蒲原有明・薄田泣菫を比べてみた
同世代の2人による「をとめごころ」
蒲原有明・薄田泣菫といえば、明治を代表する詩人として有名である。
蒲原有明は北原白秋らにも影響を与えたとされる象徴派詩人。薄田泣菫は象徴派としても活動しながら、島崎藤村らの後継ともいわれた。
なるほど。
それなら彼らの作品を「北原白秋の『邪宗門』や、雑誌『赤い鳥』の童謡と似た部分がある」と感じたことにも納得できる。
さて、同時期に活躍した彼らは「をとめごころ」という題の詩をそれぞれ書いている。もちろんこの詩だけで彼らの作風を決定することはできないが、今回はこの2つを比べて、感性の違いを考察してみようと思う。
蒲原有明の「をとめごころ」
薄田泣菫の「をとめごころ」
呼びかける有明、ひとりごつ泣菫
両者とも “をとめ” の目線で書かれているが、 “をとめ” の感情の行先は異なる。
「さわらないでください、と訴える」文体の蒲原有明に対し、薄田泣菫は「周りの景色に憂えて独りごちる」文体と受け取れる。
恋する有明、どこかの泣菫
「あなたに触れられて、大変なことになっちゃう」という蒲原有明ver.を “恋するをとめ” とするならば、薄田泣菫ver.は「神様は私のこと、大して見ていないでしょうね」と密やかに嘆く “名も知らぬをとめ” というべきか。
たをやめぶり・益荒男ぶり
蒲原有明の詩において分かりやすい特徴は、ひらがなと漢字の使い方である (詩「日神頌歌」などでも同様の技法が見られる)。
単語や文ひとつひとつの硬度を、「たをやめぶり(ひらがな)」と「益荒男ぶり(漢字)」の使い分けで表している。
たとえば各連の1行目は、極力ひらがなで書かれている。これは “をとめ” の言葉であることを象徴していると考えられる。ところどころ可読性を考えて漢字にしている部分もあるが、それ以外で漢字となっているのは「熱き情」「激浪」などの、力強い単語(益荒男ぶり)である。
淑やかな “をとめ” が力強い単語を使うほど、この “をとめごころ” は大変なものである……と、蒲原有明は表現したかったのではないだろうか。
一方の薄田泣菫は、漢字の使用率が高い。ただし “をとめ” という単語は、ひらがなで書かれている。
最終2行の「神は…(中略)…見給はじ」から感じとれたことは、神にも見られぬ密やかさ。つまり裏を返せば、誰も知らない “をとめごころ” は定義すら曖昧だということになる。
もしやと思って調べてみると、薄田泣菫ver.が載っている『白羊宮』は明治39年のもの。この詩が日露戦争の最中に書かれたものである可能性は十分にある。「幸も、希望も、やすらひも、海のあなたに往き消えつ」とは、 “をとめ” の想い人のことなのではないだろうか。
そう勝手に考えてみると一転して、蒲原有明と同じような「使い分け」によって漢字を多用している、とも考察できる。
最後に
両者がどのような意図を以て、これらの作品を書いたかは分からない。
本当に蒲原有明氏が「たをやめ・益荒男」を意識したかどうかも定かではなく、薄田泣菫氏の “をとめ” の境遇も考察に留まる。
しかし、私なりに証拠を揃えたうえで「こう思ったのだろう」と考察した今回、彼らと彼らの詩をさらに好きになった。
もし私の詩が、このような考察をされながら後世に残ったら、詩人冥利に尽きると思う。
《参考および一部引用:蒲原有明『草わかば』より「をとめごころ」https://www.aozora.gr.jp/cards/001055/files/46160_57996.html
薄田泣菫(薄田淳介)『白羊宮』より「をとめごころ」https://www.aozora.gr.jp/cards/000150/files/50558_61357.html 》