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「おじさん」の生存権

こんにちは。

 日々生活をしていて、女性蔑視的・家父長制を重んじた発言をする「おじさん」によく遭遇するのでびっくりすることが多々あります、ヤサシノ社です。

おじさん、を考えてみる。

 日本語の高齢の男性に対する総称、おじさん。この言葉には結構ネガティブなイメージが付きまとっている印象。

「おじさん」をテーマにしながらも、対照的な二冊が

『持続可能な魂の利用』松田青子/中央公論社

・『ワイルドサイドをほっつき歩け』ブレイディみかこ/筑摩書房

です。

 友人・知人はほとんどがPC(ポリティカル・コレクトネス)をこころがけているし、自分もそう。

 世の中にはまだまだ知らないことがたくさんあるし、もっと知りたい、学びたいと思う。今回もより理解を深めたいという思いからこの二冊の本を手に取りました。


「おじさん」の特徴を、的確にとらえた作品。

『持続可能な魂の利用』松田青子/中央公論社

 無職になった30代の敬子はカナダで一ヶ月を過ごし、日本に帰ってきた。しばらく外国にいた彼女は〈日本の女の子たちが最弱に見えた〉。そしてこうも思う、〈これでは日本の女の子が負けてしまう〉

 この作品が異彩放つのは、「おじさん」に少女が見えなくなる世界が同時に描かれているから。二つのストーリーはアイドル「××」の存在によって交差。「おじさん」の見えない世界の登場人物たちは、「××」の研究を。一方、敬子は「××」が率いるアイドルグループに夢中になる。

笑顔、笑顔、笑顔。日本の男たちが勝手に求め、当たり前に与えられるものと信じきっているもの。控えめな笑顔、満開のひまわりのような笑顔と、高みから形容し、仏頂面の女の子にはそれでは駄目だとにやにやと忠告し、なんとかして彼女たちの口を横に開かそうとするもの。日本の女の子が大人になっても逃れられないもの。その笑顔から解放された××をはじめとする女の子たちの力は、彼女たちの持つ歌やダンスの才能を発揮することだけに使われていた〉p.38


 本作は東京で働く女性たちのリアルな日常と、”おじさん”のいないフィクション性の強い世界が交差しながらストーリーが展開。そして、「××」というアイドルを通して、”おじさん”の生態が見事に描かれている。

以下はp.100に書かれる、「おじさん」の性質の一部だ。

 一つ、「おじさん」に見た目は関係ない。だが、見た目で判別がつくことは確かに多い。特に、目つき。特に、口元。座り方もだらしない。

 (わかる〜。電車の中でよくみかける〜)

 一つ、どれだけ本人が「おじさん」であることを隠そうとしても無駄な努力である。どこかで必ず化けの皮が剥がれる。けれど、「おじさん」であることを隠そうとする「おじさん」は実はそんなにいない。「おじさん」はなぜか自分に自信を持っている。

(どう?自分すごいでしょ?という発言をして、こちらの「すごいですね!」という返事を引き出し、自尊感情を担保しようとする「おじさん」に心当たりがある。本当は自信がないけど自信ありげな態度をとる)

 一つ、「おじさん」に年齢は関係ない。いくら若くたって、もう内側に「おじさん」を搭載している場合もある。上の世代の「おじさん」が順当に死に絶えれば、「おじさん」が絶滅するというわけにはいかない。絶望的な事実。

(自分は90年代生まれですが、就活でであった同世代の人が、「●●さん、かわいいよなぁ〜いいよなぁ〜」と顎をつきあげて上から目線で言っていた)

 一つ、「おじさん」の中には、女性もいる。この社会は、女性にも「おじさん」になるよう推奨している。「おじさん」並の働きをする女性は、「おじさん」から褒め称えられ、評価される〉

(小池百合子氏について書いたnote「すべて『フィクション』だったらよかった。」を参照)

 これらの特徴からもわかるように、〈学校、職場、どこにいっても「おじさん」がいた〉、いるのだ。います。

 「おじさん」へのモヤモヤを見事に描いた今作の読後、爽快さが残る。

 やっぱり人間関係とか、社会的な立場とかあるし。実際には、正面からはっきりと指摘できない。もどかしさを抱えていた自分はすごく助けられた。


「おっさん」の日常を、愛ある視点で描写。

 『ワイルドサイドをほっつき歩け』ブレイディみかこ/筑摩書房

 イギリスに住む中高年が社会やライフステージの変化に伴って、悪戦苦闘する姿をとらえたエッセイ。おばさんももちろん出てくるが、おもに「おっさん」が登場する。

『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』で青竹のようにフレッシュな少年たちについて書きながら、そのまったく同じ時期に、人生の苦汁をたっぷり吸い過ぎてメンマのようになったおっさんたちについて書く作業は、複眼的に英国について考える機会になった。二冊の本は同じコインの両面である。(「あとがき」より)

 著者のブレイディみかこさんは2019年『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』でノンフィクション大賞を受賞。今作も2年続けてノミネートされた。

 目次は以下の通り。

はじめに おっさんだって生きている
第1章 This Is England 2018~2019
1刺青と平和
2木枯らしに抱かれて
3ブライトンの夢――Fairytale of Brighton
4二〇一八年のワーキング・クラス・ヒーロー
5ワン・ステップ・ビヨンド
6現実に噛みつかれながら
7ノー・サレンダー
8ノー・マン、ノー・クライ
9ウーバーとブラックキャブとブレアの亡霊
10いつも人生のブライト・サイドを見よう
11漕げよカヌーを
12燃えよサイモン
13ゼア・ジェネレーション、ベイビー
14Killing Me Softly――俺たちのNHS
15君が僕を知ってる
16ときめきトゥナイト
17Hear Me Roar――この雄叫おたけびを聞け
18悲しくてやりきれない
19ベイビー・メイビー
20「グラン・トリノ」を聴きながら
21PRAISE YOU――長い、長い道をともに
第2章 解説編現代英国の世代、階級、そしてやっぱり酒事情。
Ⅰ英国の世代にはどんなものがあるのか
Ⅱ英国の階級はいまどういうことになっているのか
Ⅲ最後はだいじなだいじな酒の話
あとがき風雲ながれUKを生き延びること


 英国在住の彼女が軽快な筆致で描くエピソードはとてもリアル。それぞれのエピソードには象徴的な曲が登場し、プレイリストを再生しながら楽しめる。(公式ではないようですが、自分はこちらを)

 この本に通底しているのは「はじめに」にあるように〈おっさんだって生きている〉という精神。〈みんなみんな生きているんだ、友達なんだ〉。

 そうか……。と、思うかもですが、まずはブレイディさんのいうおっさんの言い分を読んでみましょう。(試し読みもあります)

〈英国なんかだと、とくに「けしからん」存在と見なされているのは、労働者階級のおっさんたちである。時代遅れで、排外的で、いまではPC(ポリティカル・コレクトネス)に引っかかりまくりの問題発言を平気でし、EUが大嫌いな右翼っぽい愛国者たちということになっている。
 とはいえ、おっさんたちだって一枚岩ではない。労働者階級のおっさんたちもミクロに見て行けばいろいろなタイプがいて、大雑把に一つには括れないことをわたしは知っている。なぜ知っているのかと言えば、周囲にごろごろいるからである。〜中略〜彼らは一介の人間であり、わたしたちと同じヒューマン・ビーイングだ

 正直いって、何気なく挟み込まれるおっさんの発言には「うげ!」と思うことがある。

「おー、ウィノナ・ライダー、かわいかったよなあ。まだ万引きで捕まるまえ」「いやおめぇ、ウィノナはけっこういまもいける」(p.56)

「強欲な女には見えなかったけどな。女は怖いもんだ。」(p.87)

 うわ〜。とおもった、読んでて。ブレイディさんによるツッコミとかは特になし。

 でもそんなこと頭の片隅に置いておけるくらい、英国のおっさんたちは振り回され、踊らされそうになる。でも、自分なりに踊ろうとする。

 例えば、EU移民を嫌っているサイモン。リベラルな甥っ子と口論したかと思えば、別の日にはフランスからきた甥の恋人とともに労働運動を契機に一緒にプラカードを作る。(「燃えよサイモン」)

「おお。労働者の連帯は国境を超える。」(p.110)

「移民も、英国人も、みんな一緒に闘わなきゃ。またそういう時代が戻ってきたんだよ」(p.111)

 よく読めば、サイモンはEU移民ならだれかれ構わず嫌っているわけではないよう。〈組合に入って闘ったむかしの移民は好き〉、〈EU圏内からの移民は「英国内の労働者の待遇や賃金について考えていない」点でムカつく〉(p.108)

 他にもロンドン名物であり難関のブラックキャブ運転手と近年台頭してきたウーバーの関係、やり手の社長である若い妻と引退して家事育児に取り組む初老の夫間で生まれる軋轢などなど……。

 読み終わったあとには〈みんなみんな生きているんだ、友達なんだ〉が身にしみる。まぁ、さすがに友達まではいかないにしても、〈みんなみんな生きているんだ〉。


”おじさん”にも個性があり、生きるんだよ。

 以前に新聞を読んでいたら、

「父が女性蔑視的な発言をするのが許せない」というお悩み投稿に対して、

「お父様は生まれてから今まで価値観が大きく変わるちょうど狭間を生きてきたから、順応するのにとても苦労しているかわいそうな世代なのです」と回答されていた。 

 たしかに、特にこれまで楽しそうに生きていた”おじさん”たちは令和になってより一層バッシングを受けている。権力や富を手に入れてイキイキとしていたおじさんたちはセクハラやパワハラという言葉の登場によって価値観のアップデートを急速に求められることに。

 そんなおじさんたちの何がどうひどいのか、それももちろん大事。だけど、みんな生活がかかっている。本当に考えるべきなのは、もっと別のとこにあるんじゃないか。や、わかんない。わかんないのにこんなに長いノートを書いてしまった。

・”おじさん”はしんどい。

・「おっさん」は生きている。

この二つは別の問題なんだってことかも。その上で、それでも飛躍すると、松田青子さんは”おじさん”を撲滅しているわけではないんだよな。「おっさん」に生存権があると同時に、”おじさん”だって生きてるんだよ、生きるんだよ。

おわり


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