広島と核兵器 ~湯崎知事への返答~
2023年8月6日、私は広島市で行われた平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)に出席させていただきました。
原爆の犠牲となられた全ての犠牲者の御霊に、謹んで哀悼の誠を捧げます。
原爆投下
78年前の8月6日午前8時14分、リトルボーイと呼ばれる一発の核兵器により多くの方が亡くなり、広島の町は一瞬にして破壊されました。核兵器は、軍人と民間人の命を区別なく、非人道的に奪うだけでなく、その土地を破壊しつくします。広島では、約15万人もの人々の命が奪われました。
平和記念式典
今年より、平和祈念式典への一般参加が可能となったため、朝より一般参加の列に並び、参加させていただきました。
式典に出席して、広島を忘れず、後世にわたって人々の記憶に残していかなければならないと強く感じさせられました。
私は、広島を決して忘れない。
もっと多くの人が、広島に、平和記念公園に足を運び、78年前の広島で何が起こったのかを知ってほしい。
湯浅知事の挨拶
平和祈念式典では、総理大臣や広島市長など様々な方が登壇されましたが、その中でも異色だったのは、湯崎英彦広島県知事の挨拶です。3週間以上経った今でも、挨拶の一部は記憶に残っています。
湯崎知事のあいさつは、後で書くように全ての点で同意できるものではありませんでした。しかし、私個人として、「納得せずとも理解できる」挨拶でした。湯崎知事の気迫には圧倒されましたし、言葉選びも丁寧で心に来るものがありました。
特に、以下の部分は、印象的であり、私は様々なことを考えさせられました。
私は、核抑止の考え方を支持する高校生の一人として、湯崎知事の問いかけに向き合ってみたいと思います。
まず、核抑止の考え方を支持することは、核廃絶を否定することではありません。私は、核抑止の考え方は重要であると考えていますが、究極的な目標としての核廃絶は多くの人と共有しています。
そして、核戦争が起きた場合、責任を負うべきは核の発射ボタンを押した指導者です。
また、核抑止論においては、核抑止が崩れた後の世界において、どのように全面核戦争を回避するのかという研究は常に行われており、決して「肩をすくめる」だけではありません。特に現在においては、戦争において核兵器が使われてもそれで終わりとは限らないのです。
究極の目標である核廃絶に向かって前進していく中で、核兵器がこの世に存在する以上、核廃絶までに核戦争を起こさせないことが重要です。核抑止は、核廃絶を否定するものではなく、核廃絶に至るまでの平和を形作るための戦略です。
だからこそ、核抑止の考え方は決して否定されるべきではありません。
我々は核廃絶が達成されるその日まで、核抑止と真正面から向き合っていかなくてはなりません。それは、今現在も存在する核兵器と向き合うことです。
広島・長崎が最後であり続けることが重要
究極の目標としての核廃絶は掲げられ続けるべきだと思います。しかし、何よりも核廃絶よりも重要なことは、広島・長崎が最後であり続けることです。核兵器を二度と使わせない、このことは核兵器を減らす、廃絶することよりも重要です。もし、核兵器が二度と使われないのであれば、核兵器で苦しむ人がこれ以上増えないのであれば、極論、核兵器が何万発あろうが構わないと思っています。
核廃絶は、核を使わせないための最も確実性の高い手段です。しかし、最も現実的な手段ではありません。
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