見出し画像

「日本人の法意識」(著:川島武宜)を読む

昨年9月頃に"産業医の資質"にも大変参考になる書籍として、
しばしば引用した書籍です。

大変な名著であると感じましたので、是非この度ご紹介します。

本書はそもそも前書きから強烈です。

「社会行動の次元における法」と「書かれた法」とのあいだの深刻重大なずれを生じている
言うまでもなく、 明治憲法下の法典編纂事業は、まず第一次には、安政の開国条約において日本が列強に対して承認した屈辱的な治外法権の制度を撤廃することを、列強に承認させるための政治上の手段であった。

(本書が書かれた1960年代、)日本において、道路交通法を始めとして、「社会行動」と「書かれた法」には重大なずれが生じている、と論じます。(労働基準法もそうでしょう。今でも大きなズレは存在します)。
そして、なぜ社会行動と法律にずれが生じてしまっているのか、について、そもそも「法律が屈辱的な治外法権の制度を撤廃するための政治上の手段になっていたためである」と論じます。
すなわち、日本的価値観から法律を作り上げたわけではなく、必要に迫られて列強に対する壮大な飾りとして作り上げられたものだからだと言うのです。

そもそも西洋的価値観に基づく法律というのは「白黒」はっきりつけるための道具であるわけですが(これは権利とも密接に関係するわけで、本書で言及されていることの1つです)、
日本ではそういう方法は協同体に対する挑戦として望まれませんでした。
日本ではむしろ「話し合い」すなわち(村の有力者が委員となる)「調停」という方法が望まれたのだと論じます。
しかも「調停」には「法律を持ち込まない」という暗黙のルールすら存在していたというのだから驚きです。
(そして最終的に協同体の中で「丸く納め」「水に流す」ことが最良の方法とみなされてきました)

これを実感する形として、私達は、大岡裁きによる名奉行が好きではないでしょうか。
大岡裁きでは法律だけで裁くことはありません。
そうではなく、人の心に沁み入る、そんな裁きをみることができます。
(例:三方一両損、帯久など)
(帯久では、ルール(法律)を守りつつも、人の心も大事にするお裁きを見ることができます)

そういうわけで、私達の生活に、DNAに刻まれている生き方、と西洋的価値観をほぼそのまま輸入した法律とには重大なズレを生じてしまっているわけです。

そして「職場」という点においても、参考になる記載はあります。
そもそも日本における終身雇用制というのは、"小作"から続く家父長的労働関係であり、
地主はいつでも小作人から労力奉仕を要求できる そのかわりに
地主は小作人に対して恩恵的贈与「恩」 を与える
そういう関係がずっと続いてきているのだと論じます。
これはまさしく
「長時間労働を要求する」かわりに
「高額なボーナス、長期に就労したものに対する恩恵的長期休暇」という「恩」を与える、
という家父長的労働関係制度そのものなわけです。
そして日本における労働契約をメンバーシップ型、と呼びますが、本書では
不確定・不定量の義務の関係が成立』していると論じています。
この義務の関係こそが日本の労働関係を良く表しているように感じられます。


実務に直接役立つ書籍ではありませんが、何故日本では労働基準法を無視した働き方がヨシとされてきたのか、それが垣間見える書籍となっています。
非常にオススメです。


その他の参考文献

日本における社会行動と法律のズレについて、もう少し簡単に読みたい方は
『数学を使わない数学の講義』(著:小室直樹)

日本の労働契約が今後どうなるか気になった方は
『現代社会はどこに向かうかー高原の見晴らしを切り開くこと』(著:見田宗介)

をオススメします

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集