奇妙な落とし物
「千の点描」 <第二話>
五月晴れという言葉があるように、五月は天気の良い日が多いのだが、ヘップサンダルや安価なプラスチック製品を製造する零細の町工場が密集しているこの地域の空は、工場が吐き出す煤煙でいつも曇っているように見えていた。しかしその日だけは、まさに文字通りの五月晴れで、私は校舎とは別棟の学生食堂を出て校庭を横切りながら校舎に向かって歩いていた。
眩しいばかりの陽光によってその老醜を暴かれた高校の校舎は、かつて白亜の殿堂と形容されたことが嘘のように、褐色と灰色が混濁したような色に覆われた鉄筋三階建ての古い建物だった。昼休みを終えた学生たちは、予鈴のチャイムの音を合図に、校庭側に開いたいくつかの入り口から校舎に入る。
校舎の両翼部分には階段がなく、スロープで上階に上がることになっていた。私の教室のすぐ傍にあるスロープは、足腰への負担こそ少ないが、歩く距離が随分長くなるような気がして、私はいつも中央の入り口から入って階段で二階へと上がっていた。私が校舎に入ろうとすると、地面を通して足に伝わるわずかな衝撃とともに、ほとんど音もなく目の前に一個の煉瓦が落ちてきた。危険というほど間近に落ちてきたわけではないが、落下地点の周辺には私一人しかいなくて、明らかに私に対する威嚇として投じられたものだった。
私は見た目も行動も、地味で目立たない学生であったが、唐突に自治会会長選挙に立候補したのだった。人間は誰でも多様な形での自己顕示欲の表出があって、この心の中のマグマの熱のようなものは、噴火する場合もあれば、温泉のように静かに湧き出すこともある。この時私が自分のそうした性向を意識したことはなかったが、後になって考えれば、それもやはり私の自己顕示欲の一つの形だったと思う。私が自治会会長に立候補した時代は、六〇年安保闘争の最中(さなか)の政治的な季節だった。日本中の大学で、日米安全保障条約に反対する安保闘争が繰り広げられていた。
高校の自治会の会長選挙など、今の感覚から言えば瑣末な出来事に過ぎないが、その当時は世界の各国で激しい学生運動が繰り広げられていて、その運動は大学だけではなく高校の領域まで深く入り込んでいた。事実私たちも、まさにその潮流の中で社会変革の先頭に立っているのだと自負していた。現在の感覚から見れば、いかにも空疎な思い込みに過ぎないのだが・当時の私たちの意識の中で政治活動は重いリアリティを持っていた。
そうした社会状況の中で自治会会長に立候補するとはつまり、自らの政治的な立場を明らかにすることを意味していたのだ。しかし無責任なことに私に特別の政治的信条があったわけではない。日々の倦怠と自らの存在感の希薄さに嫌気が差して、私の中に潜在していた自己顕示欲が、私の意志薄弱さをうまく操って、まさに魔が差したとしか言いようがないくらい無目的に高校の自治会会長に立候補したのだった。
私が自治会会長になってから知ったことだが、政治党派的な学生グループにとって私のいた学校の自治会会長は重要なポストだったのだ。いつも党派的な複雑なバランスの中で候補者が選ばれるが、まったくノーマークであった私があまりに唐突に立候補したため、既成の党派的なグループは、虚を突かれた形で強力な対抗候補を出すチャンスを失い、私がすんなりと自治会会長に選ばれたのだった。
当時の自治会会長は、今日のような高校の教育活動の一環となる形式的なものではなくて、戦後GHQの指導の下に作られた学生組合的な性格を持っていた。ヨーロッパでは昔から、学生本人や学生の父兄が授業料を払って先生を雇っているという意識があった。学生は先生に対して対価にふさわしい教育サービスを要求する権利があるという発想があり、それが学校教育の原点にあった。六〇年代では日本でも、一部の地域ではあるがそうした学生組合的な自治会が存在していた。財政的にも学校から独立していて、学校側からの干渉も極めて限られたものであった。今日の学校教育の常識からは考えられないことだが、自治会室の隣には自治会の役員たちが宿泊するための部屋があって、ベッドや調度品が置かれ、バスルームこそなかったが鏡のある洗面所まで備えられていた。私のいた学校は一応受験校として知られていたが、同時に校舎がスラム街に隣接しているという特殊性のためか、他校から一目置かれるほどに暴力的な雰囲気を併せ持っていた。私自身は、スラム地域と肩を寄せ合う学校の存在にかなり愛着を覚えたが、登校、下校の際に周辺地域の人々から投げかけられる敵意を含んだ視線は意識していた。しかしいざ自治会の会長になってみると、スラム街という立地環境に起因する複雑なコミュニティとの摩擦はそれなりに深刻だった。当然それは自治会の活動にとっての大きな課題となっていて、そのために学内の政治的なボルテージも周辺の他校とは比較にならないほど高かった。後になって次第に思い知らされたことではあったが、この学校で自治会会長を務めるのは容易なことではなかった。
これまでの自治会の会長や役員は、学内を取り仕切る既成の政治グループの暗黙のルールによって予め決められていたようであったが、結果的に私がそのルールを破ることになったのだ。目の前に落とされた一つの煉瓦は、そのことに対する威嚇に違いなかった。思わず煉瓦が落とされたと思われる三階の教室の窓を見上げると、そこには学校を緩慢に支配してきた上級生たちの姿があった。
煉瓦が投じられたこと自体は、さしたる物音もなく静かな出来事であった。しかし昼休みの時間でもありそれを目撃した学生も少なくない。しかも予鈴の後でもあり、校庭にはまだ多くの学生が残っていた。煉瓦が投じられた異変は、校庭にいた学生たちの間に波紋のように伝え広がり、学生たちはこの出来事によって巻き起こされる事態の成り行きを無言の内に見守っていた。
普段の私なら、この事態をどう受け止め、いかに対応すべきか狼狽(うろた)えながら、必死で無難な逃げ道を探ろうとしたに違いない。ところがこの時は、なぜか条件反射のようにまったく無意識に、そしてある種の義務のように、目の前に落とされた煉瓦を片手で拾い上げた。そして、その煉瓦を片手に持ち、これもまた無意識に三階に向かってゆっくりと階段を上り始めたのだった。それは、彼らの威嚇に対して無抵抗であることを潔しとしない意識的な行動だったわけではない。おそらく煉瓦が投げ落とされたことによって、成り行きを見守っていた学生たちを含め、それぞれの当事者間に発生した関係性の磁場に導かれての自然な行動だったのだろうと思う。
階段を少しずつ上りながらも、相変わらず私にはまだ明確な意思もなく、この後何が起こるのかというイメージもなかった。ただ私を取り巻きはじめた学生たちの姿に反応して、無意識の片隅で、校庭に残っている学生たちの視線はわずかに意識していた。
階段を一歩一歩と上るにしたがって、無意識に階段を上がり続ける体とは別に、些細な摩擦も避けたいと思う気弱な私個人の日常感覚が少しずつ戻ってきて、漠然とではあるが、自分自身のプライドが傷つかないように、この状況に終止符を打たなければならないという手前勝手な思いが自覚された。結果として、明確な決意もないままに、また彼らと暴力的に対抗する勇気も腕力もないにもかかわらず、無意識に売られた喧嘩を買ってしまったということだった。彼らと対峙するまでのわずかな時間の内に、この困難な事態を解決する答えを見付けなければならなくなったのだ。
しかし、そんな都合のよい答えがすぐに見付かるはずもなく、それでも左右の足だけは少しも止まることなく階段を上り続けていた。適度な距離を保ちながら私を追って階段を上ってくる野次馬の学生たちも、学内の旧支配グループと、差し当たって確たる後ろ盾を持たない新しい自治会会長との間に生まれた意外な事態の進行に緊張していた。やがて私は二階にまで達し、さらに休むことなくさらにそのまま三階へと階段を上り続けた。
それは魂の抜けた肉体が無意識に歩いているに過ぎず、その虚ろな肉体の周りを、本能が持つ動物的な意志と体面にこだわる姑息な日常感覚が肉体から遊離して、眼から出た火花のように頭の周りを飛び回っているかのようだった。固唾(かたず)を飲んで見守っている学生たちの眼には、私の行動は毅然たる意志の表現と映っていたかも知れないが、二階から三階へと上り続ける間にも、私の頭の中には何の決意も困難を切り抜けるアイデアも浮かぶことはなかった。
時間が止まることがないようにやがて私は三階に到達し、階段すぐ横の教室に屯(たむろ)していた上級生たちの前で姿勢を正して立ち止まった。頭脳の働きはほとんど停止し、私は他人事のようにこれから先はどうなるのかとぼんやりこの場の状況を眺めていた。予想もしなかった展開に緊張して顔をこわばらせていた上級生たちを前にした私は、一呼吸置くように一瞬不動の姿勢をとったが、これも全く私の意志とは無関係だった。そしてこれこそ私自身も想像すらできないことだったが、私は厳粛な面持ちで手に持った煉瓦をぐいと上級生たちの目の前に突き出して、「先輩、これ落としましたよ!」と短く言い放ったのだ。
これは、機転とか才覚といった作為的なものではなく、鷹から逃れるために、死んだ振りをする鳩の本能に近いものだった。緊急の危機を回避するため、膝蓋腱反射のように、人間の脳には思考回路を経由しないで、条件反射的に都合のよい言葉を発する機能があることを、私はこの時初めて知った。
結果的に考えれば、両者にとってこの回答が唯一の選択肢であったのかも知れない。とっさに私の口から出た無意味な言葉が、この行き場のない緊張にあっさりと終止符を打った。上級生たちは私の予想外の行動に対して、互いに顔を見合わせながら肩を揺すって豪快に笑い、私を傑物だとはやし立てた。この出来事は一種の豪傑談として学内に知れ渡り、やがて学内を緩慢に支配していた上級生たちは、私の存在を喜んで受け入れるというこれまた曖昧な結末を選んだのだ。
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