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グリーフケアに触れた

グリーフケアはとても自分に問いかける内容の講義だった。この年齢になると、大切な誰かの死別体験をしている人が多い。私もそうだ。友人や家族が亡くなったころのことを思い出しながら現在の心境などの振り返りをしながら講義を受けた。グリーフは悲嘆と訳されるが、何も人の死だけを対象としているわけではない。誰かと別れたり、あえなくなることも含まれる。悲しみによって、心に何らかの強い衝撃を感じたときが対象となるといえば適当なのだろうか。そうした体験は誰にでもあるものだろう。そうしたことをケアするということはどういうことなのかを問う学問である。

グルーブ討議が多かったこの講義は、学生同士が自己開示をする場面が多かったけど、どこまで開示するのかは各個人の自由ということが前提だった。もちろん教室から外にはもって出ないというカウンセリングの基本も忠実に守られている。全体的に臨床心理士のイメージが強く、よく構成されている授業内容だった。私は、グリーフという言葉を知らないというレベルだったので、スクーリングまでにはテキストは、ほぼ読み終わっていた。

経験者のブログでは”本読み”をさせると書いてあったので、特に読みにくい漢字にはフリガナをつけた。講義では本当に小学生のように当てられて読まされていた。幸い私まで回ってくることはなかったのだけど。講義中は気を抜けない。当日配布された資料の一部を突然”音読”させるというフェイントまで登場。この歳で本読みはやめて頂きたいということは不満だ。

しかしそれ以外は、講義内容は本当に充実している。ノートを取りながら、考えながら、本読みのことを考えながらと、眠くなる暇は一切ない。集中講義なので朝から夕方までそうした状態が続く。そのため、夕方は結構げっそり感が強い。ホテルに帰ると爆睡。でも充実感があった。

人にもよると思うれど、その後のレポートもそんなに厳しいとは感じなかった。テキストをちゃんと読み、参考文献を調べたうえで、自分の考えをちゃんと書けば普通に合格は出来る。ただ、自分の考えが元々少ない私の場合は、文献や書籍を読む量が必要だったのでそれなりに時間がかかったとおもう。でもそれは大学院生としては基本だろうけれど。どの科目も小手先でレポートは書けないとおもう。調べたり、読んだり、それを整理したりする事前準備の時間が本当に必要だ。(つづく)