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『お引っ越し』相米慎二~走るレンコ!火と水の大人への通過儀礼~
画像(C)1993/2023讀賣テレビ放送株式会社
相米慎二の『お引っ越し』は好きな作品で何度か見ている。火と水の祝祭、少女が大人になるための通過儀礼のような作品であり、10年ほど前に見て書いたレビューでほぼ書き尽くしているのだが、4Kデジタルリマスター版を劇場で観たので、もう一度レビューを書いてみる。
相米慎二は、少女から大人になるその中間的な特別に時間を何度もフィルムに焼き付けてきた。『翔んだカップル』『セーラー服と機関銃』の薬師丸ひろ子、『台風クラブ』の工藤夕貴、『ションベンライダー』の河合美智子、『雪の断章』の斉藤由貴。クレーン撮影の強引なまでの長回しで、子どもたちをとことん動かせて、その運動感をドキュメンタリーのように生々しく描いてきた初期作品に比べて、中期のこの『お引っ越し』では、長回しはあるものの、強引な移動はない。じっくりと登場人物たちの芝居をカットを割らずに長回しで撮影している。鏡を使ったりもしているし、役者の動かせ方や位置取りがうまい。同じカットの中で、前後などの空間をうまく使い役者たちを動かせながら芝居をさせているのだ。
それでも前半部の田畑智子の躍動感は素晴らしい。まさに走る、走る、走るだ。父のお引っ越し当日、学校の昼休みの校庭から一気にレンコ(田畑智子)は走り出し、まだ家の前にトラックがあるのを確認すると、河原で寝そべっている父を見つけて蹴飛ばし、ボクシングで父(中井貴一)へパンチ。さらに急かす後輩に父と一緒のアクションで石を投げ、トラックが走り出すまでの父と娘のやり取りの長回しと、そのまま追いかけて荷台に飛び乗るレンコ。この躍動感、疾走感が素晴らしい。父の引っ越し先でも、空のタンスに入ったり出たり。最初の逆立ちから始まっての前半部のレンコのアクションは見事なキャラクター造型だ。
印象的だったのは、親が離婚した友達と自転車に買い物した荷物を入れて坂道を押して上る場面だ。相米慎二は坂道が好きで、『翔んだカップル』でも自転車を使った印象的な坂道のシーンがあったし、『夏の庭』にも坂道は出てくる。そして友達が、父親の新しい奥さんのお腹に子供がいたことを話す場面で、いきなり雨を降らせている。雨や水は試練のように映画の中でも何度も使われており、川に入って井上陽水の「東へ西へ」を歌わせる場面(唄を歌わせるのも相米の得意な演出だ)や、京都でおじいさんにもホースで水を掛けられる場面もある。そして琵琶湖での火祭りの幻想的なシーンでは、湖の中に入って過去の自分と対面する。幸せだった頃の両親は、水の中へと沈んで消えてしまい、レンコは一人ぼっちになる。今のレンコがそんな過去の一人ぼっちになったレンコをそっと抱きしめる。一方、火もまた何度も使われる。学校でアルコールランプを落下させてレンコは火事騒ぎを起こしたり、引っ越し先の父がゴミを燃やす場面で、燃える家族写真を火の中から取りだして消そうとしたり、花火や大文字の火祭りや灯籠や湖での神輿の火など、火もまたレンコの心を何度も映し出しているようだ。
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冒頭の三角形の奇妙な食卓テーブルはまるで『家族ゲーム』のようにギクシャクした家族関係を描いていた。これまで住んできた「家」と父の引っ越し先の「家」、二つの「家」をレンコが行ったり来たりする映画だが、どちらの「家」にも自分の居心地のいい場所がない。そしてレンコは風呂場に立て籠もる。風呂場の前で父の中井貴一と母の桜田淳子が言い合いをしてケンカになり、レンコが「なんで生んだん?」と叫ぶ長回しの場面も素晴らしい。そしてガラスを割って桜田淳子が血だらけの手をレンコの立てこもり空間に突き出す。自らも傷を負いながらの暴力的な母の介入。さらにぬいぐるみの階段での落下。父はレンコからぬいぐるみを受け取れない。また、琵琶湖旅行の旅先のホテルから飛び出したレンコを追いかけて宿題の答えを伝える中井貴一との二人の川辺でのやり取り。縄跳びの喩えで伝える父と娘の大事なシーンで、水辺の下の位置にいたレンコと堤防の上にいた中井貴一の上下関係の距離をうまく使っている。中井貴一が水辺に下りて近づくとレンコはすかさず堤防に上がり、中井貴一が上に上ろうとすると「来るな」とレンコが叫ぶ。「お父さん、私のこと好き?」と目線を合わせずにやり取りしたあと、レンコは画面の奥へと走り去っていく二人のアクション演出も見事だ。同じ地平に向かいあって二人はいられないのだ。旅先でレンコは息子が死んだ老人と出会い、一緒に花火を見ているレンコを橋の上から見つける桜田淳子。ここでも橋の上と下という上下の位置関係を使って、親子の距離感を演出している。そこでレンコは母に「私、早く大人になるから」と叫ぶ。そして生理が来たのか腹痛でうずくまる。その叫びが琵琶湖でのレンコの絶叫、「おめでとうございまーす」という自分へのエールへとつながる。この映画の見せ場だ。湖に入ってびしょ濡れになったレンコが焚き火で身体を暖めていると、水辺のすぐ近くに母の桜田淳子がいる。今度は上下の距離感はなく、同じ地平でわずかな水が二人の間にある程度だ。一緒に母と子が抱き合うようなことはしない。それぞれの程よい距離を保つことが大事なのだ。帰りの列車では、行きの列車とは違う母と娘の距離関係が描かれる。
エンディングの長回しワンカットで、「未来へ」と成長を遂げるレンコが登場する。母と父とがそれぞれの場所にいて挨拶し、いつの間にか着替えをして中学生の制服姿のレンコがカメラの前に現れて映画は終わる。幻想的な森の中をレンコが彷徨う場面は少し長く感じられたが、エンディングのお遊びまで、相米演出をたっぷりの堪能できる傑作である。
相米演出の過剰さが後半たっぷり出てきて、今見るとやり過ぎ?感もあるが、それもまた相米監督らしさ。この過剰な祝祭感はフェリーニ的なのかもしれない。その好き嫌いも含めて、バランスよくまとまって傑作とも言えるのが本作なのだろう。田畑智子の特別な時間を捉えた愛すべき作品だ。
1993年製作/124分/日本
配給:ビターズ・エンド
監督:相米慎二
原作:ひこ・田中
脚本:奥寺佐渡子、小此木聡
製作:伊地智啓、安田匡裕
プロデューサー:椋樹弘尚、藤門浩之
撮影監督:栗田豊通
音楽:三枝成彰
キャスト:中井貴一、桜田淳子、田畑智子、須藤真里子、田中太郎、青木秋美、笑福亭鶴瓶