「プライドは捨ててもいいが、人間の尊厳は捨ててはならない」複雑な関係について
私がインナーチャイルドワークをしていたら、10代の頃に周囲の大人やクラスメートから蔑ろな扱いを受けたことで、激しく憤りを感じていたビジョンが見えた。
私はそんな自分を、イメージの中で傍観しつつ
「私は何を守りたいのだろう。プライドが傷つけられたことが許せないのだろうか?何故、私はあんなにも己のプライドに固執してるんだろう?プライドなんて捨ててしまえば楽になるのに」 と思った。
10代の私が守りたかったものとは何か?
わからない・・・
わからない・・・・・
すると突然インスピレーションが降りてきた!
「プライドは捨ててもいいが、人間の尊厳は捨ててはならない」
ああ、そうか。
10代の私は、人としての尊厳を傷つけられたのが、許せなかったのだ。
それほどプライドが高い人間ではなかったから、
「この激しい怒りは何のため?」と理解できなかったが、
プライドではなく、尊厳について怒っていたのか。
「尊厳」とは何なのか?
人権について語られる時に「尊厳」というワードをよく見かける。
しかし、意味や定義が今ひとつはっきりしない。
「尊厳」について調べると、「カント」の名前を最初に目にする。
「尊厳」という言葉は、福祉や法と関係が深い。
『福祉における人間の 尊厳』
https://www.jstage.jst.go.jp/article/houseiken/18/0/18_KJ00008076502/_pdf
こちらの論文でも、「尊厳」の定義・意味について、なかなか苦戦されている。
「尊厳」とは、コレだ!!!
と、単純明快に定義されるものではないことはわかった。
でも人の誇り(プライド、自尊心)を傷つけるのは、一種の尊厳を踏みにじる行為だ。
プライドより深いところに、人間の尊厳という、人類の普遍的なテーマが横たわっているのだな、ということはわかった。
きっと、それ以上のことはわからないと思うので、考えるのをやめた。