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詩/誕生

 僕はもともと、長らく、無だった。というより、僕は意識が始まる瞬間を記憶している。その瞬間(有が始まる不連続点)の経験を記憶しているために意識が始まる前のことを無の体験だと錯覚しているのかも知れない。
 僕はその瞬間、(視力ではなく)視覚を経験した。真っ暗だった。真っ暗で何も見えないことを視覚した。と同時に、聴覚も経験した。ガチャガチャと金属製の器具類が接触し合う音と、数人の話し声が聞こえた。
 これが僕の最初の記憶である。恐らく生命体としての意識が何処からかこの肉体(脳)に注入されて、人格の素(もと)が出来上がった時点か、あるいは分娩された時点、いわゆる誕生の記憶だと思っている。この記憶に気付いたのはいつからであったか忘れたが、もうずっと前のことである。この記憶は単なる錯覚かもしれないとも思っているが、本当の記憶かそれとも錯覚かということはさして重要ではない。現在の僕の脳裏に残る最初の体験であることには違いない。
 その後の僕の記憶はぷっつりと途切れ、生活の映像をともなった記憶としては断片的でおぼろげな幼少時代の記憶が始まる。


詩集「有人向西」(2005年)より
初公開作品
©︎2024九竜なな也

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