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タイの新歓儀礼ー実在するSOTUSー

※この記事は社団法人日タイ経済協力協会2012年4月発行『日タイパートナーシップ』第135号、32~35頁に掲載された「新歓事情」を一部加筆修正したものです。


あれの季節

 日本では4月1日に学校年度や会計年度が改まりますが、タイでは4月13日から15日に、タイの旧正月であるソンクラーン(sŏngkraan)を迎えます。そして、その約一カ月後、5月17日からタイでは新しい学校年度がスタートします。

タイの学校制度は2学期制をとっており、5月中旬から9月下旬までが1学期、11月上旬から3月中旬までが2学期となります。年度の区切りがなぜ1日ではなく17日なのだという疑問はさておき、新入生が入学する新学期、タイの多くの大学では、ある変わった伝統行事が行われます。

その行事は、ラップ・ノーン(ráp nóong)もしくは、ラップ・ノーン・マイ(ráp nóong mài)と呼ばれます。

直訳すれば、ラップ(ráp)は受け入れる、ノーン(nóong)は弟、妹、年少者の呼称、マイ(mài)は新しいという意味ですから、日本の新入生歓迎、いわゆる新歓にあたります。日本の大学生たちが行っている新歓コンパも、いってしまえば充分以上に「変わった伝統行事」ではあるのですが、ラップ・ノーンは、それらとはまた異なるユニークな行事なのです。

入試後に課せられる過酷な試練?

この行事、在校生が新入生のために行うという面では、日本の新歓と同じなのですが、歓迎する前に、まず上級生が新入生に対して課題を課すことが大きな特徴です。

課題とは例えば、同級生のフルネーム、学籍番号、住所、電話番号を全員分暗記するだとか、新入生全員で肩を組んでスクワット200回を上級生に披露だとか、恥ずかしい言葉を大勢の前で口にするだとか、まず無理だろうというものや、精神的肉体的な苦痛、羞恥心を伴うものであることがほとんどです。

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早朝からキャンパス内を走らされている新入生たち

そして、大学や学部学科毎に異なるそういった課題をクリヤしないことには、上級生にノーン、すなわち後輩として認めてもらえないという前提があり、認められるまで新入生は上級生に絶対服従するというのが原則です。


ラップ・ノーンは、一日で完結するものではなく、数週間、大学や学部学科によっては数カ月にわたっておこなわれます。期間中、新入生は毎日放課後に上級生に呼び出され、課題の達成度の確認や練習をさせられます。そして、その出来の悪さに対して上級生が新入生を罵倒したり、時には全く無関係な理不尽な理由をつけて言葉の暴力をあびせたりといったことが繰り返されます。

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夕方に呼び出され歌唱練習をさせられる新入生とそれを取り囲みダメ出しをする上級生

これが、任意集団であるサークルや部活単位ではなく、大学生が全員必ず所属することになる学部学科単位で行われるのです。大学が行う公式の行事ではなく、学生たちが自主的に行っているものなので、参加は自由ですが、これに参加しないとその後の大学生活で人間関係が上手くいかないとの言説もあり、不本意であっても参加する新入生は多いといわれます。

当然、このような行事は、集団で行う悪質ないじめと見なされ、保護者や教員から批判や禁止をされたり、規制をかけられることもしばしばです。特に、インターネットが普及してからは、本来は部外者には口外禁止となっていた学科毎のラップ・ノーンの詳細が流出することもあり、毎年テレビや新聞でも取りざたされます。

ところが一方で、この行事の存続を支持する考え方も存在します。ラップ・ノーンは新入生の精神力を鍛え、学生同士の紐帯を強めるのに有効だという考えです。一見強引な言い分のようですが、ラップ・ノーンの形式にはそういった要素を見ることもできます。

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この期間の新入生たちは、大学に定められた制服のほかにも靴下の色など学科ごとに服装規範が課されています。学部学科毎のシンボルカラーでつくられた名札を着用させられることも一般的。多くの場合、名札の作成は2年生の役割。

理不尽な「いじめ」か必要な「伝統」か

批判を受けるのはラップ・ノーンの中の課題の部分ですが、その後には必ず「ラップ・ペン・ノーン(ráp pen nóong)」すなわち、「後輩となることを認める」というクライマックスがあります。新入生は、上級生に与えられた課題を達成しない限り、後輩とは認められないと聞かされています。しかし、この前提は実は建て前であり、一定の期間が過ぎると、ラップ・ノーンの試練に立ち向かうことで、新入生が今後大学生活に必要な能力を学ぶことができたとみなし、上級生はラップ・ペン・ノーンを行います。

この、新入生がラップ・ノーンを通して身につけるとされるものは、
”Seniority”、”Order”、”Tradition”、”Unity”、”Spirit”の頭文字から”SOTUS(ソータス)”と呼ばれるもので、すなわち、年長者を敬い、規則に従い、伝統を重んじ、仲間と結束し、強い精神力を持する姿勢です。ラップ・ノーンのプログラムはこのSOTUSを身につけさせるために組み立てられることになっていおり、あくまでも新入生自身にとってこれから大学生活を送る上で重要になるとされています。

さて、ラップ・ペン・ノーンは、多くは夜間に行われます。雰囲気を重視して、いつもと別の場所に移動したり、卒業生を招くこともあります。それまで理不尽に新入生を攻め立てていた三、四年生が新入生を後輩として認めることを宣言し、ロウソクを灯して歌を歌ったり、花見を上げたりして、暖かく「新しい後輩」としてもて成し、彼らの努力を讃えます。

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ある学科の「ラップ・ペン・ノーン」の様子。ろうそくを灯し、上級生たちが新入生の努力を讃え、後輩として受け入れることを宣言。新入生にとって、厳しい活動が終わるという救われる時ですが、上級生にとっても意地悪役から開放される待ち望んだ瞬間であるとのこと。

このとき、新入生には上級生から学科に伝わる秘密が共有されたり、伝統の品が継承されたり、もしくは学科の仲間内だけで通じる秘密の名前が授けられたりといった、その学科ならではのイベントが行われます。

ラップ・ペン・ノーンを堺に、それまで「一年生」という意味の「ピー・ヌング」、もしくは首から下げた学籍番号で呼ばれていた新入生たちは、晴れて上級生から「弟や妹」を意味する「ノーン」と呼ばれるようになります。新入生と接する時、上級生たちは自らの一人称も「ピー」すなわち「兄、姉、先輩」と呼ぶようになることが多く、以降、同じ学科の学生たちは兄弟のような強い結びつきを共有し、大学生活やその後の就職についても、助け合っていくことになります。


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「ラップ・ペン・ノーン」後、レクリエーションを楽しむ学生たち。フェイスペイントをした新入生たちが、意地悪役を終えた上級生を取り囲んでの記念撮影。
期間中怖かった先輩ほど、終了後には新入生の間で人気者になりがち。

悪質ないじめに見える課題部分は、ラップ・ペン・ノーンを効果的かつ感動的に迎えるための演出だとも考えられています。大学に入学し、初めて出会った新入生同士が、共に課題に挑む中で打ち解けていくことになります。さらに、「恐ろしい先輩」という共通の「敵」を持つことで、より連帯感を強めるというわけです。そのために上級生はあえて憎まれ役を演じるというのです。そして、達成できない課題を突き付けられ、挫折と屈辱を味わった後、恐るべき存在であった先輩から認められ、評価されることで、先後輩の関係も確立します。

反発していた学生ほど、いつの間にか支持者になる

重要なのは、これが「演出」や「演技」であるという認識が、新入生にも共有されているかどうか、そして、その「演出」や「演技」が行きすぎてしまわないかどうかです。新入生の中には、上級生からの不当な仕打ちに耐えられず、病気になったり、自殺にまで追い込まれてしまった者もいます。

そういった事を防ぐためにも作用するとも考えられるのが、二年生の役割です。多くの学科に共通して、三、四年生が徹底して恐ろしい先輩を演じるのに対し、二年生は新入生に寄り添う立場にあります。新入生の様子に気を配り、励ましや慰めの言葉をかけるほか、新入生がどのくらいの負担を受けているかをこっそり三、四年生に伝えたり、ラップ・ノーンの最中に「もうやめてください」「わたしたちが代わりに」といった台詞で三、四年生から新入生を庇う演技をします。これは、最も長く大学生活を共にする二年生と新入生をより強い絆で結ぶための演出でもあります。

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2年生が用意した救護セット。活動のある日は、飲料水や、蚊取り線香、虫刺され薬、気付けの嗅ぎ薬などを用意するほか、活動終了後に新入生に夕食をおごった後に寮まで送りとどけるなど、2年生にはサポート役として様々な仕事があります。

新入生は、ラップ・ノーンが三、四年生が自分たちのために用意してくれた大きなお芝居であることを、二年生からそれとなく聞かされ、いくらか楽しみながら自分たちの役を演じることができれば、ラップ・ノーンを肯定的にとらえるようになります。

しかし、もちろんそうではない場合もあります。
ラップ・ノーンに否定的な感情を持った新入生は、「自分が三、四年生になったら厳しいラップ・ノーンは廃止しよう」もしくは「参加するのはやめよう」と考えることがあります。ところが、翌年二年生になり、新入生をサポートする役割として参加すると、三、四年生が計画的にラップ・ノーンを行っている舞台裏が見え、さらに、その三、四年生の演技のお陰で、自分たち二年生が新入生に慕われるようになり、いわば「美味しい役」を貰ったということに思い至ります。そして、翌年はやはり後輩のために、自分が憎まれ役を演じなければと考えを改めるという構図も生まれるのです。こうして、幸か不幸か、ラップ・ノーンの伝統は続いていくことになります。

自分たちとは違う?いや同じ?

日本の大学生の場合は、学生同士の紐帯がここまで重視されることはまずありません。そのため、ラップ・ノーンは、一見我々には異質なものに見えます。しかし実はそんなこともないのかもしれません。一歩引いて考えてみれば日本の若者たちの間にも異質な儀礼はたくさんあります。「シュウカツ」と呼ばれる奇妙な通過儀礼にはじまり、「シンジンケンシュウ」「チョウレイ」「ノルマ」…。決して効率的とも合理的ともいえないものであっても、様々な理由で重要視され、続いていく各種の制度や行事。

ラップ・ノーンは、タイの若者や大学生をとりまく諸事情を反映した社会問題としても、農村部で行われている伝統儀礼との比較の観点からも、タイの地域研究として好奇心をそそられる研究テーマです。しかしそれだけではなく、日本の若者、我々自身の問題、身近な事象とも通じるものがあり、その意味でもやはり興味を惹かれます。

そんなわけで、わたしはこの行事を研究対象としており、毎年のように新学期に合わせてタイへ渡航しております。

ところが、ついに今年は現地の学生さんから「もう参加はちょっと難しいかも」とのご指摘を受けました。本来は学生たちが内輪で行う、非公開の行事。批判が強まっている昨今は尚更、秘密性を強めています。これまでは友人たちの紹介でなんとか見せてもらえる幸運に恵まれましたが、年齢的に限界があることは事実です。「大学院生」という立場にあるわたしは、どうやら今までは「大学生に近い存在」としてラップ・ノーンに参加が許されていたようです。はじめのうちは、大学のことをよく知らない新参者としての親近感からか、新入生への聞き取りもうまくいっていたのですが、次第に上級生、卒業生寄りの扱いになってきました。そして、学生たちと年齢の開きがでてくるにつれ、彼らが最も秘密が漏れることを恐れる相手、すなわち教員側に近い存在と認識される部分もあるようで、「部外者には教えられない」と聞き取りすら難しくなってきたのを感じます。

カルチャーショックと、ジェネレーションギャップ、いずれも手ごわい敵であります。



参考文献:小川絵美子 2008年 首都大学東京提出終始学位論文『儀礼空間としての大学:タイの大学におけるイニシエーション儀礼を事例として』

小川絵美子
2010「ラップ・ノーン
――タイの大学におけるイニシエーション儀礼の管理下と裁量性をめぐって――」東京都立大学社会人類学会編『社会人類学年報VOL-36』

2012年4月

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