2019/06/27 旅に生きる ~地形考⑧~
※皆さまの投げ銭で旅に出る企画です
阿賀町シリーズ最終回。
三川インターチェンジのすぐ近くにある『若宮八幡宮』
ちなみにインター側からだと住宅地を抜けてちょっと走る必要があるし、神社が見える49号線側からだと細い道を曲がらないと見えるのに到達できない面白い立地にあるが、道路で分断されただけで深い意味はないと思う。
ところで『若宮』は全国にある。地名に由来したものではなく、
『八幡宮の御子神(子供)を勧請した神社』という意味が多い(違う場合もある)
八幡神は応神天皇なのでその子、仁徳天皇が祀られているということになる。
『日本海側に憧れる!』
それだけで新潟に来ました、はいおしまい( ゚Д゚ノノ"☆パチパチ
・・・・では短絡的というか尻切れトンボというか。
新潟県に入った瞬間の驚きを書いたように、『新潟県から福島県に戻る時の感情』を書かなければならない。
道路的なイメージでいえば長大なトンネルで超えて『暗い』まま峠を下る。
だがきっちり標高が下がりきらないまま、だらだらと宝川で福島県へと入ってしまう。
広がる景色もダイナミックな地形もなくだらしない49号線がはいずり回っていつのまにか阿賀川が左に見えてくるまでは、旅目的の人でも仕事で移動している人でも
『ハズレ区間』のようなポイントかもしれない。
地形やインフラと人の心がどれだけリンクしているだろうか?
正直仕事で関わっている人じゃない限り、
「ご苦労さん」
と橋やトンネルを労わって使っている殊勝な人はいないだろうし、鉄道が廃線になって「寂しい」「残せ!」と騒いでも
「あなたたちが使ってくれなかったからでは?」というド正論は避けられずヒットしてしまう。
結局『知覚』は光や振動や味覚などに対しての反応である。それに対して『微動だにしない』建造物が何を与えるのかと。
ところが冷たい壁に手を当ててみると何かが浮かんだり郷愁を抱いたりする。
それを霊的と結びつけるのも、まあいいのかもしれないけれども、なぜ脳が過去に体験していないのに懐かしさを覚えるような画像を見せるきっかけに、鼓動も血流もない建造物がなりえるのか?
ここの大杉は『環境省巨樹データベース』に入っていない(理由不明)
だが国道から見えるくらい巨大でこの小さい神社の存在感を圧倒的に増大させているご神木だ。
『木のぬくもり』と呼ばれる。
コンクリートより木のほうが命に近いのだろう。ではその『距離感』はどこが違うのだろうか?
まったくの推測、決めつけ、これを前置きして述べさせていただくと
『燃えること』
が命を感じさせることなのではないか?
木は燃える。たき火の燃料になる。家を建てても木造建築は消し炭になってしまう。
コンクリートは強い。だが燃えない。また道具を使い強い力で叩くか倒さないと破壊ができない。
ただのこの1点だけで人は距離を感じてしまい、温かみとありがたみの差別をしているのではないか?
中の神様からすれば別に祀ってくれればどうでもいいのかもしれない。
家も快適で雨露がしのげるならどっちだっていいのかもしれない。むしろ頑丈さからすればコンクリート製のほうがありがたい気もする。
それなのに人は消える、燃えるそういう事に儚さという風雅を感じ、詩を歌い文をしたため絵を描いた。
不老不死を求め水銀を飲んだり、子供の血を浴びてみたり、そういうことはなかった。
不滅ではなく『滅した後の平安』を望む。
これは浄土思想でありそのまま末法思想へと続く仏教の考えだ。
だが日本は『日本に都合の良いように変質させて飲み込む』ことで換骨奪胎してきた国だ。
仏教もどんなに正しくても日本にマッチしないものは捨てたし、逆に日本に足りないと思えば「釈迦はこう言いたかったのだ」と理論をつけたす。
日本式仏教とはなんだ?を乱暴簡潔に言い切ってしまえば
『日本人が納得するようにチューニングした仏教をベースにした宗教』
であって比較は無駄ではないが、日本人の心のありようを無視しても何も得られない。
仏教が入る前、その時の日本人の死生観は『無力なやさしさ』だったのかもしれない。
共同生活の上でどうしても障害を持って生まれた子供、怪我で動けなくなる人間、病気になる人間が出る。寿命は短いから介護問題はほぼなかったはずだ。
狩猟中心の生活しかなかった地域なら『捨てる』という厳しい選択肢を日常的にしたのかもしれない。
ヒルコの話は産まれても育てようがなかった子供は諦めてそうそうに川や海へ流した諦めの伝承だと思う。田村市で高齢の老人だと
「捨て猫は恨まれないように川に流した」という人に何人か話を聞いている。
ヒルコではないが命を遠ざけるのに『水に流す』のは日本人的な選択肢なのかもしれない。
水に流せばなんとなく全部チャラになったような気がするのは日本人に最初から備わっているDNAなのだ。
農耕もするようになり、稲作でいよいよ共同生活が強まると、弱い人間の面倒を見ていたのではないか?と思う。
もちろん何も医療器具も科学も発達していない時代であるから、薬草を与えたり、時には間違った治療をしたり。
ただ寄り添うだけだったり。
そして祈祷したり。
疱瘡をはじめとして病気の元も『神』で祀って病気を避けたりした。
それでも死体は出る。
人は考えるようになる。
「死んだらどうなるのか」
仏教が受け入れられた理由、そして仏教が入ったあとも神道も変わらず国教扱いであったこと。
これは『死後の回答』が仏教にあったからではないかと思われる。
地獄に落ちる=落ちないように清く生きよう
極楽へ往く=死んでも苦しむことはない。だから仏を大切にしよう
で、これもまた勝手な憶測、決めつけの前置きをしてのべるが、
『神』が武力などに頼らずともそこそこ民草が平穏であった拠り所であったが、それが死後の安寧も保証した『仏』へとシフトした。
ただ、こういう考えがどうしても時代が隔たりすぎた現代では『推論の域を出ない』こと、
『何かのカウンター的な発想になってしまうとそこに陥って抜け出せなくなる』
ことがある。
戦後は戦前のカウンター、では今はどうなのだろう。
戦後から脱却しようとしてるけれどまだ染まった生き残りがいて綱引きをしているような状態なのだろうか?
自分はそういう争いに参加はしたくもないし、する資格もないが、
何も言ってくれないけど雄弁に語っている証拠、地形を楽しむだけ。
その地形と心の動き、それを埋める理屈はなんなのだろうか?
その⑨に続きます→公開したらURL貼ります