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『ブレインウォッシュ セックス-カメラ-パワー』ニナ・メンケス~男性の性的眼差しの告発ドキュメンタリー~

画像(C)BRAINWASHEDMOVIE LLC

ニナ・メンケスという女性監督を初めて知った。それもそのはず。これまで日本で公開されてこなかった映画監督だ。1963年生まれのアメリカの映画監督。「ニナ・メンケス特集」ということで、彼女の作品が2024年3本公開された。女性監督の未公開作品がこのところ日本では続けて上映されている。シャンタル・アケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン、ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』(75年)、未見だがバーバラ・ローデンの『WANDA ワンダ』(70年)、アニエス・ヴァルダの『冬の旅』(85年)、ケリー・ライカートもその女性監督の再評価の流れなんだろう。

そしてこの作品は、「映画がいかに男性的な目線で描かれてきたか」を告発する彼女の講義をベースにしたドキュメンタリーである。女性映画監督からのとてもストレートな告発である。古今東西、名作と呼ばれる作品も含めた大量の映画が引用され、映画の中で男性が眼差しの<主体>であり、女性の身体は男性の視線にさらされる<客体>であることを徹底的に提示される。映画黎明期には女性監督も活躍していたが、ハリウッドが映画産業として興隆していくとともに女性は監督の地位を奪われ、スタイリストやメイクなど周辺のスタッフにしかなれず、映画監督や撮影監督は男性が独占してきた。当然、描かれる世界は男性目線の映画となり、女性は身体などの局部を視線にさらされ、見られる存在になった。その男女の関係が映像の視覚言語として定着した。フリッツ・ラングの『メトロポリス』から、ヒッチコック、ゴダール、スコセッシ、キューブリック、コッポラ、オーソン・ウェルズの作品に至るまで、ありとあらゆる映画が男性目線で描かれていることを実際の映像を示してニナ・メンケスは指摘する。さらに性的同意を拒んでいた女性たちが、無理やりセックスをさせられることによって快楽を得ているように描かれる映画(『郵便配達は二度ベルを鳴らす』や『バッファロー’66』を引用)が多いことが、性的虐待や暴行につながるのだ、と。そんな男女の関係が、女性の雇用差別までをも助長してきたと問題視する。「映像が搾取的になれば、文化も搾取的になる」し、それが「劇映画の力」なのだとフェミニストの女性評論家も言う。女性監督であるソフィア・コッポラさえもが、『ロスト・イン・トランスレーション』(03年)で男性目線で女性のヒップを描いているし、キャスリン・ビグロー監督の『ハート・ロッカー』(08年)もまた「男の眼差し」に縛られていると言うのだ。監督の目線、撮影監督の目線、さらに照明など女性の描かれ方は平面的であり、官能的な美しさを求められ、カメラのパンなどで身体の局部が捉えられる一方、男性は陰影のある照明が当てられ、立体的な人物像として描かれることが多い。男性の裸体を描くにしても、アクション全体だったり、動きの中で描かれており、身体の一部分をことさら強調されることはない。

一方でガス・ヴァン・サント監督作品などで、男性と女性が主体と客体の別なく平等に撮られている場面や、セリーヌ・シアマの『燃ゆる女の肖像』などの女性が女性を見つめ、見つめ返す関係も描かれるようになった。また中年の女性が主人公の『ノマドランド』(20年)のクロエ・ジャオのような監督も出てきたと、ニナ・メンケスは新しい映画の流れを語る。

男性社会が映画界を牛耳っていた以上、男性目線で数々の映画がつくられてきたことは事実であるし、観客もまたそれを当たり前のように享受してきたのも事実である。それは社会そのものが男性中心に回ってきたことの反映であるのは間違いない。それがやっと#MeToo運動の影響もあり、少しずつ女性の側からの映画も増えてきた。女性監督たちがもっと増えていけば、女性目線の映画ももっと作られていくはずだし、映画の視覚言語が単一的ではなく、多様性に満ちていること、それが文化の豊かさだということに異を唱える人はいないだろう。


2022年製作/107分/アメリカ
原題:Brainwashed: Sex-Camera-Power
配給:コピアポア・フィルム
劇場公開日:2024年5月10日

監督:ニナ・メンケス
製作:ニナ・メンケス
製作総指揮:ティム・ディズニー、スーザン・ディズニー・ロード、アビゲイル・E・ディズニー
撮影:シャナ・ハガン
編集:セシリー・レッチ
音楽:シャロン・ファーバー
キャスト: リアノン・アーロンズ、 ロザンナ・アークエット、キャサリン・ハード

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