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アクション活劇の名作『ダーティハリー』ドン・シーゲル~爽快感よりもやり場のない怒り~

久しぶりに見た。あらためて見ると、こんなに暗い映画だったかと驚く。爽快感が全くない。クリント・イーストウッドの当たり役であり、彼の代表作である。ある意味この映画のイーストウッドのイメージが、後々のイーストウッド映画を作っていったといってもいいだろう。法律や宗教では裁ききれない理不尽な暴力への強烈な怒りの感情。その感情に基づき私的制裁とも言える暴力で相手をとことん追い詰め、倒す。しかし、その卑劣な敵を倒した後には、爽快さはなく、ただただどうにもならないこの社会がある。この映画では、最後、キャラハン刑事は、バッジを捨てる。刑事であることを辞めないと、この社会の理不尽な暴力は止められないからだ。この映画では現金の受け渡し場所に、公園の丘の上の巨大な十字架が出てくるが、宗教でもどうにもならないことも示唆されている。「ジーザス・セイブス」のネオンも銃で打ち砕かれる。

殉職した刑事たちの慰霊碑のようなものから映画は始まる。そして刑事のバッジが映し出され、殺人犯の銃口の丸とオーバーラップさせる。それは狙いをつけるライフルのスコープの丸へと変化していく。この刑事のバッジは、最後にキャラハン刑事が捨て去るバッジと重ねられている。そして最初の殺人事件のプールと最後の犯人が落ちる川も<水>で繋がっている。さらに上下関係の視点がアクションのベースになっている。屋上からライフルで狙う犯人、その犯人をヘリコプターの上から捜す警察。キャラハン刑事も階段を昇ったり降りたり、飛び降り自殺をしようとする男を助けたり、ビルの上から双眼鏡で覗いたり、橋の上からバスにダイブしたり・・・。とにかく上下の運動を効果的に使っている。

相棒のチコ(レニ・サントーニ)が負傷して病院を見舞ったときに、その彼女が金髪で緑の服を着ていたので、私は思わずアルフレッド・ヒッチコックの『めまい』のキム・ノヴァクを思い出してしまった。イーストウッドと二人で階段を降りながら、キャラハン刑事は自ら妻が死んだことを語る。あの映画も、落下のイメージ、上下運動を効果的に使った映画だった。

犯人に金を引き渡そうとする場面で、公衆電話から別の公衆電話へと現金の入った黄色い鞄を持ってキャラハン刑事が夜の町を走る場面も印象的だった。駅前から地下鉄、公園へと走らせながらサスペンスを生み出しているし、公衆電話の鳴る音と犯人の声、そして闇の中の黄色い鞄。この黄色は、後半で子どもたちを乗せるスクールバスでも使われていた。

最初の銀行強盗の銃撃戦の消火栓から吹き出す水しぶき、ラストの採石工場のようなところでの砂埃、階段を上ったり降りたり、声に操られながら闇夜を走らされたり、スタジアムでの犯人の追い詰めなど、アクション活劇として見応えのあるものになっている。あるいは「弾はまだ入っていると思うか?」と追い詰められた犯人に質問するキャラハン刑事の繰り返しなど、随所に演出の工夫が見られて面白かった。やはり名作である。


1971年製作/102分/PG12/アメリカ
原題または英題:Dirty Harry
配給:ワーナー・ブラザース映画

監督・製作:ドン・シーゲル
製作総指揮:ロバート・デイリー
原作:リタ・M・フィンク、ハリー・ジュリアン・フィンク
脚本:ディーン・リーズナー、ジョン・ミリアス、リタ・M・フィンク、ハリー・ジュリアン・フィンク
撮影:ブルース・サーティーズ
音楽:ラロ・シフリン
キャスト:クリント・イーストウッド、レニ・サントーニ、アンディ・ロビンソン、ハリー・ガーディノ、ジョン・バーノン、ジョン・ラーチ、ジョン・ミッチャム、アルバート・ポップウェル

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