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家庭訪問先でステーキを食べて泣いた話。

「さあさ、もう焼き上がりますんで。」
玄関で靴を脱いでいると、にこやかにそう言われた。

もう、焼き上がり、ますんで・・・?

漂う焼けるお肉の、暴力的なまでにそそられるいい匂い。お昼に食べた給食はすっかり消化し終えている。ほどよく空っぽの胃が、物欲しげにきゅるきゅる動く。

・・・ちょうどご夕食の準備中だったのだろうか。タイミングが悪くて申し訳ない。早くお暇しなければ。
そんなことを考えながら案内されつつ、部屋に続く廊下を歩く。

「さあさ、先生、こちらです。」
そして通されたのは、居間のダイニングテーブルの真ん中。目の前にはほかほか湯気の立つ白ご飯と、彩り良いサラダ、お味噌汁、
そして、メインディッシュである、ででーんと大きいステーキ。

・・・・?!

「えっ先生も一緒に食べるの?」
隣の部屋でゲームに興じていた、Aくんが目を丸くして振り向く。うん、びっくりしているのはわたしだけでなくて良かった。
「えっ何で???」
ーそう彼の口から飛び出すのを待つ。
ところが、予想に反して、「やったあ!」と満面の笑み。よく分からない事態を、すんなり受け入れたAくんと、すっかり置いてけぼりにされるわたし。

これは、わたしが先生になりたてだった頃の話である。

その日は、担任しているAくんへのお家への家庭訪問の日だった。家庭訪問といっても4月に初めましてを兼ねて、学級の全家庭を回るやつではない。

年度途中の家庭訪問といえば、いじめなどの生徒指導案件、不登校児童の対応、ちょっとややこしくなりそうな案件の話、などの場合が多い。
けれど今回のAくんお宅訪問では、そのうちのどれでもなかった。しかし家庭状況のことも踏まえた話だったから、電話で話すより直接直に会って話す方が良かろう、という主任さんの判断により、こうしてやってきた次第だった。

今後のことをお話する、15分ほどの滞在のつもりだった。


「ありがとうございます、お気持ちだけいただきます。」
「そんなそんな・・・申し訳ないですから。」
「いやもう、ほんとお気遣いなく。お気持ちだけで結構ですから・・・!」
必死の辞退を試みたが、わたしが来る時間に合わせて用意していただいたのは明白で。
むしろ、ここはご厚意に甘えない方が失礼なのでは?と思い直す。
断じて断じて、目の前に並ぶご馳走に目がくらんだわけでは・・・ない。多分。

そして、わたしというイレギュラーメンバーを加えて早めの夕食を頂いた。

思いもよらない事態に緊張し、味がほとんど分からない、なんてことは一切なく、サラダ、ステーキ、ご飯どれもすごく美味しかった。
分厚いお肉はもちろんのこと、付け合わせの玉ねぎもタレがしっかり絡んでいて絶妙な甘辛さで、ああ~ご飯がすすむなんて思いながら箸をすすめる。

普段のAのクラスでの様子などを和やかに話しつつ、ほとんどの食器が空になりかけた頃だった。

「Aね、『先生が、学校ではお母さんやねんて。』って一緒に寝るとき、何度も言うんですよ。」

ふいに、お家の方がそう切り出した。
当のAくんは、気恥ずかしいようなちょっと気まずいような複雑な顔をしながら、ポテトサラダの人参をお皿の端によけている。

「そうやって言っていただいてね、本当にありがとうございます。『そうやね、学校には先生があんたのことしっかり見てくれているし、お家に帰ったらばあちゃんじいちゃんがいるんやから大丈夫やで』っていつもAにはゆうてますねん。」

Aくんは、幼い頃に母と死別している。
そしてそのときは、事情があって祖父母宅で育てられていた。

「先生が学校では、お母さんやから。」

Aくんのご家庭のそんな事情を知り、確かにそう言ったのは覚えている。
・・・まだお母さんが恋しい年齢なのに可哀そうに。彼のお母さんには、到底及ばないけれど、学校では頼ってくれたらいいな。そんな思いから来る、本当に何気ない言葉だった。
先生になりたてで、何も深く考えていなかったからこそ、さらっと言えた言葉だとも言える。

そんな何気なく発した言葉を、そうやってお家で幾度も話題にしていただいていたことを知り、嬉しいような、けれど自分は学校でのAくんの母親代わりと言えるくらいに彼としっかり向き合えているんだろうか、という申し訳なさの混じった複雑な気持ちになった。

そして食事の後は、本来の目的であったお話をしに別室に移ったが、何故かその前にAくんの幼い頃のアルバムを見せて頂けることになった。

あどけなくて可愛らしいAくん。
そんなAくんを彼とそっくりな目元で微笑んで抱くお母さん。

お仏壇にいらっしゃる写真立ての中で、同じ笑顔で佇むお母さん・・・。

「あの子もずっと、一緒にいたかったやろうにね。けど、この子もいろんなことを気にかけてくれる優しいほんまにええ子に育ってくれて。こないだも、こんなことがありましてね・・・・。」

そうしてぽつり、ぽつりと話してくれたAくんの話を一言も聞き漏らすまい、と耳を傾ける。

最後に、
「わたしらも至らんところが色々あるでしょうけども、今後ともよろしゅうお願いいたします。」
そうおっしゃって、彼の祖母はこちらが恐縮するほどに深々と頭を下げた。

ーー何十も年下の若造のわたしなんかに。

「こちらこそよろしくお願いいたします。」と、わたしもまた深々とお辞儀し、お家を後にした。

まだほんのり残るステーキの余韻を噛み締めながら、思った。

クラスの子一人一人に、そのご家庭の積み重ねて来た歴史とその裏にたくさんの想いがある。
そして経験が浅かろうが、出来ないことが多かろうが、そんなこと関係なくわたしはこの子の先生なんだ。


先生を目指そうと思ったとき。
教員採用試験の合格通知を受けとったとき。
受けもつ子どもたちと初めて出会ったとき。

それは、これまでのどんなときよりも、その事実がずしんと胸に迫ってきた瞬間だった。


先生として未熟である不甲斐なさなのか、頼りにしてもらえる嬉しさなのか、もっと頑張らなきゃと自分に対する鼓舞の気持ちなのか、なんだかいろんな感情が混ざりあい、目の前がぼやける。

濡れた頬を乾かすように自転車で風を切って走った。


もちろんこれは、コから始まるウイルスが流行るなんて予想だにしていなかった時代の話である。

流行ってすぐの一斉休校が明けた頃は、年度初めの家庭訪問はもちろん実施されなかったし、今もなお家庭訪問といっても、ほとんどのお家が玄関、もしくは家の前でのご挨拶といった形になってしまった。



家庭訪問に行ったら、まさかのステーキをご馳走になる、なんて経験はあれがきっと最初で最後なんだろう。


#エッセイ #小学校の先生 #エッセイ部門

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