父の言葉を受け、私の心の傷はより深まった
この文は、↓この記事からの引用。
この記事でもわかる通り、主に兄妹格差をつけた対応をしていたのは、母。
一方で、父の、子どもに対する思いとか考えとかはほとんど聞いたことがなくて、基本的に何を考えているのかわからない人だった。
唯一、兄がなかなか安定して仕事に就かないこと、必死に仕事を探さないことに対して、負の感情を抱いていることはわかった。
「働かないとかありえない」
「働かないとか許せない」
「働かないなんて理解できない」
怒りでもあり、呆れでもあり、諦めでもあり、疑問でもある、負の感情。
父から出てくる感情で、ここまで明確なものは稀で、相当強く思ってるんだなと私は感じていた。
そこまで思っているくせに、父息子関係が悪く、何年も何年も、直接自分から兄とコミュニケーションを全く取ろうとしない父に対して、私は苛立ちと疑問を抱きつつ、
母みたいに“人にはそれぞれのキャパシティがあるから”“引きこもりになるよりまし”などと、働かない兄に対して許容する父にはなってほしくない、と心のどこかで願っていた。
そんな父と、先日、2人きりで飲む機会があり、酔っ払いの父と、家族の話になった。
酔っ払ってるから、どこまでが本音かわからないけれど、聞いたことのない父の思いや考えを聞くことができた。
無職の兄の話のとき、最終的に父が放った言葉は、
「まぁいんじゃない?生きとるから。」
だった。
衝撃だった。
悲しかった。
父までそんなこと言うと思ってなかった。
兄に対して、散々怒って、呆れて、絶望した結果の、諦めの感情からくる言葉だったのかもしれない。
散々考えた結果の、息子に対する最大限の愛情なのかもしれない。
“ただ生きてるだけでそれでいい”は、
最大限の、無条件の愛情だと私は思う。
だから、父として、正解だと思う。
けれどそれを、娘である私に、こんなタイミングで、そんな形で、聞かせてほしくなかった。
私が両親から“無条件の愛情をもらったと感じたことがない”ことを知らないが故に、私に言える一言だと思うから。
父が、娘である私に対して、何をどう思っているかは、わからない。
どこまで期待していて、どこまでの結果を求めているのか、わからない。
けれど、私のこれまでの経験上、“生きてるだけでいい”わけがないことは、わかっている。
そこに関して、父は、私だけでなく、兄に対してもそうだと思っていた。
息子も娘も、生きてるだけじゃなくて、なにかしらの結果がないと認めない父親だと、これまでは思っていた。
そうであってほしかったのかもしれない。
私にだけじゃなく、兄にも同じことを求めてほしかったのかもしれない。
兄妹格差をつけるのは、せめて母だけであってほしかったのかもしれない。
でも、現実はそうじゃなかったらしい。
父にとっても、兄は生きてるだけでよくて、私には結果が必要らしい。
「早く兄に結婚してほしいんだよね。お姉ちゃんがほしいから!」
という私に、
「兄じゃなくて、自分はどうなの」
「兄はいいから、自分が早く結婚しなよ」
と、謎に私の結婚をゴリ押ししてきた。
結婚願望ないから。と何度言っても聞き入れてくれず、結婚ゴリ押しの姿勢は変えなかった。
「お父さんはお母さんのこと大好きなんだろうなって見ててわかるけど、お母さんはよくわかんない」と娘に言われてなぜか心底嬉しそうな父に、
「お母さんって愛情表現とかそういうの下手だよね」
と言ってみたら、
またなぜかちょっと嬉しそうに
「そう。不器用なのよ。」
と返してきて、
「そんな人のところにいる君たち子ども2人がすごいと思うけどね」
と言ってきた。
え?どういう意味?
何が言いたいの?
なんでそんな、“子どもたちは、無条件に承認されて愛されてるとちゃんと感じてる”
のが前提にあるような発言してるの?
不器用っていえば仕方ないの?
不器用って表現すれば許されるの?
無条件の承認と愛情を受けられずに大人になった娘は、人生の半分以上の時間、それが原因で死にたくなるほど苦しんでるんだよ?
私と兄が、もう13年以上も会話がない関係になっていることについて、
父は「もうそれは親の責任」と言った。
「申し訳ないけど、俺が妹とそうだからさ」
と、
“父自身の妹との関係が良くないことが原因で、その原因があるから仕方ない”かのような、そんなふうに聞こえた。
父と妹の不仲と、兄と私の不仲は、
全くなにも関係がない。
関係があるのだとしたら、責任もってどうにかしてほしい。
というかそもそも、
「親の責任」だと思ってるんなら、もうちょっとどうにかしようとしてよ。
何年放置してんのよ。
私と兄が全く喋らないことについて、今まで一度でも、親から話題に出したことありますか?ないですよね?
私は自分で、兄と話さなくなった理由や原因がわからない。
きっと、兄もわからないと思う。
これといったきっかけはなく、気づいたら何年も話していなかった。
だからこそ、私はどうしたらいいかわからない。自分がどうしたいかもよくわからない。
けれど、このままでいいと思ってるわけはなくて、どうにかすべきことだとは思っている。
この兄妹関係に、頭を抱えるほど悩んではいないけれど、私の心の中にある“根本的な苦しみ”の一部になってることは事実だから。
親が全くの無関係とは思わないけれど、別に私は親の責任だとは思ってない。
でも父親本人が“親の責任”とか言うなら、もう少し、何かしらあってほしいし、
何もしないなら親の責任とか言わないでほしかった。
これまで、父がなにを思っているのか、どう考えているのか、なにもかもわからなかったからこそ、勝手に私自身の願望を押し付けて当てはめていただけなのかもしれない。
勝手に期待して、勝手に裏切られた気持ちになっただけなのかもしれない。
私の被害妄想なのかもしれない。
親を悪者にして、自分を被害者にしたいだけなのかもしれない。
兄妹格差や親子関係について考えるたびに、
“どれもこれも、事実とは言いきれない”
と思う。
直接的な言葉や行動をぶつけられてきたわけではない。
“産まなきゃよかった”とか
“あなたは価値のない人間だ”とか
“親の望み通りの娘でいなさい”とか
“優れた結果がなきゃ認めない”とか
そういうことを、ハッキリ言葉にして言われたことは、一度もない。
あくまで、
親の機嫌や態度、間接的な遠回しの発言や言い回し、その時その時の雰囲気、空気感、、
それらを、私という人間が、自分のフィルターを通して受け取ってきただけ。
私のフィルターが汚れすぎているのかもしれないし、分厚すぎるのかもしれないし、変な方向を向いているのかもしれない。
受け取るのが下手すぎるのかもしれない。
そのせいで、事実として存在するものを、
歪めたり、嘘や偽りに変換したりしてしまっているのかもしれない。
それだったら、本当にごめんなさい。
でも。でも。
私という人間が、これまでの全ての両親の言動を私なりに受け取ってきた結果、
“深く傷ついた”
ということは、事実として存在する。
それだけは、紛れもない事実なのだ。
これは、わがままですか?
私の勝手ですか?
事実かどうかわからないことに勝手に傷つき
両親を悪者にして、自分は被害者ヅラして
ごめんなさい。
こんな私でごめんなさい。
生きててごめんなさい。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。