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「やせたい」に隠された心

自分にはいわゆる拒食・過食の典型的症状はないが、いつも頭の中には食べ物のことがあるし食べるのが怖いと感じることが多い。
「こんなに食べたら太るかもしれない」「これなら食べても太らない」とつい考えてしまう。
小学生まではぽっちゃりしていて、中学生になって部活を熱心にやっていたら体重が減って、痩せるのが嬉しくなった。その後何度か増減を繰り返してはいるが、今は「スタイルいいね」と褒められることに囚われそうになる。スタイルが良くなければ私は周りから認めてもらえないと感じることがある。

また、“オルトレキシア”という症状もある。これは、健康的な食事しか食べられない新型摂食障害らしい。
私の場合、食品添加物を気にして、小麦製品とお菓子を控えている。レトルト食品も食べない。いや、食べられない。自分の体にイヤなものが入るのが怖い。身体に害がある食品の話題を聞くとそれに過剰に納得して自ら制限をかけている。
最近特に自分ルールが厳しくなって、鬱々としてきていたところだった。

本当は、食べたいという気持ちに正直でありたい。我慢はつらい。

摂食障害の人は、「食べたいときに、食べたいものを、食べたいだけ、食べていいよ」と言われて来なかった人が多いのです。あるいは、そういう自由を自ら認めて来なかった人が多い。
つまり、「やりたいときに、やりたいことを、やりたいだけ、やることのできた」人は、摂食障害にはならない。これは生き方の問題です。

摂食障害の症状やその過程を詳しく書いている内容ではなく、どちらかというと摂食障害を持つ人の心の部分をよく見て、何が起こっているのかを分析している。いくらたくさん食べて太ろうが、本人が気にしなければそれでいいのだ。周りの目を気にして「痩せないと」と思うのだから。心の問題は大きい。

自己肯定感が低い人がなりやすいという指摘も頷けた。自分の内面に自信がないからせめて外見だけでも、と思う。それがエスカレートして痩せすぎたりしたらそれは魅力的な姿ではないし、自分の心がもっと苦しくなるのに。

両親の影響が症状に関わっているというのは摂食障害においてよくある事のようだが、単に親の接し方の問題を取り上げるのではなく、その親自身の心や行動心理について言及しているのも初めて見た。
そういえば自分の場合は、「もっと食べなさいよ」軽く言われつつも無理矢理食べさせられたり自分の食嗜好に対して「そうなの」と否定されたりしてこなかった。だから拒食・過食の行き過ぎた症状が出なかったのかもしれない。両親との関係も予防や回復にはやはり重要なようだ。

摂食障害のみんなは、プライドが高く欲張りな人が多いのですが、それは別に悪いことではありません。でも、頭の中がそれだけになってしまうのがよくないのです。欲張りであったら、一つずつそれを手に入れて、確実に満足していくことです。

近頃は「食べたい」と思ったものはなるべくそのタイミングで食べるようにしてみている。量は半分とか少なめだけど、「食べた」という事実を作ることでとりあえずその食べ物のことが頭から離れてくれる。

この本を読んで、少し道が見えた気がする。すぐにはできないから少しずつでも、自分の心に正直に、やりたいことができるようになりたいと思う。


出典:『「やせたい」に隠された心 摂食障害から回復するための13章』
   粕谷なち・草薙和美
   新宿書房

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