プロはアマチュアに敵わない
アマはプロに敵わない。の間違いじゃないのか!?と突っ込みが入りそうですが、タイトル通りの事を他ならぬプロの写真家さんが言っている。というお話。
プロの証言
一般的な常識で言えば、アマチュアがプロに勝る点など何もないはずです。何しろ彼らの仕事には金を払うに値するクオリティが備わっていて、アマチュアにはないはずだからです。
しかし、プロの方によると、この金を払うという部分・・・写真撮影で生ずる全ての行為を「バリューとコスト」という目で見ると、アマチュアはプロを上回る作品を生み出すことが出来るというのです。
以下はプロの写真家。矢沢隆則氏のお話。10分を超える動画ですが、要約すると、プロに言わせば無駄なコストでしかないレタッチをアマチュアは大喜びでやってしまう。ゆえに写真のクオリティに限って言えば、アマはプロを凌ぐ作品を作ることが出来る。というお話。
こちらのプロの方が強調しているのは、アマチュアの人はレタッチなどを行うのは楽しいと思っているけど、プロは苦痛だと思っていて、何ならやらずに済むならそれに越したことはない。と思っている点でしょう。
これはこの人の感想ですよね。と思う読者の皆さんのために、プロの証言その2。以前にもご登場いただいたプロの写真家。西田航氏の証言です。
プロがこのように思う合理的な理由として、プロは常にコスト意識をもって活動しているという点でしょう。極論を言うと彼らの活動理由はただ一点「金になるかどうか」だけだからです。
プロは金の取れるクオリティにするために必要ならレタッチを行いますが、撮って出しJPEGの時点で金の取れるクオリティならレタッチなど行いません。不必要な手間と時間をかけるのは利益を損なうからです。
そんなに手間暇かけていたらカネにならない
自分は趣味として写真を撮っています。趣味だから撮った写真はどれもお金にはなりません。
せいぜいnoteの投稿記事の賑やかしに使うか、みんなのフォトライブラリーにあげるのネタにするかぐらいなものです。
でも、レタッチなどを行っている時間は楽しいものです。一枚の写真の明るさをいじっているだけで気が付いた日が暮れていた。なんてこともしばしばな訳です。
今や搭載センサーの性能もたかが知れている、AF性能も手振れ補正機能も無いよりましという程度でしかない600万画素機。これで撮影できた写真データはJPEGはもちろん、レタッチに使えるRAWデータも最新の現行機とは比べ物にならないわけですが、それがいろいろいじくってやるとそこそこ見れる写真になるというのは非常に楽しいし、達成感があるものです。
これがプロだったら、最新鋭のフラッグシップモデルを使って最適な設定でシャッターを切り、撮って出しJPEGを渡せば仕事は終わりで、博物館行きの600万画素機で無駄な手間をかけて写真を撮り、おまけにレタッチまでしてクオリティを上げようなんて夢にも思わないわけで、そういった意味では、確かに600万画素機の使いこなしに関しては、自分はプロを凌ぐ技術を持っている。とちょっとぐらい威張ってもいいのかもしれない。と思えてきます。
首から値札をぶら下げる
一方で、それほどの手間暇をかけていながら、カネの取れる仕上がりのものは一つもない。という事実は我ながら驚くばかりです。
それはある意味当然で、自分の撮った写真はどこまで行っても自分のために撮った写真で、需要など一切考えていない写真なわけで、ワゴンセールで捨て値になっているのに売れない映画のDVDと同じで、需要の無いものに値段など付かないわけです。
もし、どなたからか「こんな写真を撮ってくれ」と依頼を受けて、それを実現するのに大して難易度が高くないならば、やって出来なくはないのかなとも思う訳ですが、そうやって少なからず自分なりに必要な機材を準備し(必要なら調達する必要がありますし)日数を費やして撮った写真であっても、それにお金が支払われた途端、著作権も含めてその写真は依頼主のものになってしまう訳です。
それは、何となくお前の値段はこんなものだと、値札を貼り付けられているような感じがぬぐい切れないのです。まあ、自由主義経済の世界ではどんなものであっても値段がつけられてしまうのは避けられないですから、そんなことを気にしているのは大人げない。とも思うのですが。
もしも作品として認められたなら
芸術の回で学んだように、高名な写真家の一枚は芸術サロンや美術館のキュレーターなどの手によって数億ドルの値段がつけられます。しかもこういった作品は著作権的にも撮影した写真家の「作品」です。現実には現代写真はこの撮影者=作品の制作者という部分がかなりあやふやになってきているというのも芸術の回で学びましたが、とにかく「作品」の著作権は「製作者」にあるという点は間違いないと思います。
人間生きていくには、稼がなければ始まらないから趣味の延長線上で作った「作品」が数億ドル稼ぎ出すとなれば、願ってもない話だと思います。
著作権まで含めてまるまるガメられるプロとしての写真(商用写真)と違って自分の「作品」としての価値が認められた対価だと思えるので。
そこで、自分の作品は有料とするに値するのか
現在「noteポイント祭」が展開中です。運営の皆さんの思惑としてはやはり有料記事が増えてnoteそのものが稼げるようになるのが最終目標でしょう(前述したとおり自由主義経済下では当然のことです)記事の投稿者もそれで稼ぎを得られるとなれば、投稿するにあたっての気合の入り方も違ってくるというものでしょう。
しかし、現時点では自分はプロとして著作権まで含めた作品の何もかもを引き渡してしまう商用写真を撮る腕もないし、かといってキュレーターに認められるような作品を撮る腕もない。ただのアマチュアカメラマンです。
写真に添える説明文もカネを払うに値する書き方が出来るわけでもなし、そういう意味で当分はnote運営の方々のご期待に沿える投稿は無理だろうなぁと感じています。
note運営の皆様方におかけましては、そんな投稿記事でも置いてもらっても構わないものでしょうか?
まだまだ有料記事を出せる力量などないのですが、読者の皆様方から見てカネを払ってもよいと思えるような写真が撮れる日が来るでしょうか?