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やさしさは要らない/心を捨てて競争社会で生き抜く技術

「本当にいいのですね」
「……はい」

 医者の最終確認の言葉に俺は同意した。
 
 そこから人生が一変した。
 ビジネスもうまくいき、人間関係も良好になった。
 
 優しい人が一番なんて言われることもあるが、あれは嘘だ。
 俺がそうだった。
 子供のころからいわゆる感受性が強かった。
 思いやり深い。優しい。
 しかしそれは裏を返せば繊細で、なんでも気にしてしまう。

 それでも学生時代くらいまでは少しオドオドしている性格ということでおさまっていたが、社会人生活ではうまくいかなくなった。

 我を出さなければいけない。
 強引に行かなければいけない。

 そんな場面の連続で、俺は疲弊していった。

 そんな時、このクリニックを知った。
 そこでオススメされたのが、『共感性を削ぐ治療』だった。
 まだ開始されたばかりの治療とのことだったが、磁性治療器を使い、脳に刺激を与え、他者に自分を投影する脳機能を弱める、ということらしい。

 サイコパスなどの共感性に欠いた特性の脳を調べ、一部の働きが欠損していることは研究で明らかになっていた。
 それをHPSなど感受性の高い人に逆に応用することで逆に生きやすくなるのではないか? という発想らしい。

 毎日につかれていた俺は、了承した。
 藁にもすがる思い、というよりも自暴自棄に近かったかもしれない。

 しかし、それで一転した。
 快適に過ごせる。
 いままで他者に配慮し、他人に思いやっていた気苦労を感じることがなくなった。
 仕事もうまくいった。
 本当に顧客が望んでいるか? なんて気にせずに売り込めるようになった。
 そして人間関係までもよくなった。
 物おじせずはっきり意見をする自分に好感が持たれた。
 こちらも本当に思っているかどうかは別に、相手がしゃべってほしいことを罪悪感なくしゃべることで、さらに好かれた。

 すべてが好循環だった。
 だから、

「本当にいいのですか?」
「ああ。頼む」
「やり過ぎは毒になるかもしれませんが……」
「カネならいくらでも払う」
「……わかりました」

 俺はさらに治療を受けた。
 共感性は弱くなったが、まだそれでも人を配慮する気持ちが残っていた。
 それが煩わしく感じた俺は、より強い効果を求めた。
 もうこんな気持ちは不要なんだ。
 
 もう怖いものはない。
 俺は何でもできる。
 いままで他人に配慮していた分、思う存分、ワガママに生きてやる……!

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「あの患者さん、亡くなったみたいです」
「ああ、やっぱりか」

 医師は落胆というよりも呆れたような声でそう答えた。
 理由は聞かなくてもわかる。
 詳細な原因はわからないが、何故そうなったかはわかる。

「やりすぎるとさ」

 共感性がゼロになるということは、他者に対して何も思わなくなる。
 しかし、それは自分の身体に対しても。
 心と体は別。
 別のモノは、どうでもいい。

「思いやれなくなるんだよね、自分も」


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