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ありふれたカレーが救った、ある日の夕方。

カレーが好きだ。
まあ一口にカレーと言っても、欧風カレー、インドカレー、キーマカレー、家庭的なカレー、給食のカレーと多種多様であるんだけど、わたしはカレーと名がつくものなら満遍なく愛している。

ある日の仕事帰り、どうしてもカレーの口と化してしまった。

きっかけは、ほんの些細なことだった。
松屋か何かのチェーン店で窓際に座っていたサラリーマンのおじさんがカレーを食べていた。
彼が美味しそうに、とか期間限定の、という枕詞がつくわけでもない。
ただ、それを一目見た瞬間、気付いたらわたしはもうカレーに取り憑かれていた。

妊娠中のつわりという非常事態において、
食べる、という行為は何においても最重要事項となった。

少しばかりの空腹を我慢をすれば、みるみる間に不快、そしてつらさといった、苦しさへと変貌していくから。
ひとたび、「しんどい」の波に飲み込まれると、もうだめ。何もかもに嫌気が差し、心まで黒く塗り潰されてゆく。

食べたい、より食べなければ。
ここ最近、食は純粋な楽しみとしてではなく、どこかせっつかれるような強迫めいた欲となっていた。


ああ、カレーが食べたい。

久しぶりの食に対する純粋な欲を満たそうとほんの僅かに気持ちが上を向く。しかし、明瞭な意思とは裏腹に改札から出ようとした歩みは止まる。

いくつかの行きつけのカフェや喫茶店、飲食店を脳内に展開させるも、そのうちのどこにもカレーを思い描けなかったのだ。

…さて、どうしたものか。

この食べたい欲は今感じるもので、しばらくしたら消え失せているのかもしれない。
そうすると、この感情は一刻を争うのでスーパーで食材を買い回り、自らカレーを作るという選択肢はない。

今まで、目にもくれなかった、駅構内の立ち食べ形式の飲食店が視界に映る。
そして、券売機に並んだ文字の一つ、「カレー」が目に飛び込んできた。

サラリーマン、それもおじさんと呼ばれるような年齢の方々が次々と吸い込まれる店内。
一昔前のわたしなら、なんだか場違いな気がして躊躇しただろうし、入ろうとも思わなかっただろう。

しかし、この日は微塵も迷わず店内に足を踏み入れた。

食券を購入し、恰幅の良いおばちゃんに差し出す。すぐに提供される、カレーが乗った銀色のトレイ。

どこか無機質で簡素なそれは高校の食堂を彷彿とさせた。



周りにいるのは、ただ一心に食べる人たちだけ。

店内は会話も何もなく、食器が触れ合う音とおばちゃん店員さんの声と厨房の音だけが雑然と響く。

リラックス、とか癒し、とかは無縁なただただお腹を満たすためだけの空間。


目の前の何の変哲もない、あまりにもありふれたカレー。なんなら、どこかのサービスエリアでそっくりそのまま同じカレーを食べたかもしれない。

視界に収めるのも程々に、スプーンで一口すくう。

求めていた適度な刺激が口内を揺らす。
見知ったカレーは、どこか安堵にも似た気持ちと共に胃に滑り落ちた。

何も考えず、ただスプーンを動かす。

大丈夫。
わたしは大丈夫。
お皿の底が半分見えた頃、唐突にそう思えた。

わたしは美味しいものをこうやって美味しいと感じられているんだから。

明日への活力、とまではならずとも、今のへしゃげそうな心を立ち上がらせてくれた、ありふれたカレーライス。

どんな状況になろうと食べることはわたしにとって、やっぱり生きるエネルギーなのだ。


#カレー #フードエッセイ
#妊娠
#つわり
#これは10週目くらいのときに書きました !


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