『リチャード・ジュエル』クリント・イーストウッド~作られる虚像と実像のギャップ
画像(C)2019 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
クリント・イーストウッドが出演せずに監督した作品。イーストウッドは実話のベースにした映画をこのところ数多く撮っているが、本作も1996年のアトランタ爆破テロ事件で、マスメディアの先行報道とFBIと警察の先入観に基づく強引な捜査で犯人にされそうになった男の物語。イーストウッドの実話ものと言えば、『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』(共に2006年)、『チェンジリング』(08年)、『インビクタス 負けざる者たち』(09年)、『J・エドガー』(11年)、『アメリカン・スナイパー』(14年)、『ハドソン川の奇跡』(16年)、『15時17分、パリ行き』(18年)と最近のほとんどの作品が実話ベースだとも言える。現実でヒ―ロ―や犯人に祭り上げられた者たち、メディアの喧騒や同調圧力、その作られた虚構の姿と生身の現実の姿とのギャップに彼は興味を持っているのだろう。
また本作は『トゥルー・クライム』(1999年)同様、冤罪に関わる物語である。法の裁きや警察・司法権力の限界と過ち。『トゥルー・クライム』では、イーストウッド自身がヤサグレ記者となって、死刑執行までのわずかな時間のうちに冤罪の真実を解き明かす映画であったが、本作はそんなスーパーヒーローはいない。警備員であり、爆発物の第一発見者である太った白人男性リチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は、当初、現場にいた人々を爆発の被害から救ったヒーローに祭り上げられる。しかし、過去に彼が起こした問題や警官などの法執行官に憧れを抱く志向性が明らかになるにつれ、爆弾犯人として容疑をかけられるようになった。メディアがその捜査情報を嗅ぎつけ、「第一発見者のヒーローが一転して爆弾犯人容疑者」となったことをセンセーショナルに報道し、煽り立て、追い詰めていく。ヒーローから容疑者への180度の素早い転換、そのメディアの同調圧力。そんな冤罪被害者になりかけた彼に寄り添うのは、戦う弁護士ではなく、昔からの理解者であるにすぎない弁護士サム・ロックウェルであり、母親のキャシー・ベイツだけだった。
イーストウッドの映画にあっては、「正義」がいつも問題にされる。悪を懲らしめる「正義」、法の「正義」、権力の「正義」、メディアの「正義」。その「正義」にはいつだって限界があり、過ちがあった。この映画では、悪を許さない「法執行官になりたい」と思うリチャード・ジュエルの「正義」を司る権力への憧れがあった。しかし、そんな「正義」こそ危ういということをイーストウッドはよく知っている。そして「正義」は暴走すると、途轍もない暴力となる。「正義」の名のもとに、個人は簡単に蹂躙されボロボロに痛めつけられる。この映画は、そんなメディアや社会の「正義」の暴走に、たった一人で戦うことを強いられる一般人の話だ。味方は母や限られた友人しかいない。「正義」の暴走に、孤独なダークヒーローの刑事や敏腕記者、あるいは強烈なキャラクターを持った闘う人物(たとえば『チェンジリング』のアンジェリーナ・ジョリーなど)は登場しない。ただオロオロと容疑者となって追い詰められていく白人男性の一般人の姿が描かれる。
この映画では、事件を無責任に暴きたてた女性記者も冤罪を生み出しそうになったFBIも、罰せられないし、ヒーローに痛めつけられもしない。リチャード・ジュエルを「容疑者リストから外す」ことで事件は沈静化し、彼は再び警備員として働くようになったことを事実として描いて映画は終わる。爆弾真犯人も描かれない。観客は溜飲を下げることができない。間違ったやつらを叩いてスッキリできない。それが現実であるということをそのまま映画にしているのが本作である。一般人が容疑者にさせられてしまう怖さは描いているが、その後の劇的な展開はない。ドキュメンタリー要素の強い『15時17分、パリ行き』と同じ流れである。母と息子の強い絆を描いているのは『トゥルー・クライム』と同じであり、強い肉親の愛情にこそ希望の力を見出すのは、イーストウッドの得意とするところだ。理不尽で不当な扱いを受けるリチャード・ジュエルを「悲劇の主人公」として共感するようには描かれておらず、その距離感が面白い。
2019年製作/131分/G/アメリカ
原題または英題:Richard Jewell
配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:クリント・イーストウッド
製作:クリント・イーストウッド、ティム・ムーア、ジェシカ・マイヤー、ケビン・ミッシャー、レオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・デイビソン、ジョナ・ヒル
原案:マリー・ブレナー
脚本:ビリー・レイ
撮影:イブ・ベランジェ
美術:ケビン・イシオカ
衣装:デボラ・ホッパー
編集:ジョエル・コックス
音楽:アルトゥロ・サンドバル
キャスト:ポール・ウォルター・ハウザー、サム・ロックウェル、キャシー・ベイツ、ジョン・ハム、オリビア・ワイルド、ニナ・アリアンダ、イアン・ゴメス