浮かびあがって来る声・声・声~「子ども百態」(いわさきちひろ画/岩崎書店刊)
とある人から、クリスマスプレゼントとして貰った。丁度、ちひろに凝り初め、様々な本を読み始めていた時分だったから(こりゃいいわい)。ちゃっかりリクエスト、見事(?)我が手にゲットした。
元気のいい子。どちらかといえば、育ちのいい、坊ちゃん・嬢っちゃん達の日常。遊びの時間が散りばめられている。「面白いなぁ、砂遊び」「やってみようかなぁ、鉄棒」声が浮き上がって来るような画集だ。楽しいばかり、幸せばかりの毎日が、声となって浮き上がる。これだけでもリクエストした甲斐があろうというものだ。
ちひろ=水彩絵。
ほんわりとした優しさのある、夢の世界に生きるような子供たち。
「窓際のトットちゃん」を初めとした、黒柳トット徹子さんの本の挿絵。ヒゲタ醤油、子供読書運動等のポスターなどでもお馴染みのちひろは、一般的に水彩のみじみと柔らかさを活かした画家として知られている。
が、デビューして暫くは、水彩のにじみというより、色重ね。色を重ね事によって出る立体感みたいな画風だ。個人的にわたしの好み。水彩画以上に、ぽぉ~っとなる。
描かれている年齢も、殆ど幼児。4~6歳ぐらいだろうか?ちひろ=赤ちゃんを思う人には、意外な作品集ともなり得るが、この作品を描いた当時、ちひろの子供がその年代であった。だから、自然と筆に思いが馳せた。
丸形のポストに一生懸命、郵便物を入れようとしている坊やの作品があるけれど、モデルは息子さんだ。
「「ぼくが入れる」って、きかないの」
編集者に話したりもした。
昭和30年代。
敗戦から十数年しか経っていない頃、この作品のように、充実した遊具にある園、いかにも幸せだらけの子供ばかりだったかには、確かに疑問が残る。住宅事情一つにしても、今とは雲泥の差。現実的でない、リアリズムに欠けるとの声も、ちひろの評にはあった。悩んだが、「仕方がない」。割り切った。本当に描きたいものを無視できなかったのだ。
本来、ちひろは母性が強かった。母性か強く、傷つきやすく、繊細で、複雑な面を抱えている人であった。
偶然にも祖母。とうに他界したわたしの祖母(母方)とちひろは同じ年の生まれだ。戦争を体験している。「原爆の絵」で知られる丸木夫妻。丸木位里・俊夫妻は、ちひろの師であったけど、「二度と繰り返さない為に」地獄絵図を作品にし後世に残す旨に、段々と疲れていった。「子供本来の姿」。幸せでいて欲しい、伸び伸び育っていて欲しい。できるだけ元気で、ニコニコできるような境遇にいて欲しい。そういう姿を作風とするのが自分なんだと思っていたような気がする。
ここらへんについては「ちひろ 愛の絵筆」(滝いく子著/旬報社刊)に譲る。
ちひろが他界した昭和48(1973)年、わたしは小学校に入学した。配布された国語の教科書の挿絵は、殆どちひろだ。(へぇ~っ)即、保存を決定した。以前、毎日新聞を購読していた。広報誌の表紙に使われていたのが、又、ちひろ。(おおっ!)配布される度、表紙だけ切り取り、ファイリング。「子ども百態」について来たおまけ?はたまた偶然。偶々(たまたま)なのか?
兎にも角にも「子ども百態」。ちひろの凄さと共に芯にも繋がって来る画集だ。
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