それは日記のはしっこに。
ー仕方ない。
だって忙しいし。
わたしはずっと知らぬ間に自分にそう言い聞かせて、気持ちに蓋をしていたんだなあ、
そう、気付かせてくれたものがある。
*〜*〜*〜*〜*〜
その日は、お買い物をして、ご飯(野菜を煮込んだだけのスープだけど)を作って、洗濯をして、簡単に床掃除をして、お風呂に入って、読書をして、一日の終わりに振り返りの日記を書いた。
一見すると何てことのない、そこかしこにありふれた夜のルーティン。けれどわたしにとっては上出来だった。
というのも、普段のわたしの帰宅後の行動は、とても褒められたものじゃないからだ。
ベッドを背もたれにして、だらーん、としたり、しなくてもどうにかなる家事は後回しにしたり。
えいっ、とたまたまその日は、きちんとやるべきこと、したかったことが出来た、わたしにとっては珍しい日だった。
この上ない充足感を感じたわたしは、書いていた日記の終わりの余ったスペースに、ぐるぐる花丸を描いてみた。
ーもちろん赤ペンで。
そしてその花丸の下に、いつも仕事で、子どもたちにそうしているように、言葉も添える。
「よくできたね」
ほんの、出来心だった。
何をしているんだろう、わたしは。
書き終えてしげしげと眺めていると、ふふっとなんだかちょっと笑えてくる。
ちょっと笑って、そしてその瞬間、
花丸が雫で滲んだ。
え、あれ、なんで....?
目頭が、熱い。どうして目頭が熱いんだろう。
「仕事、頑張ってるんだし仕方ないよ。」
楽、に流れてしまう自分を容認して、
「帰ってからいろいろやるなんて、無理。」
「仕方ない」という言葉で妥協して。
仕事でのわたし。
プライベートでのわたし。
平日、後者のわたしはどんどん置き去りにされていった。
本当はしたいことがあるのに。もっとしなきゃいけないことがあるのに。
「仕方ない」そんな言葉を隠れ蓑に、わたしはわたしを小さく小さく裏切り続けていた。
本当は、毎日自分で料理したものを食べたかった。
本当は、お気に入りの家具を揃えたこの部屋をちゃんと綺麗に保ちたかった。
本当は、家事だって、曜日ごとに自分で決めたものをちゃんとやりたかった。
本当は、毎日ちゃんと振り返って言葉にしたかった。
そうして、自分のしたいことに気づかないふりして少し乾いた心に、不意打ちの「よくできました」の花丸は、いとも簡単に染み込んでしまったのだ。
自己肯定感とは。ーわたしってすごい。
まあ、こんなわたしだけど、いいよね。
そう、ありのままの自分を認めてあげられるということは、自分を信じてあげられるということ。
自分を信じてあげられるということは、
自分で自分の可能性を見出せるということ。
したいことを隠して、楽な方に流される自分を
認める、ということじゃなくて、
「やればできるやんか。」
きっとわたしは、ちょっと頑張る自分を、自分で認めたかった。
一つ一つの小さな自信が、いずれは丸ごとの自分を認めることに繋がるのかもしれない。
〜*〜*〜*〜*〜*
この日以来、わたしの日記の端っこには、
ちょくちょく 小さな花丸が踊ることとなる。
こんなことが出来た。あんなことが、出来た。
よく出来ました、わたし。
小さな自分との約束を守ること。
そして、出来たことをちゃんと自分で認めてあげること。
わたしがきちんとわたしを好きであるために
大切にしたいこと。