
10年前、センター試験を受けた私から学ぶこと
昨夜。お風呂上がりの私。夫に「今日なんの日だか分かる?」と上目遣いで聞かれる。
困った。全く心当たりがない。
これは、何かしらの記念日を忘れていて修羅場に陥るパターンかもしれない。少女漫画や友達の恋愛話で何度か遭遇したことがあるからシミュレーションは十分。
だけど、記念日とかそういうものをよく覚えているのは私の方だから、もしそうなら忘れていることに自分自身心配になる。
昨日食べたものが思い出せないみたいに。
「い、一月十八日…。」
苦し紛れに、とりあえず今日の日付を言ってみる。特に何も思い出せない。効果はないようだ。
「センター試験の日だよ」
あ、そういう感じか。確かに。言われてみればセンター試験の日である。今は大学入学共通テストと名前を変えている。
重要な二人の記念日を忘れていたことは杞憂に終わった。センター試験であれば、覚えてないのも無理はない。センター試験を受けたのは、もう10年ほど前だから。
「解いてみようよ」
印刷するね、と昨年買ったプリンターをいそいそと出してくる夫。
聞けば、今日会った友人とセンター試験の話題になったらしい。有名国立大学出身の方々の会話は崇高で追いつけない。
昨日は二日間あるセンター試験の一日目。文系の科目の試験だから、国語・英語・社会の日だ。
全部やるのはしんどいので、世界史と英語の冒頭だけ印刷して、二人で解き始める。
自分がセンター試験を受けたのは、センター試験が大学入学共通テストと改訂される1年前である。
センター試験の最後の年。
私も夫も浪人しているため、実はその時のセンター試験は2回目だった。
浪人時代のセンター試験は2回目ということもあり、納得できなかったらもう一年頑張る気力など元々なかった。
けれどセンター試験が改訂し、傾向が変わると予想されたので「失敗はできない」という気持ちを大きくしたのを覚えている。
世界史の問題を見て、すぐに10年前に戻れる。見てくれはあんまり変わっていない。
ただ、問題を読み込んでいくと自分が過去対策していたセンター試験とは、若干出題形式の違いがあることがわかった。
文献や資料の抜粋があり、そこに空欄や下線が引かれ、付随した問題が出題されているのは同じ。
ただ、その近辺だけ読めば知識で解答できた昔と違い、今は読み込まないと解けないようになっている。これは現代文の問題では、と思うような読解力を試す部分もあると感じた。
夫とやいのやいの言いながらセンター試験を解いていると、こういう勉強スタイルも悪くなかったなと反省の念がよぎる。
浪人時代を経て、通った大学は第一志望ではなかった。
それが当時は私のプライドを深く傷つけ、何が足りなかったのかと悶々とした。勉強量だろうか。やり方が悪かったのだろうかと。
今となっては分かる。
浪人時代、自分の落ち度は、仲間との会話の中でより深く、本質的な理解が生まれることを信じられなかったことだと思う。
勉強は一人でやるものだと思っていたから、ほとんど人と教えあったりしてこなかった。自習室で一人黙々とやるのが私の勉強だったが、それは半分正解で半分間違いだった。
赤シートで隠して覚える知識ではなくて、ああでもない、こうでもないとクラスメイトと話せていたら。また別の未来があったのかもしれないと、ちょっとセンチメンタルになる。
第一志望ではなかったけれど、大学生活は楽しかった。今更後悔などない。
けれど、思い返すとこの体験こそが大きな勉強だったと感じる。
今はテストも受験もない世界に生きている私だが、受験の教訓は私の中に生きている。
ペーパーテストで問われることがないような年齢だからこそ、大事な教訓である気もする。