロでも飲みながら観る作品だろう。お勧めだ。

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