不恰好な生き様で物語る
僕の生き方は格好が良いものではない。
人様に誇れるような生き方なんざ、出来やしない。
ただ、守らないといけない親からの教えはある。
「お天道様に顔向けできないようなことはしなさんな。そして、ありがとうとごめんなさいは言える人間でいなさい」
これは人としての最低限のマナーであると教わってきた。
ただ世の中それすら出来ない人間も少なくないようで。
ここまでの人生を歩み今年で25歳、四半世紀。
その後半は特に幾度となく躓いてきた。
しかし、その度に起き上がってきた。
転んでも立ち上がれることを知った。
そして、立ち上がった時に転ぶ前より少しだけ強くなれることも知った。
それでもやはり僕はひどく泣き虫で、根性無しで、尚且ついわゆる「HSP」と呼ばれる繊細な特性を持っていて。
昔の自分の持ち味は器用貧乏なところだった。
今はそのほんの器用さすら失くした。
ただ不器用で金銭面で貧乏な、一人の生きた人間となった。
そう。
ただし、間違いなく生きてる。
そして、このまま生きてりゃ誰しもいずれはいつの日か灰になる。
それまでにこんな自分に何が出来るのか。
この身が灰と化す前に遺せること、遺せるものは。
それは自身の身をもってしてこそ得た経験、見聞、そして"ひろき"としてこの世を生きた証としてそれらを基に言葉、文章として遺せたら充分なのかもしれない。
僕の目指すは「言葉と文章の表現者」
それで同じく苦しみ悩める何処かの誰かを救いたい。
何度もこの命を救われたのだから、今度は僕が救う側に回りたい。
誰かの心の中の水面にそっと手を伸ばして、その人の苦しみや辛さを少しでも掬い取りたい。
それを完全には取り除けないとしても。
ほんの僅かだけでもいいから。
そんな生き方をこれからは送りたい。
その生き様は恐らく格好が良いものではない。
さぞ、不恰好だろう。
不恰好な方が性に合ってる。
格好をつけようとて、そもそも格好の付け方すら知らない。
ただ、
人生で碌に苦労をしたこともなく、折れることを知らず、思い通り望むように生きてきた人間。
それと、
片やその人生は挫折に塗れていて、何度も涙を呑み、時にその涙すら呑み込めずに泣き叫ぶ声をあげながら足掻いて藻搔いて、必死こいてなんとかして生きようとしている人間。
あなたの眼にはどちらの生き様がどのように映るだろうか。
後者の生き方は上手く生きている誰かにとっては、日陰者で底辺にいる人間のように映るのだろうか。
それこそが紛れもなく不恰好なこの僕の生き様。
それでも、生きることに苦しみながらも懸命に生きようとしている誰かにとっては温かく優しく包み込むような存在でありたい。
この先は見栄や虚勢や、意地を無駄に張らず。
まるで嘘の鎧を纏って、それで身を取り繕うようなことをせずにいたい。
過去には自身の精神疾患のことを伏せようと嘘で塗り固めた経験もある。
今となってはこれだけ自身の精神疾患のことを公にするのであれば、はなからそんな嘘すらつかないでも良かったのかもしれない。
ただ、当時はそんな度胸は無かった。
決して今も度胸が有るとは言えないけれど。
自身が精神障害者であることをバレたくなかった。
ただ、それらをいつまでも隠し通すのにも限界があった。
なによりも、打ち明けることで心が楽になったというのが事実。
しかしその反面、それで離れていく人がいたのもそれもまた、紛うことのなき事実。
このnoteを書いていて笑われたこともあった。
馬鹿にする人間も居た。
ただその時はこれはまだ夢となってはいなかった。
笑われても何とも思わなかった。
そんなことをしている人間が周りにいなかったからそれも当然の反応だとすら思っていた。
それが悔しいとも思わなかった。
それは、これが「夢」にその時は繋がっていなかったから。
今、これは僕の壮大な「夢」であり、これからを生きる指針。
少しずつ、ぼんやりとしたその夢の輪郭をなぞり始めたというような気はしている。
それでも笑いたきゃ勝手に笑ってくれて構わない。
馬鹿にしたけりゃ存分に馬鹿にしてもらって一向に構わない。
ただ、夢に向かう途中の人間を馬鹿にして笑い声を上げて、あたかも高みから人を嘲笑うような、そんな性根の腐ったような人間には自分はなりたくはないってだけで。
数え切れない程に何度も頭を抱え、ゆく先の悩みや正体不明の強烈な不安に涙を流した夜をいくつも数え、それら全てを沢山抱えてきた。
そんな重たい荷物を抱えてきたから、その積んだ経験を誰かの為にしようと、無駄にするまいという想いを「夢」として掲げた。
上手く生きることは自分には難しいと知った。
だけど、それが下手でも生きていけることも知った。
下手くそな生き方でも生きれるところ迄は生きれることを、僕が誰に頼まれるでもなく勝手にこの命をもってして証明しよう。
人間だからこそ。
生きている限り。
その人生で、困難にはきっと何度も直面する。
どうすればそれを乗り越えられるかは人それぞれかもしれない。
そもそも乗り越えないという選択肢も当然ある。
違う形でその壁の先へ進むこともできるのだろう。
それは、その"困難"にもよるだろうから、方法はその都度変わるかもしれない。
それでも自身のその不恰好な生き様すら、死に際に誇れたなら。
それはこの上なく幸せなことかもしれないという淡い期待を抱いている。
後残りのある死に際を迎えないように。
事前にこの人生で予め準備をしておかなければ。
残りの生涯、その覚悟を持つ決心はついた。
ひろき