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大坂の陣の立花の働きについて

細川興元が大坂の陣の時の立花家の働きについていろいろと語っている逸話。

『武功雑記』巻六より引用しています。

大坂御陣の刻。細川玄蕃殿へ同名越中守尋被申候は、丹羽五郎左衛門立花飛騨守働は。如何との事に候へば。
玄蕃頭被申候は丹羽立花散々不出来に候。
前に出来しは。江口十時がさせたる事也。
此度両人不居候故。
丹羽立花散々の躰と云々。
酒井阿波守殿をば。
御家の御重寶と誉被申候由。酒井阿波守冬陣に十六歳夏陣に十七歳なり。

大坂御陣の刻(武功雑記巻六より)

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大坂御陣の時、細川玄蕃殿(興元)へ越中守(忠興)が「丹羽五郎左衛門と立花飛騨守の働きは如何か」と尋ねた。
玄蕃頭が申し上げるには「丹羽立花は散々の不出来です。これまでの働きが良かったのはそれぞれ江口、十時という良い家臣がいたからで、今回は両人がいないため丹羽立花は散々の躰です。」と答えた。
また「酒井阿波守は酒井家の重宝だ」と誉めた。酒井阿波守は冬の陣では十六歳、夏の陣では十七歳だった。

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同じ御咄衆の丹羽、立花の働きを酷評しています。
特に立花は縁戚(宗茂妹は興元の継室)ですがダメダメだと言われています。身内ならふつう贔屓しそうなもんですがね。
そのぶん酒井阿波守を褒めています。
興元は酒井阿波守の軍で代わりに指揮を取っていました。
身近で見ていたこともあって褒めているのかな?
個人的に仲違いしたはずの忠興・興元が話しあってるのが微笑ましいです。

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