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[解決]"ヒーローズ・ジャーニー"を毛嫌いしていたワケ

昔から、違和感を感じていた。

「なぜ、そんなに"ドン底から復活劇"を演じたがるのだろう。。」

映画「スター・ウォーズ」「マトリックス」など、世界的大ヒット映画やドラマ、コミックには必ずと言っていいほど、山あり谷ありのストーリーがある。

それは小説や脚本の書き方の「王道の型」として存在し、「ヒーローズ・ジャーニー」と呼ばれる。

「ヒーローズ・ジャーニー」は「英雄の旅」とも言いかえられ、神話研究の第一人者だったジョセフ・キャンベルが発見した理論で、神話の中に共通して存在する、ひとつのシナリオのこと。

※ヒーローズ・ジャーニーについての詳しい解説はこちらから見られます。


私自身も、ロングプロフィールの執筆や、セールスレターのライティング
などで参考にすることがある。物語(ストーリーテリング)の技術は、読者のハートをつかむのに、一番手っ取り早く、確かな手ごたえを感じやすい。
だけど、、、正直なところ「もう、、見飽きたわ…」というのが本音のところ。


ちなみに、別に「ヒーローズ・ジャーニー」を否定したいわけではない。ストーリーが持つ"共感"の力は計り知れない。

けれど、なんでこうもまぁ…「不幸」⇒「成功」という図式しか、どいつもこいつも作りたがらないのかしら…と。Twitterを開けば「借金」「事業失敗」「シングルマザー」「クラスでビリ」「リストラされた過去」などなど。


どんだけ「借金持ち」多いねーーん!!!(爆)

2年前にTwitterを再開したとき、真っ先に感じた感想はこれ(笑)

そもそもなぜこんなふうに違和感を感じ始めたか、その理由をさかのぼると、それは、、自分のプロフィール作成に1年以上苦戦したことに行き当たった。


起業したての頃、そもそも、コピーライティングを本職で学んだ経験もなければ、相手に何かを"売る"という営業経験もなかった。(元々は、クラウドワークスで半年ほど、下請けのライターをしていた)

ほぼ公的な実績、経験が【ゼロ】のところから、「私は、○○の専門家です。こういう経緯を得て今に至ります」といったことを、コピーライティングの講座の課題で書くことになったのだ。

ただ、経歴をつらつら書くのではない。

いまの仕事をするにあたりどんな事件に遭遇し、どのような感情になり、どのように乗り越えていったか…

当時はそこまで自分のことを深堀できてなかったし、書く技術も不十分。もしかしたら、もっと適切な努力をしたら書けたのかもしれないが、当時の私には難しすぎた。

何より、活動をスタートしたばかりでこれから技術を磨かなければいけない時期の人が、そんなドラマチックな山あり谷ありなストーリーなぞ書けるわけがない。むしろ、今そのストーリーを描き始めたばかりなのに。


書けないだけならまだマシだった。

何度それらしく書いても、添削でこっぴどく怒られ続け、結局のところ、他にもLPやらセールスレターやらカリキュラムは残っていたけど、何も進まずに終わってしまった。

継続を案内されたけど、「行くもんか」と思った。


そんな経緯があってトラウマを感じ、ロングプロフィールを書くこと自体、お客様の仕事であってもずっと避けるようになった。誰が人様の自分語りをじっくり読むのだろう…と、冷めた目で軽蔑すらするようになった。

だが、、多少なりとも実績を積めてきた今は、自分のは完全に後回しだが、プロフィールの代筆の仕事は受けるようになった。

そこから、新たに感じたことがある。

お客様の中には「こりゃ、普通の人生じゃないわぁ…面白い!」と思える人もいたり、いたって真面目に普通に生きてきた方もいる。

もちろん、波乱万丈な話は面白いけれど、それはその人の口から聞いてるからリアリティがあって面白いのであって、淡々としたストーリーはつまらないのか?と聞かれたら、ちっともそんなことはない。

コンテンツそのものに対する想い、制作背景、その時の感情、試行錯誤した形跡。これらは、その人の魅力を伝えるには十分な素材だ。

なぜ、そのようなコンテンツを考えたのか、どんな苦労があったのか、そこに至るまでに、どのように腕を磨いてきたのか?

その過程を素のままに「見える化」していく作業の方が、個人的には面白い。息遣いを一番感じられる。


こうして、これまでなぜ私が「ヒーローズ・ジャーニー」を嫌っているのか、ずっとずっと言語化しようとしてきたのだが、ようやっと、その理由が分かってきた気がする。

目立ちたいがためだけの「不幸アピール」に対する【気持ち悪さ】と、「どこかで見かけたような…」と感じてしまう【既視感】

それが最大の理由なのだと、ハッキリわかった。

さらに言えば、最初から強い人が、さらに強くなるストーリーも、場合によってはありじゃないか?と思う。

例えば、フィギュアスケートの羽生結弦選手は、その代表例。

オリンピックで頂点を目指す裏では、壮絶な苦労をしていると思うけれど、少なくとも私の中では「完璧」を目指し、とことん磨き上げている人物というイメージ。

紆余曲折のドラマチックなストーリーよりも、淡々と磨き上げていくストーリーの方が、興味深いし尊敬の念がわく。

不格好に美化されたストーリーよりも、素のウソ偽りない"成長ストーリー"のほうが好きだ。不幸の部分ばかりを盛らなくたって、十分その人らしさを伝えることはできると思う。無理に「V字回復」のストーリーを描かなければいけないわけではない。


noteやメールに書く前の下書きのネタを、Twitterでよく呟いてます。


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