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『しししし4』を読みました。

「汚れっちまった悲しみに」という言葉はどこかで聞いたことがあるような気がした。
中原中也という人が詩人であることはぼんやりとは知っていた。
しかし「汚れっちまった悲しみに」が中原中也の詩であることは知らなかった。そのフレーズ以外の言葉がその先に続くことも。

いつか機会があれば触れてみたいなと思いながらも、なかなかそんな機会がやってくることはなく、その名前だけが心の隅の方に静かに居座っていた。
半年ほど前にTwitterで、本屋さんが作っているという文芸誌『しししし』というものを目にした。その4号目の特集が中原中也だった。
これはついにその機会が来たのでは?と感じたものの、部屋にはまだ充分にある積ん読を思うと、即買いはできないままになっていた。
理由としてもう一つは「文芸誌」というその言葉が持つ「教養のないお前に文芸がわかるのか?」という、私にとっては敷居の高さがあった。
しかし小学生の時の作文に書いた将来の夢が「詩人」だった私がやはりこれを読まずに通り過ぎるわけにはいかないと思い、ようやく購入しました。

作品を読んだことのない私ですらその名前を知っている中原中也の人生がたった30年だったと知り、驚いた。
私が30歳の頃といえば、ちょうど会社員を辞めてアルバイトをしながら、拾った石ころやレンガをかち割ってドリルで穴をあけ、試験管やジュースの空き瓶にアルミワイヤーを巻き付けて一輪挿しを作ったり、ダンボールに絵を描いたり破ったりしてフレームを作ってフリーマーケットで売っていたおかしな頃だ。(ま、今も確実にその延長線上にいるのだけれど)
私なんかの人生と比べるようなものではないけれど、そんな年齢で亡くなったにも関わらず、その名前と作品は80年以上経った今も文学史上にしっかりと残っている。
“辛い思いを経験した者でないと詩は書けない”みたいな呪いのようなことばは好きではないけれど、子供の死や三角関係という消化しきれない気持ちを詩という塊として吐き出すことでなんとか自分を守るということはあるのかもしれない。

巻頭で『しししし』を作っている双子のライオン堂の竹信弥さんが特集に中原中也を選んだ理由が「まったく知らない。でも、とても気になる作家だった」と書かれていて驚きました。
そういう特集の組み方もあるのかと(笑)
でもその言葉のおかげで私が文芸誌というものに感じている敷居の高さを跨ぎやすくしてくれている気がします。
これなら読みきれそうという『しししし4』の厚さも私にはうれしい文芸誌でした。

そして、まつしたゆうりさんの「むかしばなしのはなし」の“浦島の、あの箱”がおもしろい。
そこにつながるのかぁ(笑)

文芸誌というものも、もう少し読んでみようかな。
中原中也も。






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