「風が気持ちいい」のかっこいい言い方。
茶室に入った瞬間に、あれ、とほのかな違和感を抱いた。
それもそのはず。
先月までぽっかりと畳をくり抜いて、備え付けてあったはずの炉がない。その場所は何事もなかったように畳になっていた。
その代わり、勝手付けに近い方の畳の上の釜でしゅんしゅんとお湯がたぎっている。
風炉、である。
5月からは気温が高い時期は、こうして畳をくり抜いた「炉」から畳の上でお釜を沸かす「風炉」に切り替わる。
前回前々回と、用事と体調不良とお稽古に行けない日が続いてしまい、今日は久しぶりの茶道のお稽古。
いつもより格段にぎこちない動きになっており、ああ日にちが空いたから作法が身体から抜けてしまっているんだ、なんて思ったけれど風炉に切り替わったことで、様々なお道具の置き場所が変わったせいだと気づいた。
中でも自分の中で混乱を極めたのは、釜や水差しからお湯や水汲む、柄杓の扱い。
「これは切り柄杓。」
「今のは、置き柄杓。」
「今のは、ひき柄杓。」
と、先生に説明してもらいながらこんな動きで、と教えられるままに身体を動かすが、正直どのタイミングでどんな柄杓の扱いをすれば良いのかよく分からないままお点前を終えてしまった。
この日のメインの和菓子は、丸い餡子が鮮やかな葉っぱを模した練り切り がくるんと包まれている。そしてその上にちょんと乗った淡い緑の丸い粒。
…これは、確か虫の卵だったはず。
去年もこの時期に出てきたのだろう、なんだか見覚えがあるけれど、何という名前だったか忘れてしまったから先生に聞いた。
今回の和菓子はそんな、「落とし文」
4月後半のお稽古で出てきたお菓子はは薄桃色と黄緑色の半分ずつの色合いの練り切り。まるで葉桜のような和菓子だった。
お稽古に来る前は、5月下旬である今日のは、紫陽花かなあと予想しながら来たけれど、予想が外れた。
春は桜、たんぽぽ、筑紫。
そして初夏はこいのぼり、ツバメ、若葉。
続く梅雨の時期は紫陽花、カエル。
わたしの中の歳時記はあまりにも乏しい。
来年こそはその中に、お、そろそろ「落とし文」の時期だなあ、なんて加わっていたらいいな。
季節を感じる草花や生き物をたくさん知っていた方がきっと毎日が豊かになるに違いない。
きっとそれは教養という概念を超えたところにある、日々を愛する感性なのだ。
床の間に飾られているお軸も最後の文字は風かな、とだけ読めただけで、どういう意味か分からなかったので、帰り際なんと書かれてあるのか先生に聞いてみた。
「歩々起清風」読み方は、「歩々(ほほ)清風を起こす」
つまりは、「歩いたら風が気持ちいいよ」ということらしい。なんとも今の季節にぴったりのお軸だ。
お稽古を終え新聞紙に包まれた「お土産」を小脇に抱えながら、先ほど聞いたばかりの言葉「歩々、清風を起こす」と小さく声に出して歩いてみる。
太陽の光が徐々に力を増してきた今日この頃。しかし確かに、歩けば頬に当たる風がなんとも心地よい。
「風が気持ちいい。」
そう言葉にするのも悪くはないけれど、
「歩々 清風を起こす」という語感の方が何やら爽やかさが増す気がする。
茶道のお稽古に行った帰り道は、毎回こうやって心に風が通り抜けたようなどこかすがすがしい気持ちになるから不思議だ。
家に着き、そうっと「お土産」を開いた。
ー未央柳(ビヨウヤナギ)、柏葉紫陽花(カシワバアジサイ)、七段花(シチダンカ)
お裾分けしていただいたのは、先生のお家のお庭で育ったお花たち。いずれもその日初めて名前を知ったばかりだ。下二つは紫陽花の仲間だという。
紫陽花、大好きな花のはずなのにあまり種類について知ろうとしなかったな。
今度、紫陽花に出会ったらなんという名前なのか調べてみたい。
季節感溢れる茶室に感化され、何気ない四季の移り変わりを味わってみようという気持ちが芽生えているのかもしれない。
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