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平凡な夏休みの一日。1978~80年夏の記憶を脳ミソ振り絞って綴ってみる

(カバー写真はWikipediaより)

夏休みも半分を過ぎました。児童・生徒の皆さん、宿題は順調に進んでいますか?(noteの読者はそんなに若くないかw)

1978年8月に香港に引っ越した小学生当時の私は、ちょっと損をした気分になりました。
香港日本人学校の夏休みは、日本の小中学校と比べて短いのです。
もっともその分、春休みが長いのですが。春は人事異動の最盛期ですからね。
日本の小中学校の場合二学期が始まるのはほとんどが9月からですが、香港ではその数日前から始まります。

そんなわけで香港一年目の夏休みは実質3週間しかなく、宿題がないにもかかわらずあまり遊びをエンジョイした記憶がありません。
単に忘れているだけなのわかりませんが、家族で出かけた記憶もあまりないのです。
まだ治安も良くなかった時代ですから、一人であちこち出かけるのもはばかられました。なにしろ言葉が通じないですし、道に迷ったら大変なことになります。
結局家でテレビのチェックばかりしていたような覚えがあるだけです。それはそれで楽しかったんですけどね。

そんな香港生活も2~3ヶ月もたつと、すっかり馴染んでしまいます。
休日の娯楽の中心はテレビでした。

日曜日にはRTV麗的電視の英語チャンネルで「Japanese hour」というプログラムがあり、日本のドラマをそのまま放送していました。つまり広東語吹き替えではない生の日本語のセリフが聞けます。
もっとも、そのドラマの内容といえば「ケーキ屋ケンちゃん」「水もれ甲介」といった具合で新しいドラマは皆無でした。

香港に事務所や工場、店舗を持つ日本の会社、例えば日立、トミー、YKK、大丸や和食レストランなどが共同でスポンサーになっていましたが、さすがに今はもう放送していません。
広告代理店は中央宣興の香港法人でしたが、日本の本社は10年くらい前に破綻してしまいました。

1980年には無綫電視明珠台TVB Pearlで同じような日本語放送「Sanyo hour」、つまり三洋一社提供でドラマ「大都会」の放送も始まりましたが、こちらはあまりみませんでしたし、長くは続かなかったようです。
そして驚くべきことに後年、「Japanese hour」プログラム自体がRTVからTVBに移るという日本ではまずありえないことになったのでした。

こちらは93年放送の Japanese hour提供スポンサー。↓


さて、二年目の夏ともなりますと大分余裕が出てまいります。
宿題を終わらせていないという罪悪感に駆られながらも、所詮は小学生なのでやはり遊ぶことが第一になります。

元来インドア派の私ですが、夏ですから海もプールも楽しみの一つです。
香港島のビーチと言えばすぐに淺水灣の名前が挙がると思いますが、私の記憶では多分2回くらいしか行かなかっただろうと思います。ここは当時から超有名ビーチで人が多く、行き帰りの道路も大変混み合います。
それを嫌ってか、父に連れられていくのはいつも大浪灣でした。
当時の大浪灣はとても空いていて、泳ぐ人も少なかったように思います。

ある日、喉の調子が悪くイガイガが治まらない憂鬱な朝があったんです。ブランチのあと「海に行く」と言われ、今ひとつ気乗りのしないまま父の車で出かけました。
現地に到着してしばらくすると、あーら不思議、喉のイガイガがいつの間にか消えているではありませんか。空気がきれいなんですね。
すっかり気を良くして帰途に着いたのですが、自宅に着いた頃にはイガイガが復活してしまい、ガッカリです。
転地療養ってこういうことなんだな、と思いました。
大浪灣は今はサーフィンスポットになっているらしいので、さぞかし混んでいるんだろうなぁ。

どこのビーチかは記憶にないのですが、香港日本人倶楽部主催の半日ツアーもありました。
これは乗船定員100人くらいの船を一艘借り切ってあまり人のいないビーチに行くもので、船にはWATERTOURと書いてありましたから天星小輪所有の船を借りたんだと思います。
偶然同じクラスの友達が参加していたこともあったりして、やっぱり友達と海で遊ぶのは楽しいものです。

ビーチ以外で泳ぐとなると当然プールということになります。
香港島で市民プールと言えば維多利亞公園に行く人が多かったのですが、日本人駐在家族にはあまり評判が良くありませんでした。
なにしろ人が多く、長く香港に住む友人からは水が汚いとさんざん吹き込まれました。ひどいヤツになると「乞食の風呂」とまで言い出す始末(入場料がかかるプールに乞食がいるわけない)。結局、私はついぞ維多利亞公園で泳ぐことはなく帰国しました。
当時の日本では夏休みに小学校のプールを開放することが一般的でしたが、香港日本人学校ではそのようなことはありませんでした。そもそもプール自体が狭かったせいもあるかもしれません。

かわりに私が泳ぎに行ったのはHong Kong International Schoolのプールです。もちろん私一人で行けるところではなく家族で、ですが。
HKISは大潭にあり、夏休みにはプールを一般開放していました。
ここでは受付、監視などすべての業務を生徒が行っていて、先生らしき人の姿は見かけませんでした。
あまり宣伝めいたことはしていなかったと思いますが、おそらくは穴場として口コミで知られていたのでしょう、日本人の利用者もチラホラ見かけました。
ただ、ここのプールは水深が2メートルくらいあって足が着かないのです。最初のうちはこわごわで、プールサイドにつかまったままバタ足なんぞをしていたのですがそのうちに慣れてしまいました。
慣れてしまうと今度は潜るのがおもしろくなり、プールの床に足を着けられるまでになりました。「水泳」が楽しいと思うようになったのはこの頃からなのかな、と今にしてみれば思います。それまでやっていたのは水泳ではなく「水遊び」のレベルだった気がします。

さて、日曜日だからといって父が毎週毎週海やプールに連れて行ってくれるわけではありません。どこも行かずに一日家でのんびりすることもあります。台風が来たり、雨が丸一日止まない日もあります。
そんな日は大体午前中からテレビの視聴ということになります。

私は昔から朝が苦手であまり早起きは出来ないのですが、少し早起き出来た時はテレビまんが、つまり今で言うところのアニメをみることがありました。RTV麗的電視には「小朋友星期美點」というアニメのプログラムがあって「神勇小飛俠」(科学忍者隊ガッチャマン)などの日本アニメを吹き替えで流していました。主題歌は日本語のままでしたので、子門真人の唄う「誰だ、誰だ、誰だ~!」はよい目覚まし?になりました。

ちなみにRTVでは平日夕方にもガッチャマンの放送が観られたのですが、こちらはUSA版で設定やキャラクターが少し違っていて、中文題名も「星球大戰」になっていました。

その後は先述の「Japanese hour」でドラマをみるわけですが、これは楽しみというより惰性でみると言ったほうが正しかったかもしれません。
Japanese hourが終わっても引き続きテレビをダラダラみるのですが、なかでもHarold Lloydのコメディはとてもおもしろく、欠かさずみていました。放送時間は大体20分くらいでそれほど長くはないのですが、テレビにかじりついていました。

↑またこの番組がみられるとは。いい時代ですね。

テレビがつまらなくなると今度は読書か、プラモデルの製作に勤しみます。
そんなこんなで、宿題はいつまでたっても手つかずで終わらないのです。
夏休み、日本より短いのに…。



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