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『彼女と彼』羽仁進~境界の越境者が掻き回す異物感~
札幌文化芸術劇場hitaruが、注目の映画監督を招き、監督が選んだ傑作2作品の上映と、特別講演をするというシネマシリーズ「映画へ導く映画」8という企画で、横浜聡子監督が選んだ映画、羽仁進の1963年のモノクロ映画『彼女と彼』についてのレビューを書く。ちなみにこのとき上映されたもう1本の映画は、ロベルト・ロッセリーニ監督の『ドイツ零年』だった。羽仁進もまたドキュメンタリー的手法を使った映画監督であり、岩波映画で撮ったドキュメンタリー『教室の子供たち』(1954)は有名だ。その後に非行経験のある素人の少年たちを使ってドキュメンタリー的手法で撮った『不良少年』(1961)で劇映画デビューを飾り、寺山修司脚本の『初恋・地獄編』などの作品が有名だ。その後、アフリカで野生動物のドキュメンタリーなど数多く制作した監督である。
さてこの『彼女と彼』は、奇妙な異物感に満ちた映画だ。脚本に清水邦夫が入っている。とにかく主演の左幸子の存在が圧倒的なのだ。左幸子が境界線を軽々と越えていく越境者の映画だ。新しく出来た団地とバタヤ部落の境界についての物語だ。「バタヤ部落」とは、1950~60年代にボロで粗末な家屋、バラックに住んで、ボロ切れ、紙くず、古新聞、鉄くずなどを集める廃品回収業などで生活している人たちのことを指す。在日朝鮮人も多く、新興住宅地のそばなどに数多く存在したスラム街であり、いずれ都市化とともに取り壊され、街から消えていった。私が子供の頃に暮らしていた新宿にもそんな部落が団地のそばにあった。懐かしく思い出す。そんなバタヤ部落の火事を団地の奥さんが発見することから映画は始まる。暗喩的な設定なのだ。いわば団地の住民にとっての「対岸の火事」。
平凡なサラリーマン家庭の妻、石川直子(左幸子)は夫の英一(岡田英次)とともに団地で暮らしていた。ある夜、バタヤ部落の火事を見に行こうとして、夫に止められる。夫は「団地は防火壁だ。風向きは逆だから心配ない」と言うが、直子は気になって仕方がない。この映画で描かれる団地に住む住民とバタヤ部落に住む住民との間には、明らかに境界線があり、行政ではこれから柵を作って双方で行き来ができないようにしようとしていた。それなのに、左幸子は自在にバタヤ部落を行き来するのだ。中流階級の庶民の中にある内なる差別意識を問題にしていると言えばそうなのだが、そんなことよりも越境者である左幸子が、そんな図式をとことん掻き回してしまうのだ。
その理由の一つはバタヤ部落の廃品業者の一人に夫と大学の同級生で以前に会ったことがある伊古奈(山下菊二)という男がいたからだ。クマという名の黒い犬を連れた伊古奈を演じる山下菊二という人はプロの俳優ではなく画家で、この映画では独特の存在感を放っている。アフレコで後からつけられたセリフがこれまた奇妙で、運河が好きで、川に架かるいろんな橋を見に行ったりしたことをブツブツと呟く。伊古奈もまた、境界線としての川を越える橋に魅せられている男なのだ。また直子は満州の大陸生まれで、苦労していたことが語られる。その満州にいたおじさんに伊古奈は似ていると語る場面がある。直子にとって、伊古奈は満州そのものだったのかもしれないし、近代以前の何かなのかもしれない。
団地の子どもたちとバタヤ部落の子供たちが「戦争ごっこ」の遊びをしていたときも、直子は「ルールをちゃんと守りなさい」とか言って子供たちの遊びに介入し、審判をしながら争いのような遊びに巻き込まれて、夫からプレゼントされたブローチをなくしてしまう。子供たちの存在がまた圧倒的で、まさに傍若無人。また、伊古奈が玄関にやってきて「水をください」と言って、水を飲みほす描写やクマという黒い犬が部屋の中に勝手に上がり込む描写などがあり、伊古奈とクマという黒い犬もまた境界線を無視する越境者なのである。団地の住民たちや夫の岡田英次だけが、境界線を守り、秩序を守ろうとするのだが、直子は柵の下をかいくぐり、伊古奈は水を求めて団地にやっくる。直子の家の玄関のトロフィ-が盗まれ、廃品業者に売られていたことで、伊古奈に盗難の嫌疑がかけられ、二人の関係はギクシャクする。しかし、伊古奈が面倒を見ている盲目の少女が病気になって、それを直子が看病することで、盲目の少女も伊古奈も団地の部屋にやって来て、夫の留守中に秩序を乱してしまう。
それぞれがそれぞれの居場所を守り、決して境界をそれぞれが越えないことは居心地がいい。秩序も保たれる。しかし、境界を越えて、川を越えて橋を渡ること、越境することによって、何かが起きる。居心地の悪い異物感が広がる。争いや疑惑や誤解も生じるだろう。ときには悪意からクマという犬のような犠牲を伴うかもしれない。ここで描かれるクマという犬は、秩序を破壊し越境した近代の犠牲者である。抹殺された越境者。それでも越境するアクションにこそ、何かザワザワとしたものが生まれるのだ。その違和感や異物感と向き合うこともまた大事なことのように思う。その異物感を描いた映画なのだ。台詞のアフレコの違和感は最初からずっとある。
1963年製作/117分/日本
原題または英題:She and He
監督:羽仁進
脚本:清水邦夫、羽仁進
製作:小口禎三、中島正幸
撮影:長野重一
美術:今保太郎
音楽:武満徹
録音:安田哲男
照明:田口政広
編集:土本典昭
キャスト:左幸子、岡田英次、山下菊二、長谷川明男、五十嵐まりこ、木村俊恵、平松淑美、堀越節子、市田ひろみ、小栗一也、桑山正一、松本敏男、穂積隆信、蜷川幸雄、笠井ひろ、椿孔枝、高橋美代子、川部修詩
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