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ホウ・シャオシェンの自伝的映画『童年往事 時の流れ』~大家族の懐かしき日々を美しい映像で~

画像(C) Central Motion Picture Corp.

シンプルで美しい映画である。『風櫃(フンクイ)の少年』には、まだ荒削りな躍動感みたいなものがあったが、この『童年往事』の映像のワンショットワンショットのすべてが、光と影が計算され尽くしているし、構図もすべて決まっている。光と影(闇)のバランスがとにかく美しいのだ。この映画は、原題の「A Time to Live and a Time to Die」とあるように、生きる時と死ぬ時、生と死が描かれている。それはまさに光と闇であり、お父さんが停電の最中に闇の中で椅子に座りながら亡くなるシーンが象徴的だったように、少年アハなどの子どもたちの生きる姿と、父、母、そして祖母の死ぬ姿が、日常の出来事の一コマ一コマを通して丁寧に描かれるのだ。撮影監督は、『風櫃(フンクイ)の少年』のチェン・クンホウからリー・ピンビンに代わっており、リー・ピンビンとはその後も、ホウ・シャオシェンの傑作『恋恋風塵』でも一緒に仕事をしている。調べてみると撮影監督リー・ピンビンは是枝裕和の『空気人形』などの仕事もしている。きっと是枝監督が、ホウ・シャオシェンの映画を観て気に入って使ったのだろう。

ビー玉とお金を盗んで木の下に埋めたのに無くなって少年が怒られる川べりの大きな木のある道。この道は祖母が迷子になって人力車で戻って来る場面など何度も出てくる。また障子や畳のある日本的な家屋の室内、竹製の椅子や机、縁側や窓。悪ガキたちのケンカが起きる繁華街の路地。街の広場や学校の教室や自転車置き場など、どのシーンも美しく見事な映像だ。雨や風、木々が風に揺れる緑など自然の描かれ方がまた効果的。広場で騎馬隊の馬たちが疾風のように駆け抜けるシーン。祖母とアハ少年が枇杷をとる場面などの祖母との思い出。「アハ」と可愛がっている孫の名前を呼びながら街を徘徊する老婆の姿。老婆は大陸へと帰りたがっていた。父もまた台湾に移住してきたのは一時的なもので、いずれは大陸に戻ろうと、家具なども安い竹製のものしか買わなかった。台湾と中国本土との内戦の様子も新聞やラジオで流れてくる。台湾に移住してきたものの、大陸への様々な思い。しかし、父は一家の大黒柱的な存在ではなく、身体が弱く、血を吐いて苦しんでいた姿が描かれる。そして家を切り盛りしていた母もまた癌を患い嘔吐して死んでいく。母が長女に昔の恋を語り、幼い頃に亡くした子供のことなどの人生を、窓外で雨が降るなかで語る場面も印象的だ。さらに一人残った認知症の祖母もまた、数日放置された状態で亡くなっていた残酷な姿で映画は終わる。アハ少年はあんなに可愛がってもらっていたのに、身体が壊疽するまで見捨てられた状態で死んでいった祖母の最期。この映画がホウ・シャオシェンの自伝的な映画だとするのなら、そんな父や母の死んでいった姿、そして何よりも祖母の死への悔恨もあったのではないだろうか。

近隣の少年たちとケンカに明け暮れた日々、日本刀を振り回し、仲間とつるんで塀を乗り越え走り回った少年時代。あるいは自転車で少女の後を追いかけたり、カンニングや夢精の思い出、恋と受験の失敗。そして父や母、祖母など家族との日常が淡々と描かれていく。ホウ・シャオシェンの映画では、記念撮影をする場面が多いような気がするが、この映画でも家族が庭に並んで撮影をする場面がある。大きな物語や劇的な事件が起きないので、そこが少し眠くなるところもあるのだが、もう戻ってこないあの頃の大家族のあたりまえだった日々への愛おしさが伝わってくる映画だ。


1985年製作/138分/台湾
原題または英題:童年往事 A Time to Live and a Time to Die

監督:ホウ・シャオシェン
製作:シュ・クオリャン
製作総指揮:リン・トンフェイ
脚本:チュー・ティエンウェン、ホウ・シャオシェン
撮影:リー・ピンビン
キャスト:シン・シューフェン、ティエン・ファン、ユー・アンシュン、メイ・ファン、チェン・シュウファン

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