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子供の絵を見に行く

不調の時は「どうにかならないか」と色々もがいてみるもです。
スポーツ選手などはとにかくひたすら練習を繰り返す。陸上の選手だったらランニングを繰り返す。野球の選手だったら素振りを繰り返す。というのは昭和の考え方かなと思うものの、それなりに有効な方法ではないかな思っています。
一方で気分転換を狙って何かを新しくしてみる。今までやらなかった事をやってみるというやり方もあります。
いずれにせよ、何もせずに動かずにいて自然に状況が良くなるという事はあまりないように思うので、今回も書けないなりに何か書いてみようという試みです。


偶然見つけた絵画展

相変わらず不調が続いていて、シャッターを切ってみてもなかなか良い写真が撮れません。

こういう時はあまり深く考えず、出来栄えをあまり気にせずにひたすらシャッターを切り続けるのがいいと思うのですが、そうやって撮った写真はことごとく出来が悪いわけで、それを見返すと益々気分が落ち込んでくるわけです。

流石に一旦シャッターを切るのはやめて何かリセットしたいと思っていると、用があって行ってみた公民館で偶然地元の幼稚園児などが書いた絵 - 3歳から5歳くらいの子供が書いた絵の展示会が行われていたのを見つけたのでこれも何かの縁だと思って見ておくことにしたのでした。

今回。絵の写真は敢えて撮らなかったのて代わりにもらったしおりの表紙だけ。

発想の自由さにビビる(笑)

展示されていた絵は地元の幼稚園に通っている子供たちが描いた絵なわけですが、自分にはそんな歳の子供がいるわけでもなく、完全な部外者がたまたま見に来た。という格好なので会場で写真を撮ってよいものか判断がつかなかったので、展示されていた絵の写真はありません。

描かれている内容は日常の出来事を絵にしたものだっり、親や保母さんから聞いた絵本のお話などを自分なりの表現で描いた見たりと様々です。

絵で表現されているという訳で写真の撮り方に直接参考になるというものでは無いわけですが、とにかく発想のフリーダムさには圧倒されるものがあります

初めて見ると全て果てしなくフリーダムな絵に見えるのですが、一応パターンのようなものはあるようです。

風邪の「ムシ」

例えば日常の出来事 - 誕生会をしてもらった。 - という出来事を写真的に表現しようとしたら誕生会の印象的なワンシーンを写真にする。という表現になると思うのですが、彼らは絵でストーリーを語るような表現をします。

それは絵でとある場面を再現する。というのではなく、集まってくれた人の顔を一人づつ。まるでアイコンのように並べて描き、かと言って記号というほど類型化しておらず、丁寧に一人づつ書き込んでいるのです。

自分の家のリビングに集まってもらった。ケーキが出た。という部分もそれぞれ一枚の絵として成立するほど書き込んだ物をまるで記号というか言葉のように扱って出来事を説明する絵を描いていたりするのです。子供の手で描いたという「限界」を考慮する必要はあるものの、とにかく一枚にかかる手間暇と内容が濃密です。

聞かされたお話を自分の絵で表現する。という場合でも発想が想像を絶する絵があったりします。

風邪をひいた狐がコンコンと咳をすると風邪の虫が飛び出していって、それで風邪が治った。という絵があったりします。彼らは紙の上に自分の好きなものを何でも自由に描いてよい。という事をいとも容易く実現しています。

写真で同じことは出来ないにしても、発想力などで彼らに追い付けるか?と色々考えさせられる地元の小さな絵画展でありました。

子供の絵からも大いに気づかされることが色々あって為になります。

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