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生きた鶏を自分の手で殺した経験から気付かされた『人が向き合うべき事実』

以前、自分はこの手で生きた鶏を殺しました。

シンガポール在住の中華系の友人がマレーシアで計画したサバイバルイベントに参加した際に、まさか自分がこの手で生きた鶏を殺す事になるとは思いもしませんでした。

しかし、この経験は自分の生命に対する価値観に大きな影響を与えてくれ、今の世の中を見る目が変わる程の衝撃的な体験だったので、ここに綴ります。

ある日、友人がマレーシアで2泊3日のサバイバルイベントを計画しており、「来ないか?」と誘ってくれたので内容も聞かずに「いいよ、参加で!」と即答しました。

友人は他の知り合いにも声を掛けており、当日集まったのは系15名程度。
2/3は既に顔見知り、残りは初対面というグループでした。

マレーシアのサバイバルイベント先に到着すると、早速みんなでテントを建ててジャングルを探索開始。

途中、大量のヒルに血を吸われて心地悪い体験もしながらも、川に飛び込んだり、変わった鳥や猿と出会ったりしながら楽しくサバイバルイベントが進んでいきました。

夜になると火を焚き、満天の星を見ながらご飯を食べていました。
サバイバルイベントのスタッフ曰く、熊や虎が出る事もあるので火を絶やさない方が良いと言われたので、持ち回りで火を管理し続け、何事もなく次の朝を迎えました。

その日はピクニックがてら薪を拾いに行ったり、昼食を食べたり、猫と遊んでいたりとのんびり過ごしていました。
サバイバルイベントのスタッフが突然元気な鶏を2匹連れてくるまでは。。

何をするのかと聞いてみると、これから夕食の準備に取り掛かるとのこと。

少し時間を置いてから、サバイバルイベントのスタッフが突然みんなにアナウンスし始めた。「今からこのグループで鶏二匹を締めてくれ、さもなくば夕飯は無い!」とのこと。

この二匹を殺すってこと?!!マジで?!!

自分は内容を確認せずに参加していたのですが、どうやら鶏を締めるという事は既に計画として組み込まれていたそうだ。

彼らの説明を聞いていると、一匹締めるのに胴体を持つ係と頭を持って首を切る係の最低二人は必要とのこと。
二匹いるから合計4人でこの作業をする必要があるのか。。。

誰が締めるのか?という問いに対して、誰一人として手を挙げる人いない。
半数は女性陣、潔癖症に近い男2人と高校生あがりの男の子は断固拒否。

仕方ないので一匹目は自分が締めるしかない。そして、当然ながらこのサバイバルイベントを主宰した幹事も道連れにしよう。

一匹目、幹事が鶏の胴体を持ち、僕が頭を持ってナイフで首を切ることとなった。
鶏は鳴きながら小刻みに震えている。
「ゴメン」と言いながら、首にナイフを押し当てた。

【心臓の弱い方はここまででストップされる事をオススメします】

サバイバルスタッフ曰く、首を半分まで切り後は手放せば良いとのことだったので首の半分まで切ろうとした。

しかし、錆び付いたナイフで切れ味が全くなく、なかなか切れない。どこが首の半分か分からず切れないナイフでゴリゴリと首を切ろうとする。
痛そうな鶏を見ながら切る必要があるので、全身鳥肌が立ちと冷や汗が止まらない。

「ゴメン、ゴメン」と言いながら切れないナイフで切り進めていく、、、
アレ?自分の手に持ってるのって頭だけじゃね?
ふと気がつくと首の半分を通り越して、いつの間にか首と胴体が完全に分断されていた。。

数秒間、”鶏の頭だけを持っている自分”と”胴体だけ持っている幹事”は完全に固まってしまい、思考停止・・・。
しかし、その数秒後に今まで見た事も無い、とんでもない光景を目にすることとなる。

【ここから先はタイトルのごとく衝撃的な内容も含まれてます。読み進められる方は心してお読みください。

”バサバサっ!バサバサっ!”

なんと!首の無い胴体がいきなり激しく動き出したのだ。。。
幹事はビックリして思わず鶏の胴体を手離したが、その後胴体が首なしの状態で走り回り始めた。

男も女も本気の悲鳴「うわっ!」「ギャーーーー!!!」 全員まさに顎が外れたかのような顔。。
これは悪夢なのか??絶対悪い夢に違いない!!と訳が分からない混乱状態に全員が陥る。

しかし2分程度すると、首なし鶏はその場を走り続けた後、突如パタリと倒れた。。
サバイバルイベントのスタッフ曰く、脳からの伝達と反射速度の関係でこういう事が起きると言う。
そんなの初めから言っとけよ!!と心で思うものの、怒る気力がない。。

そして、誰が二匹目を締めるのかという大きな問題にぶち当たる。
当たり前のことだけど、一匹目の悪夢を目の当たりにした今、さらに誰もやりたくなくなっている。。

またも仕方なく、自分と幹事が二匹目を締める事となった。今度は自分が胴体を持ち、幹事が頭を持って首を切る。

胴体は当然ながら暖かく生きている体温を感じる。まさに昼時に撫でていた猫と同じ体温を感じる。その体がプルプルと小刻みに震えて、たまに鳴き声をあげる。これは猫を殺しているのと同じだ。。

鶏を殺すのも猫を殺すのも、一つの命がなくなるという意味では同じ事。
人に食べられる為に生まれてきた鶏と、一方で人に可愛がってもらう為に生まれてきた猫がいるけど、どちらもこの世に生まれてきた命。

幹事は半分程度まで首を切る事に成功し上手く締める事ができたが、自分たちの鳥肌と冷や汗は当分止まらず、ドッと疲れがきた。

今まで魚や海老などの魚介類は捌いた事があったけど、人間と体温近い動物を殺した今回、より生命と死について考えさせられた。

その後、グルーブのみんなが率先して羽を毟り取り、内臓を処理してくれた。彼らも死んだばかりの鶏の体温に触れて色々と考えさせられた様子。

火を起こし、鶏をしっかり焼いて、ようやく夕食を食べる事ができた。弾力があり生命を感じる味で本当に美味しかった。

しかし、サバイバルスタッフが準備してくれた料理の量がどう考えても多すぎる。
もう全員のお腹が弾きれるという程に食べ、残りはもう食べ切れない。。

でも、本来生きれたはずの命を殺して、食べることによって自分達は生かされている事を身を持って知った今、それらを捨てるという選択肢はない。

目の前にあるそれらを捨てるということは、命を捨てるっていうこと。
その日の大量の食事はみんなで気合で何とか食べ切りました。

国によっては、食べ切れない程の食事で他者をもてなす事が礼儀であったり、残飯は捨てるという文化があったりするけど、そういった事をしてしまっている人達には是非この体験をしてもらいたい。
むしろ学校教育か何かで強制的にでも体験させてあげて欲しい。

自分が殺さなくとも、誰かが自分の代わり殺してくれているからこそ、自分は食事をできている・生かされているということに気付いて欲しい。それが分かれば、食事(生命)を簡単に捨てることはできないはず。

もしも自分たちが目の前のそれを捨て続ければ、鶏・牛・豚などは大量に生命を産み出され続け、彼らは大量に殺され続ける。そして、食べられなければ彼らの命はゴミ箱行き。
それであれば、彼らは何のためにこの世に命を授かったのか?ゴミ箱行きの無駄な命だったのか?

自分の手で鶏を殺すという経験は、自分の人生にとって衝撃的な体験の一つであり、自分達は他の生命に生かされていると感じる事ができる非常に貴重な体験でした。

みなさんも一度体験されてはいかがでしょうか。間違いなくすごく怖い経験ですが、自分が日頃向き合っていない現実と向き合える貴重な体験にはなるはずです。

最後までお読みいただき誠にありがとうございました。もしも今回の自分の体験が少しでもお役に立つ事があれば幸いです。

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