ドレッサーがわたしの暮らしを変える。・・・多分。
ドレッサー。それは幼い日のわたしにとって憧れの象徴だった。
母の部屋にあった落ち着いた色合いのどっしりとした立派なドレッサー。引き出しに手を伸ばせば、目をひく蠱惑的な色の口紅や、つやつやと小瓶の中で煌めくマニキュアたち。
何度か母が留守の時間を見計らって、小さな唇や爪にちょんと色を乗せてみたっけ。
わたしも大人になったら、ドレッサーでお化粧するんだ・・・!
そう信じてやまなかったのだが、実際お化粧をするような年齢になったら、ドレッサーの存在なんてこれっぽっちも頭に残っていなかった。
ドレッサーなんてなくったって、化粧や身支度は洗面台の前で十分まかなえたからだ。
先日久しぶりに母とランチに出かけた。帰りに家具やさんに寄りたいのだと言う。なんでも、木の枝の形のようなお洒落なコートかけが欲しいのだそうだ。
まあ、この後何か予定があるわけでもないしなあ。たまにの親子そろっての外出である。わたしは親孝行の気持ちで母の買い物に付き合うことにした。
大きな家具屋に着いた。
一面ところ狭しと家具や、生活雑貨が並んでいる。わたしは特に何か必要なものや欲しいものがあったわけではなかったけれど、実際の生活空間をイメージしてお洒落に並んでいるそれらを見ているとなんだか、わくわくしてきた。
ドレッサーがたくさん並んでいるエリアに差し掛かったときだった。
「ドレッサー、いる?」
ふいに母がそうわたしに尋ねる。
「え~買ってもらえるのなら、欲しいなあ。」
冗談半分にそう答えたが、振り返ると母は思いのほか真剣な顔で居並ぶドレッサーたちに視線を漂わせている。
「じゃあ、どれがいいの?」
これは、まさか。本気のやつかもしれない・・・!
ドレッサーがある生活。
朝、とび起きて洗面台でキューピー3分間メイキングがBGMとなりそうなせわしないお化粧ではなく、ゆったりと鏡の前に向かう自分。
今日はどんなメイクにしようかなあ、なんて1日の始まりを愛おしむ自分。
そして1日の終わりにまた、ドレッサーの前に座り、穏やかな気持ちでスキンケアする自分。
就寝前、そこで日記や読書をしても良いかもしれない。
良い。至極良いではないか・・・・!
何を隠そう、このわたし想像力だけは昔から豊かなのである。
去年は遠い存在であり、今年こそと鼻息荒く求める「丁寧な暮らし」っぽい気がする。
いや、もはや丁寧な暮らしには、ドレッサーの前で始まる一日が欠かせない気がしてきた。
「え、いいの?ありがとう!!」
言質はとった。
自分で買うには、ちょっと勇気のいる値段である。買ってくれるというならば、全力で甘えようじゃないのよ。
これまでこれっぽっちも自分の部屋にドレッサーがある想像なんてしてこなかったから、売り場で真剣に眺めたことなんてなかった。けれど、このうちのどれを部屋に迎え入れようと考えれば、視線に熱がこもる。
あの木、色が好きだなあ。
あれはいい色だけど、きらきらした取っ手は、あまり好みじゃない。
どうせなら、化粧だけに使うのではなくて、そこで本を読んだりもしたい。
そうなると真正面に自分の存在を感じながら、活字を追うのはさすがに落ち着かない。なので、三面鏡のタイプでぱたんと扉が閉じれるタイプがいいなあ。
今の自分の部屋の広さも考慮して、あまり大きすぎるものではなくて少し小ぶりなものがいい。
椅子の形は、あのフォルムが好み。
そして、ようやくたくさんのわたしのこだわりをかいくぐって、これだ!というものを選び出した。
「めっちゃにこにこしてるやん。」
そう母は、あきれたように言う。
「え?」
頬に手をやる。たしかに口元が緩んでいる気がする。
良くも悪くも、わたしは家族の前では素でいるので、職場や友人たちの前でのようににこやかでいようと努めたりはしない。
なので大人になってから、もしかするとわたしは親の前であまり笑顔を見せていなかったのかもしれないな、なんて思いほんの少し申し訳なく思った。
買ってもらえるってなったら、にこにこするなんてゲンキンな。
母のあきれ顔からそんな声が聞こえる気がするけれど、その通りなのでぐうの根もでない。
手続きを終え、我が家に配送される日が決まった。
しかしわたしのこのままの部屋ではあらゆるものが空間の中で主張し、また支配しているので、このクローゼットは置けない。
そうして、わたしはこれまで片付けを後回しに後回しを重ねた自分の部屋をようやく整えることにした。
あちこち、引っ張り出して片づけるたび、わたしは途方に暮れる。
なんでこうもわたしはこんなに多くのものを所有しているんだろうと。引っ越すたびにもっと数少ないものの中で暮らしていけたらと願うのに。
捨てはできないけどかといって有効活用出来ていない大量に出てくる絵ハガキとマスキングテープたちには、もはや自嘲気味の笑みさえ浮かぶ。
毎回素敵なデザインを見つけるたびに、気が付いたら手に吸い付いているから不思議なんだよなあ。
もうしばらく買うのやめよう、とその多さに閉口したりしながら、手を動かしていく。
無くしたと思っていた眼鏡や買ったままにしていた本など数々の行方不明者たちが救出されたので、たまにはちゃんと掃除をするもんだなあ、なんて改めて思った。
多少はもう着ないであろう服を処分したり、いらないものを捨てたりはしたが、最後の方には、時間がなくなってきてとりあえずクローゼット等に見えていたものを押し込んで、体裁を整えたという方が正しい。
とにもかくも、わたしの部屋は近年まれに見る綺麗さになった。
いざ、お部屋に迎え入れたクローゼット。
正式にわたしの持ち物になった、クローゼット。お店で見ていたときよりも、一段と可愛らしく見える。
これからは、ここでお化粧をして、ここで本を読んで、ここで文章を紡ぐのだ。
待ってて、丁寧な暮らし・・・!!