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写真

写真家、ワタナベアニさんの『カメラは、撮る人を写しているんだ。』を読みました。

一度読み終えて、数日経ってからまたペラペラと開いては心にとまったところに付箋を貼りながら所々読み返しています。

そうしていると、私には胃が4つくらいあるのかというくらい反芻してしまう箇所がありました。
この本を読んだ人のほとんどがきっと「一回置いといて」と思うようなところなんじゃないかなという気がします。

“物語を想起させるために映像を記号として使うのは、むしろ詩人や小説家のほうなんじゃないかな。”

それは写真に対して私が持っている感覚がしっくりとくる言葉でした。
ペラリとした平面である写真は私の中では海だとか、見た目にはわからないけれど実は果てしなく深い水たまりのような感じで、その映っているもののもっと奥を見ようとしているのです。
すうっと深く呼吸をして肺に空気をたっぷりとためて潜り、光の届かない海の底にある石を手探りで拾ってくるようなそんな感覚です。
私にとって写真は恋人や家族など、愛する人の姿を撮りたいということとはちょっと違っているのかなと感じます。
あまり具体的に人物が写っていると、きっと石を拾いに潜っていけないのです。そこに写っている人が全てなので。
写真を撮る時はどちらかというと無で、そのあとで見た時にその奥へと言葉を探しにいくのです。

そう、幼い頃に“おしいれのぼうけん”を読んだ日と同じ、ちょうどそんな感覚のような気がします。
ん?あら?そうなってくると写真は海でも水たまりでもなく、おしいれなのかな?…

という、今日の私的覚え書きでした。




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