読み・書き=まず「漢字」

「英会話」時代と共にの、第一であろう。
(英語が出来れば、喋れれば)わたしも思う、考える。来世、外交官の家の子供に生まれ変わる予定であるから(?)、半ば意識は予習である。しかし現世で使う予定が全くないので、今更、どうこうする気もない。
他にも様々な言語があるけど、まず「英語」。英語は世界共通言語なのだ。今、学校で力を注がれているらしい。文科省からお布令が出ているし、学校によっては国語以上に熱心に取組んだりもしているだろう。

それはそれで分かるんだけど、英会話(英語)より、これからの大人。
日本人の大人に求められるのは、ちゃんとした日本語の「読み・書き」である。当用漢字・旧漢字を完璧に習得している大人だ。
最近、新聞やテレビの字幕で「うれしい」「かなしい」等の感情表現。「ことし」「きょねん」「おととし」「~のとき」といった日時を現すのも、平仮名表記。平仮名表記か、カタカナ英語表記であるのを、影ながら憂いている。由々しき事態だ。

元号と同じぐらいに、漢字は日本の文化であって、誇りである。誇りをジャンジャン自ら捨て捲る。代わり、カタカタ英語表記をやたら使う。「シフトした」「~にリンクする」「ジャッジ」だの。とても縦書き。日本語を大切にする報道機関だとは思われない。

パソコンが普及した頃から、一挙に増えた。カタカナ英語すら使えば国際人(?)、お洒落な使い廻しをする人だと思われたいのだろうか?情報発信源からしてこうだから、キラキラネームの子供が増える。どう考えてもおかしいのに、「個性」だ、「新しい時代に相応しく」だのと言って来る。

想像するに30年後。今の10歳(小学四年生)の子供達が、中年に、もとい「不惑」を迎えるお年頃の頃。小さい時から、英会話教室に通い、学校でもその方針で授業を受けた世代。Z世代と呼ばれる彼らは、果たして日本語と同じように英語を操れるか?

無理だろう。添乗員さんなしで、全く自由に海外旅行にゆく人間も、一部しかいなかろうし、いきなり外国人に話し掛けられた時の対応も、今の我々と大差はあるまい。

なぜなら途中である「受験」。幾ら英会話が達者であろうが、受験英語とは別物なのだ。「いい点を取る為の英会話学習」が求められる。共通テストの英語に「会話」。「読み・書き・算盤」ならぬ「会話」が加えられたらしいけど、完全受験の英会話。苦しめさせるだけだ。

英語ばかりに傾きに傾き、日本語の漢字の読み・書きをバンバン忘れる日本人。本気になって、漢字の再教育を行わないといけないかも知れない。

「読み・書き=まず漢字」序でに英語と順番を変えたい。<了>

#未来のためにできること

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