欲張りな犬
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もう幾日、食べ物にありついていないのかさえわからない程、痩せこけて肋骨がくっきりと数える事が出来る。
うだる様な陽射しは、ようやく西に傾き出しているが、全く風がない。
痩せた犬の名前はわからない、名前と言う物は呼ばれる為にある、呼ばれる事のない者には、ついていないのだろう。
何故、この犬がここをトボトボ歩いているのかさえわからないが、何故か目に止まり気になった。
犬は林の中から草むらが広がる場所に出て来た、先程から草むらから飛び出す虫を捕まえては食べている、あれでは走る事さえままならない気がする。
パーン
乾いた銃声が蒸し暑い空気を切り裂いた。
続けてもう一発 パーン という音と共に木々が突然揺れた、ザザザー バキッ と木が折れる音、振り返った痩せた犬の前に大きな鹿が飛び出し、頭を下にして、そのまま地面に突き刺さるかのようにして崩れ落ちた。
痩せた犬は立ちすくみ、血の匂いと妙な匂いに戸惑っているようだったが、素早く辺りを伺い、久しぶりの肉にかぶりついている。
遠くから二匹の犬の声が聞こえて来た。
痩せた犬は一瞬身体を強張らせて声のする方に目を走らせ、急いで肉を引きちぎろうとしているが、見ている方がもどかしい。
痩せた犬はあらん限りの力を振り絞り、くわえた肉を引きちぎり走り出した。
走り出した次の瞬間、林の中から二匹の黒い犬が凄まじい吠え声と共に飛び出して来た。
吠え声が迫る。
身体の大きな黒い犬が痩せた犬を追いかけるが、途中で悔しそうにして戻る事にしたらしい、それでも、痩せた犬の方が気になるのか、足を止めて振り返っている。
痩せた犬は思いのほか足が早く驚いてしまった。
後、数時間で太陽は西の山並みに沈んで行くだろう、空の紫色が濃くなり始めている、痩せた犬は少し安心したようだが、まだ、耳は立ち上がり筋肉が緊張しているのが見てとれる。
痩せた犬は随分遠く迄走り、目の前を助走して飛び越えれる位の川の所迄来た、相当以前に森から倒れた太い木が橋の様に川向うに架かっている、一部の皮は剥がれ落ち、細かいキノコがポコポコ出ている、数種類のコケも生えて、川は緩やかに静かに流れ、森の木々の輪郭が映り込み川の半分は朱が混じった紫色の西の空を映し出している。
痩せた犬は辺りを見廻し川を渡り始めた、足を止め川を覗き込み、木の上で筋肉が硬直して少し飛び上がった、その瞬間、口にくわえていた肉が口から川の中に滑り落ちてしまった。
痩せた犬の恐怖は己をも敵と勘違いしてしまったらしい。