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黒沢清『ニンゲン合格』~人間の謎と夢、その境界を踏み越えてくる現実の暴力~

見たのにすっかり忘れてしまった黒沢清の映画『ニンゲン合格』を見直す。昏睡状態から10年ぶりに覚醒した男を演じる西島秀俊が若い。諏訪敦彦の『2/デュオ』(1997年)でも若い西島秀俊が見られるが、黒沢清の映画にも若い時から出ていたのだ。西島秀俊はフランスで撮った黒沢の新作『蛇の道』にも出ているし、『クリーピー 偽りの隣人』でも主演だった。

さてこの映画だが、ホラーサスペンス的要素はない。ただ不思議なのような奇妙な話だ。そもそも10年ぶりに昏睡状態から覚醒するという設定自体がご都合主義的というか、不思議な話だ。14歳で交通事故に遭ってから10年間はベッドの中。中学2年生からいきなり大人になって社会に放り出される訳だ。交通事故の加害者の大杉蓮が、「これで最後にしてくれ」とお金を渡し、「君にとっての失われた10年は、私にとっても人生を失った10年だったのだ」と彼に告げる。事故は加害者にも重くのしかかる。

そして24歳になった吉井豊(西島秀俊)を迎えるのは実家の土地で釣り堀をやっている奇妙なオヤジ藤森(役所広司)だった。父の親友らしいのだが、豊の家族はバラバラになって実家には誰もいない。藤森は産廃不法投棄をやって金を稼いでいる。豊は同窓会を開いて旧友と再会して、空白の10年を埋めようとするがなかなかうまくいかない。母の居所を聞いて会いに行くも、すでに母(リリィ)には別の生活があった。そんなとき、家に一頭の馬がやってくる。豊は藤森に言ってその馬を買い取り、ポニー牧場をやりたいと言い出す。かつて実家の土地で家族はポニー牧場をやっていたのだ。家族一緒だったかつてのを取り戻すかのように、豊はポニー牧場再建に向けて動き出す。アメリカに行っていたはずの妹(麻生久美子)が赤いスポーツカーに乗って彼氏(哀川翔)と戻ってきて、アメリカで宗教活動していた父(菅田俊)も戻って来る。再び家族が集まるが、どこかぎこちない。そして、父と妹は出ていくが、ポニー牧場完成とともに、再び戻り、母も実家に戻って来る。ポニー牧場再建とともに、家族は再結集するのだ。父は再び出ていき、アフリカ行きの船の沈没ニュースで父が乗っていたことを家族は知る。死んだかと思われた父は奇跡の生還をし、家族はほっと胸をなでおろす。家族再復活物語は、この時まで。その後再び妹も母もいなくなり、交通事故の加害者だった大杉蓮が、豊の幸せを妬んで、ポニー牧場を壊しに来る。のような家族の再生物語から、現実の暴力が押し寄せる。豊もなぜか一緒にその牧場破壊に加わり、自ら作ったを破壊するのだ。そして藤森と一緒に別の生活をやり直そうとする。の再生ではなく、新たな現実を生きようとする。その矢先、藤森が運んだ産廃スクラップの下敷きになって、豊は死んでしまう。死ぬ前に豊は藤森に聞く。「これはなの?」「現実だ」「俺はちゃんと存在した?」「ちゃんと存在したよ」。

空き地になった実家の土地に集まる喪服の関係者たち。それはまるで、テオ・アンゲロプロスの映画のようだった。豊が電動バイクを直したキッカケで知り合った歌手を洞口依子が演じていて、酒場で歌を唄っている場面がある。彼女はニューヨークで歌手になることを夢見ていた。そのニューヨークの絵葉書を豊はもらうのだが、豊が読んでいた「馬と仲良くなる本」に挟んだニューヨークの絵葉書を見る藤森の姿で映画は終わる。

実家がある土地からバラバラと離散していった家族が、息子の夢の再建で戻って来る家族再生の物語。それを引き寄せたのは一頭の馬だった。そしてその夢は束の間のものでしかなく、再び現実の暴力が押し寄せて、何もかも消えて死がやってくる。彼の取り戻した人生は夢だったのか?彼は現実に存在したのか?

藤森に連れられて豊が実家に帰るとき、運転を教えてやると言ったりするとき、次の場面で子供のように駄々っ子みたいに尻込みして拒否する豊の姿が何度も映し出される。言っていることに、体がついて行かない拒否反応の描写が面白い。路地の段ボールをめちゃくちゃに踏み潰したり、ジュースを買いに出ただけなのに、実家に帰ってきた父がいつまでもついてきて、どこまでもジュースを買いに行く場面も中2の子どものようだ。旧友と飲んだ帰り、シャッターの下りている本屋から深夜に本を盗み出す悪戯も中学生のまま。そんな幼児性を時々出しつつ、無表情な青年を演じるアンバランスさを西島秀俊が好演。生産性のない無意味なことをやりつつ、したたかに現実を生きる役所広司。暗い釣り堀がなんとも不思議な空間になっている。父の菅田俊は新興宗教活動をして世界を飛び回り、まさに夢の中。夢から覚める現実は、いつも暴力的で容赦がない。実家のある土地を出ていこうとすることは、そんな過酷な現実を生きることでもある。子供のように夢の中に留まろうと尻込みする姿は、我々の姿でもあるのか。人間の謎と夢、その境界を踏み越えてくる現実の暴力が描かれる。


1999年製作/109分/日本
配給:松竹

監督・脚本:黒沢清
企画:土川勉、神野智
製作:加藤博之
プロデューサー:下田淳行、藤田滋生
制作統括:鎌田賢一
撮影:林淳一郎
美術:丸尾知行
音楽:ゲイリー芦屋
主題歌:洞口依子
照明:豊見山明長
編集:大永昌弘
キャスト:西島秀俊、役所広司、菅田俊、りりィ、麻生久美子、哀川翔、大杉漣、洞口依子

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