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『Chime』黒沢清の世界全開!~わからない、映さない、日常の皮膜の裏にある恐怖~

画像(C)2023 Roadstead

45分という短尺映画に黒沢清的世界が凝縮されている。メジャーな俳優も出ていないし、観客を納得させるようなストーリー的な辻褄を合わせをする必要もない。だから黒沢清はやりたい放題。「わからない」ということこそ恐怖そのものであるし、そもそもこの世界は「わからない」ことに満ちている。背景や理由の説明がつく「わかること」など世界のほんの一部のことだし、その「背景や理由」もまた、「とりあえずのもの」でしかない。理由は一つじゃないことがほとんどだし、虚構(幻想)の世界で理由をハッキリさせて、我々は納得しているだけだ。スッキリしたいのだ。理屈や白黒をハッキリつけたいのだ。そういう習性を持つ我々人間にとって、「わからないこと」はモヤモヤする。しかし、その「モヤモヤ」を抱え続けながら、考え続けるしかない。本作は、何もわからない。そういう意味では、今年公開された映画で、わからないまま謎のラストで終わらせた濱口竜介の『悪は存在しない』を思い出す。「わからないモヤモヤ」を抱えながら、映画の「暴力」について考え続ける。また別のタイミングで同じ映画を見たときに、別の感じ方をするかもしれない。それでいいのだと思う。「わかって終わり」じゃつまらない。この映画は、すべてが謎で、何も映さない。

<ネタバレがありますので、気になる方は鑑賞後にお読みください。>

冒頭の料理教室内で、なにやら光が動く。その光は最初なんなのか分からないが、どうやら近くを通る電車の反射して動く光のようだ。電車の音がひっきりなしに聞こえる。料理教室で講師をしている松岡を演じる吉岡睦雄がいい。正気と狂気の微妙なバランスを見事に演じている。生徒の一人の田代(小日向星一)が玉葱を細かく刻む包丁の音が響く。その男が「チャイムのような音で、誰かがメッセージを送ってきている」と奇妙なことを言うところから始まる。幻聴のようなものが聞こえる変な生徒だ、で終わればいいのだが、松岡は何やら奇妙な気配を感じ取る。松岡の背中がしばらく映し出され、カメラは松岡に近づいていく。誰かの視線か?振り向く松岡(宣材写真)。しかし、その振り返った視線の先をカメラは映さない。料理教室のビルと外でも、松岡は振り返る。そしてカメラに近づいてきて、ものすごいアップの横顔になると、何か見つけたようだが、それもカメラは映さない。ビルの前の道路には、何やら引き摺った跡のようなものがあるが、それも何か分からない。カメラは視線の先を映さないで、次のシーンに移っていく。

松岡の家族の食事風景もまた奇妙だ。突然の息子の笑い声、食事中に席を立って台所の空き缶のゴミを捨てに行く妻。その夥しい数の空き缶のガラガラという不快な音がずっと響く。あり得ない量の空き缶。この空き缶のガラガラの音はその後も反復される。発酵したパンに包丁を突き立てていた田代は、「自分の脳の半分は機械に入れ替えられていてる」と言って、松岡に「見たいですか?」と包丁を首に突き立てる。料理の道具である包丁が凶器になっていく。そこから奇妙なことは伝染するように続けて起きていく。凶行が起きた直後の現場の教室で、欠伸をしてリラックスしている松岡も奇妙だし、家に帰ってフレンチ料理店の料理人になるための面接がうまくいったと妻に報告するのも奇妙だ。松岡は刑事(渡辺いっけい)に「料理をしていれば心が落ち着く」と言い、フレンチ店の人間にも饒舌に料理のことを語る。そして後日、松岡が一人だけになった女性の生徒に鶏肉の解体を教えていると、その女性は苦手だと言って、肉を放り投げる。そのシンクに鶏肉が投げられる音。すると突然、松岡の残忍な凶行がはじまり、包丁を何度も突き立てる。松岡が田代に包丁を突き立てるなと注意したことを、そのまま松岡は自分で繰り返す。そして死体を森の中に運び埋める。そのスコップを松岡が道路に放り投げる音。スコップを持って橋の上を走る松岡を捉える俯瞰気味のロングの移動ショットが印象的に使われている。料理教室で、死んだはずの女性が現れる場面でも、その姿は一切映らない。料理教室の事務の女性が、その生徒が座っていたという椅子は空席だし、何かを見て叫ぶ場面も、その視線の先は映さない。松岡もまた何かを見て叫ぶのだが、当然何も映さない。

こんな風に次々と凶行が起きる理由は何も分からないし、何も映さないまま、恐怖の気配だけがある。フレンチ店のオーナーとの面接で、凶行などなかったかのように自分のことばかりを饒舌に語る松岡も不気味だ。呆れ果てて去って行ったオーナーたちのあと、店内で関係ない客の男がナイフを持って女に襲いかかる場面もあるが、その凶行もまた理由がない。暴力が伝染したようだ。料理教室のビルの1階の曇りガラスに映る影。家の中で、向こうの部屋が見えるようで見えない玉すだれ。チャイムが鳴って扉を開けて、家の外に出ても何も変わりのない住宅街。そこで松岡が聞く圧倒的なノイズ音。日常世界が音で歪んでしまったようなところで、映画は突然終わる。物語に何の決着もつけない。

謎のチャイムの音が聞こえると言う男をキッカケにして、料理の道具は凶器と変わり、何かの気配が人々に伝染するように暴力を誘発させていく。音が人を狂わせたのか、もともと世界は壊れていて、音キッカケで表面化しただけなのか。ノイズ、音は日常的に氾濫している。日常と狂気(暴力)は紙一重。見えそうで見えないガラスやカーテンの向こう、扉の向こうで突然何かが起きてしまうのかもしれない。


2024年製作/45分/R15+/日本
配給:Stranger

スタッフ・キャスト
監督・脚本:黒沢清
プロデューサー:川村岬、岡本英之、田中美幸
共同プロデューサー:村山えりか
撮影:古屋幸一
照明:酒井隆英
録音:反町憲人
美術:安藤秀敏
編集:山崎梓
音楽:渡邊琢磨
キャスト:吉岡睦雄、小日向星一、天野はな、安井順平、関幸治、ぎぃ子、川添野愛、石毛宏樹、田畑智子、渡辺いっけい

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