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バッテリーⅢ あさのあつこ 感想

マックの濃厚とろ〜り月見、みんな食べましたか!?私は食べました!美味しかったけど、期待しすぎたのか、思ったよりは…でした(笑)なんかソースの味薄くない!?もっと濃くていいでしょ〜!チーズはとろーりで最高だったけどな!!Youtuberが持ち上げすぎだよ~ハードル上がるからやめてくれ~(笑)

それより久しぶりに食べたファミチキが美味しすぎて驚きました(笑)ファミチキすごいよね。完璧な味がする。

さあて、バッテリーⅢなんだけどね、すごいね。巻を追うごとに、チューニング合わせるみたいに巧という人物が形作られていく。すごい。

そんでね。野球ってやっぱすごいわ。深い。野球は他のスポーツとは一線を画しているとおもう。というのもゲームの組み立て方や策略がねチェスや将棋のようなんですよ。私が他のスポーツをあまり知らないから、もしかしたら他のスポーツもそうなのかもしれないけどね。でも野球は特別と思うな。犠牲フライやバント、盗塁、これらはチェスのように考えて戦略として組まれるわけだけど、じゃあ思ったように盗塁できるかは、選手の実力による。つまりスポーツなんだよね。まるでギャンブル要素のあるチェスだね。思ったように駒が動くかわかりませんよ、って話よ。面白いわ〜。

もうさ、3巻は名言の宝庫でね。

あさのあつこさんの巧の描写が私好み過ぎて、目頭が熱くなるね。共感共感、共感の嵐。んでね、巧の豪に対する感心すら、共感な訳よ

Ⅲ巻のストーリー

展西たちに凹られた巧&沢。この事件のせいでまともに部活動せず部活停止になっちゃった野球部ですが、部活動が再開できるところから始まります。再開して早々、三年VS一年二年の紅白戦があります。これがメインの巻かな。三年相手に本気の球を投げる巧。一年バッテリーの力を見せつけ、三年には勝つのですが、展西達は「部活を辞める」と言い始め、それを聞いた校長に「やっぱり野球部は問題あり!部活停止!」と言われます。それで黙っていなかったのが三年キャプテンの海音寺。県内ベスト4の高校から試合の依頼があり、かつ善戦すれば部活停止をしないでくれと言います。まさか県内ベスト4の高校から練習試合依頼があるわけもなく、海音寺の狙いは、一年バッテリーを使って、県内ベスト4・横手のキャプテンを煽るというアイデアでした。これがうまくいって、非公式ながらも練習試合を汲めるところまでがⅢ巻の内容です。

見どころは、県内ベスト4の四番バッター相手にギア全開の巧と、球を零してしまう豪。手が震える豪を見て、次の球で、豪に遠慮して全力の球を投げなかった巧。それを「同情」と受け取り普段穏やかな豪が激高する。このあたりの二人の関係性や心理描写でしょうね。

私は女同士にはない友情が、男同士にはあり得ると思っています。バッテリーはその中の1つだと思います。ほかには、漫才師とかもそうだと思う。友情ではない、でも恋愛ではない、何か素晴らしいきずなが、男同士だとあると思います。

女にはないかと言われると、ないと思う。私も女だけど、ないと思う。

これは、あくまで私の考えだけど、女性は生態系として、子を孕み生んで守る存在だから、基本的に自分と子供を守ってくれる男性との絆を大事にするんだと思う。男は女を守るけど、生きていくために社会に出て狩り(今では仕事)をしなくてはならない。生きるために働かなければならないわけです。しかし一人では大きな獲物を狩ることはできないですよね。そこで仲間と力を合わせて大物を狩るわけだ。その時、男同士には達成感や協力、信頼といった絆が生まれるんじゃないかな。

女性は家庭を守るために、家庭以外のものを拒絶する。(敵から身を守る)

男性は家庭を守るために、外に出ていき、外界を許容し受け入れ、征服する。

この絶対的違いがあるから、女性にはない絆が男性同士にはあるんだと思う。

その一つの代表であるのが野球のバッテリーだと思うな。信頼、尊敬、友情。恋愛ではない二人だけの世界。

まだ幼い二人の”荒い”バッテリー関係が、なかなか胸に響くんですよ。

対等っていうのはね、お互いに尊敬しあっていないと成り立たないわけ。

簡単に言うけどさぁ、対等ってのが一番難しいんだよな。

人間、自分自身を一番コントロールできないのは心だろうね。感情。直感的に感じてしまうといくら否定しても、もう心を自分で動かすことはできないでしょ。だから対等ってのは作れないんだよ。ただそうあるべくしてそこにある。でもなるべく対等に釣り合うように、そしてそれが継続するよう努力することはできる。がんばれ、バッテリー。

愛について

巧の印象的な野球に対する思いの一説があります。

グランドという所は、ボール一つのためにある。一つのボールをめぐって、投げ、打ち、捕り、走り、野球というスポーツが成立する。それだけのためにあるのだ。それ以外のことはどうでもいい。どうでもいいことを持ち込まれたくないし、持ち込む気もなかった。

この一説とても好き。私好み。

ただ一つだけっていう極端さがね、とても私好みなんです。愛ですね。愛っていうのは極論だと思っているから。

愛の反対は平等だよ。愛ってのは差別だから。

だってなによりも対象を優先すること。最優先。常にベスト。天辺。ほかに比べようもない頂点。

一つのボールをめぐって、すべてがある。ただそれだけ。

巧の野球への愛が、ひしひしと感じられるこの文。涙さえ浮かんでくる。

他にもこんな一説も。

あそこに立つためには、何が必要なんだろう。野球への思いと誇りと力の他に、何がいるんだろうか。ごまかしだとわかっている話を黙って聞く、そんな忍耐心がなぜ、必要なんだろうか。気分が悪い。

野球を愛し、愛し方を本能的に理解している巧には、愛を誤魔化している周りの人間が理解できないんですね。本質だけを捕らえ、まわりのごちゃごちゃを見捨てることの難しさを、巧は知らない。だって、彼は天才で、本能的にできてしまうから、出来ない人間の言い訳を理解できない。

わかるよ。私もそうだった。本質だけ捉えてりゃいいんじゃんね。それが愛だ。でもさ、社会ってのはまやかしと誤魔化しでできてる薄汚いもんなんだぜ。巧、私とアンタは違うから、アンタはそのままでいてくれよな。

とか思いながら読んでいたら、同じようなことを豪が言っていて、ニヤリとしましたね。この女房役、なかなか世間が見えていて、いいバッテリーですよね。

さらにこんな一説も。

強いとか弱いとか、そんなことを言ってるんじゃない。今は試合の最中だ。目の前に行き交うボールひとつに、集中する。それってプレイするものの、最低限の礼儀じゃないか。誰に対しての礼儀なのかはわからない。しかし、グラウンドにいる以上、貫き通さなければならない礼儀なんだ。

この非常に強い表現のそこかしこに、巧の野球愛を感じますね。強くまっすぐなぶれない愛、感じます。

巧という唯一無二のキャラクター

巧のことを表現したこの豪の台詞。

「いやあ、損なんか得なんか、ようわからんけど、やたらまわりの者を感動させるか挑戦的にするか、なんだよなあ。自覚しとる?」

天才的ピッチャーである巧をうまく表現したこのセリフに、私は唸りましたね。天才を説明せよ。と言われたらこのセリフを書いておけば満点なんじゃないかというレベル。

好きですわ~。

豪が巧を表現する秀逸な一説はほかにも。

それでも、惹かれた。うかつに手を出せば、指先を焼かれかねない激しさは、絶対自分にはないものだからだ。

自分にないものを持ち、それがとても優れている。そのような他人を見た時、人は「尊敬」するんですよね。尊敬を説明せよ。と言われたらこのセリフを(以下略)

”指先を焼かれかねない激しさ”、炎が目に浮かぶようなとても美しい表現。こういう秀逸な文を読むと、言葉の無限の可能性を感じずにはいられないな。小説って素晴らしい。

そんな天才巧に、豪はこうも言います。

「自分の為だけに野球してるってのも、ある意味すげえなとは思うんじゃ、おれ。けど、チームのために泣いたり笑ったり怒ったりできる人ってのも、すごいじゃろ。おまえにはそんな能力ないもんな。おまえには、絶対できんことがほかの人間にはできる。そういうこと」

お前が天才なのもすごいけど、別のベクトルですごい人っていうのは存在するんだよ。巧。

お前はピッチャーという軸でいちばんてっぺんかもしれんがな、例えばほかの軸ではどうかな。ほかの軸でてっぺんのひとのことどう思う?

ちゃんと尊敬できる?

我儘で傲慢な天才でいいよ。自分が一番の軸に、プライドを持つのもかまわない。

でも人のこともちゃんと尊敬できる人物こそ”本物”ってやつじゃあないかね。

キャッチャーというポジション

わたしゃね、野球で一番好きなポジションはね、まごうことなき、キャッチャーですよ。異論は悪いけど認めないね。野球の見どころは攻撃ではなく守備だし、一番のポジションはキャッチャー。これは譲らない。

打たれない配球をし、だからこそ打席に立ったら来る球を読んで打つキャッチャー。漫画にしかいないって?いいんだよ、好きなんだからな!

プロ野球では、今は亡き野村監督が大好きだし、好きなキャッチャーはヤクルトの古田ですけど、何か問題が?好きなバッテリーはもちろん古田ー高津です。

ちなみに私はアラサーです。(笑)

そんでね、2年生元キャッチャー野々村に関して、豪に監督が言うこのセリフ。

「本音を言うと、野々村はおまえのことが羨ましくてたまらんのだ。嫉妬も少しは、あるかもしれん。けど、そういう個人的なこと全部飲み込んで、野球部に残ると言うた。あいつの度量の広さ、おまえなら、わかるじゃろ」「キャッチャーってポジションはな、自分より野球が好き、自分よりチームが好きってやつじゃないと、ほんとは務まらん

私は野々村が好き。豪が好き。それはキャッチャーだからってのはあるよ、もちろん。でもね、私の性格は巧のほうに似ているからね、あこがれるんだよね。自己犠牲、自分より他人を優先でき、度量が広く、視野も広く、周りをよく見ている。そんな、女房役にね。

いつも自分が一番注目されたくて、誰にも横に立たれたくない。

私が一番上に居たい。

この気持ちはコントロールできない。

だから、あこがれるんだ。ピッチャーじゃなく、キャッチャーに。だって私はピッチャーなら難なくこなせる自信あるもん。できることにあこがれなんかしない。自分自身にはあこがれない。

オトムライ(監督)が言うようにさ、自分より野球が好きな、そんな奴らにあこがれるんだよな。

でも自分が劣っているとも思わないよ。

誰かを感動させるか、挑戦的にさせるか、という表現を豪はしたけど。

誰かを動かす力が、私や巧にも、きっとあるからね。

豪や野々村と、そのやり方ややさしさの形は違っても、私たちは決して冷たいわけじゃないんだよね。なー。巧。


さて、横手との練習試合はどうなるんだろうね。Ⅳも楽しみ!

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