『弟とアンドロイドと僕』阪本順治の問題作~フィクションとしての自己をめぐる物語~
画像(C)2020「弟とアンドロイドと僕」FILM PARTNERS
何とも奇妙な映画だ。阪本順治という監督は、独特な気になる作品を撮る人だ。赤井英和の『どついたるねん』(1989)から始まり、『トカレフ』(1994)、『顔』(2000)、『闇の子供たち』(2008)、『大鹿村騒動記』(2011)、『半世界』(2019)、『一度も撃ってません』(2020)など見てきた。特に最近は、『冬薔薇(ふゆそうび)』(2022)、江戸時代の糞尿の循環社会を美しい白黒映像で撮った『せかいのおきく』(2023)などの秀作も多い。『団地』(2016)という団地の住人が最後に宇宙船に乗り込んでいく奇妙な作品も撮っている。本作もかなり突飛で不気味な映画であり、阪本順治のオリジナル脚本である。
全編、雨が降っている。雨の映画と言えば、まず黒澤明の『七人の侍』や『羅生門』を思い出すが、小津安二郎の『浮草』でも、成瀬巳喜男の『浮雲』でも、相米慎二の『台風クラブ』でも、ポン・ジュノの『パラサイト 半地下の家族』でも、古今東西あらゆる映画で雨は効果的に使われている。『雨に唄えば』、『シェルブールの雨傘』など洋画でもキリがないほど雨は使われ、雨と映画の相性はいい。雨の中でのアクションは活劇も出会いも別れも劇的なシチュエーションになるし、強くそのシーンを印象的づける。雨は映画にとって欠かせないシチュエーションである。しかし、この映画は全編、雨である。それも劇的にするための雨ではない。最初から最後まで雨に閉じ込められているような印象である。
「自己とは、それ自体抽象概念であり、フィクションにすぎないのだ」(ダニエル・デネット)という字幕で始まる。フィクションとしての自己をめぐる物語だ。
セリフは極端に少ない。豊川悦司演じる桐生薫は孤独なロボット工学者。大学の授業でも何も喋らず、黒板に数式を書き続ける。そして何よりも特徴的なのは、右脚が自分の脚だという感覚がないらしく、ビッコを引いたり、片脚でケンケンしたり、動作そのものが奇妙なのだ。最初はこのロボット工学者そのものがロボットなのかと思ったら、どうやら「自分の存在を実感できないまま生きてきた」男らしい。鏡にも自分の姿が見えない?という精神的な障害を抱えている。「僕は、いますか?」と自問する男。脳が自分の片方の脚を自分のからだと認識できていないらしいのだ。身体と心の乖離。それはどうやら、炎を見るたびに脚の感覚がおかしくなるらしい。学校の焼却炉の炎が、家の暖炉の燃え盛る炎のイメージと重なる。その炎は、母が暖炉で焼身自殺したイメージのようなのだ。
大学の学長(本田博太郎)から依頼されている「アスファルトの割目を見つけるロボットの開発」をちっともやらず、研究室でもアンドロイドの研究に没頭している。コードが付いた切断された不気味な腕がごろんと机の上にあり、それが勝手に動いて缶を握りつぶす。そして降り続ける雨の中、黒いロングコートのフードを被って自宅に帰る。駅前の自転車置き場で、赤いフードのレインコートに青いロングスカートの女の子(片山友希)と出会う。ある産婦人科に連れていって欲しいと頼まれ、桐生は自転車の後ろに乗せて病院に行く。別の日にも駅で会ったその女の子を、今度は自宅に連れて帰る。途中、洞窟のようなトンネルを自転車のライトをつけて通り、切通しのような狭い空間を通り抜ける。映画『ツゴイネルワイゼン』を思い出す特殊な世界への入り口のようなトンネルと切通しだ。そして自宅はかつて病院だった古いお屋敷。屋敷の中には、天上から吊り下げられた鎖やらチェーンソーやら不気味な工具が並んでいる。そして未完成のアンドロイドが吊り下げられている。女の子に堕胎手術をするかのような真似をすると、屋敷から逃げ出す。その時、女の子が、「わたし、いますか?」と男に問う。女の子もまた、桐生薫と同じように存在の不安を抱えていたようだ。鏡に映る自分を手で触って確かめるような身振りを桐生薫も彼女も反復する。こんな風に、台詞の説明があまりないままに雨が降り続けるなかで、不気味な古屋敷での怪しげな男が描かれていく。
古い病院の屋敷の中で、日夜、桐生薫は「もう一人の僕」のアンドロイドの製作に勤しむ。古い病院は親の実家だ。産婦人科と小児科。父親はギャンブル好きで看護師の女に手を出し、子供の頃から桐生薫はその関係を見ていたと思われる。扉のガラス越しの女のあえぎ声。そして父親は女と出ていって、薫が大学に受かると母親は暖炉で自殺した。「孤独に堪えて、もう一人の自分の見つけなさい」と書き置きを残して。その腹違いの弟(安藤政信)が桐生薫のところにやって来て、死に瀕している父の見舞いに来ないかと誘う。延命治療をしないはずだった父(吉澤健)だが、桐生薫は「死なないで欲しい」と義母(風祭ゆき)と弟に突然喚いて頼み、治療費を負担することにする。薫は寝ている父の意識に入り込む。「これはお前の頭の中の世界か?」と父が言う。かつての病院だった家の記憶。「ずっと雨で、どこかおかしくなってたんだ」と父は浮気をした言い訳する。薫は「勝手に死なないで。『もう一人の僕』が来るまで」と父に呟く。薫はアンドロイドに父親を殺させたかったのか。
ある時、弟が桐生薫の屋敷にやって来る。「女(元妻)のところに行ったら男がいて、そいつの太ももを刺したら逃げられた」と服を血で汚した言い訳をする。「この土地の権利証はどこにある?」。家を売って金に換えようと弟は迫るのだが、兄は拒否する。そして兄とソックリのアンドロイドを見つけた弟は、アンドロイドの首をチェーンソーで切り落とす。自らの首を切り落とされたかのように喚き叫ぶ薫。そして弟の首を絞めて殺して冷凍庫に入れたかと思いきや、弟はまだ生きており再び薫に襲いかかる。
オープニングと同じエレベーターが開き、フードを被った不気味な姿で病院の暗い廊下をやってくる桐生薫。アンドロイドのようでもある。父親に突然のしかかり、周りの静止も構わず、父の首を突然締めようとする。そして脚を引きづりながら海岸を走る薫。
結局、屋敷には殺された弟の死体があり、桐生薫は殺人容疑で警察に追われ、草むらで片脚を傷つけた状態で見つかり、救急車で運ばれて行く途中で死ぬ。
最後のシーンは雨ではなく雪だ。冬になった時間経過があるのだろう。最初に出てきた赤いコートと青いスカートの少女が立ち入り禁止になっていた古い屋敷の中に入る。中には桐生薫のアンドロイドがいて、少女と抱き合う。少女もまたアンドロイドなのか?桐生薫はアンドロイドとなって生きていくのか?よくわからない。黒板に「僕は、いますか?」と書かれている。
大まかに想像される内容を書いてみたが、本当のところ、何が現実なのかよく分からない。過去のトラウマ、母の自死、女と出て行った父への愛憎、身体と心の乖離による片脚の不自由な感覚、もう一人の僕・・・といったことが描かれている。サスペンス&ホラーミステリーのような暗く不気味な映像だが、兄弟の争いが起きるだけだ。あの少女は何だったのか?観客が想像するしかない。古い屋敷、洞窟トンネル、暖炉の炎、雨、エレベーターの扉、フードを被って見えない顔、鏡などを効果的に使っている。阪本順治監督の野心的な問題作である。
2020年製作/94分/G/日本
配給:キノシネマ
監督・脚本: 阪本順治
製作総指揮:木下直哉
エグゼクティブプロデューサー:武部由実子
プロデューサー:菅野和佳奈
撮影:儀間眞悟
照明:宗賢次郎
録音:照井康政
美術監督:原田満生
美術:堀明元紀
VFX:オダイッセイ
編集:普嶋信一
音楽:安川午朗
キャスト:豊川悦司、安藤政信、風祭ゆき、本田博太郎、片山友希、田村泰二郎、山本浩司、吉澤健