【書評】大澤正昭著『妻と娘の唐宋時代』
今、ジェンダー観点から社会を見直す動きが盛んになっています。これに対して「フェミガー!」と言い出し、研究者とSNSのバイオに書きながら「歴史とジェンダーは無関係」と書いてしまう方もおられ、残念でなりません。
それは何も人権云々ではなく。なんならいっそ綺麗事の話はちょっと休みましょうか。金勘定という面でも残念至極ということ。ジェンダーから歴史を見直す本でも出せば、需要はあるでしょうに。「フェミガー!」を掲げるSNSのアカウントよりも、そういうことに興味ある層の方が書籍にお金を払うでしょうよ。
ヘイトで儲ける流れはそろそろ流石に終わります。理想を掲げれば綺麗事なんだのグチグチ言われますが、せっかくだから綺麗事を掲げつつ儲かる仕組みでも作りましょうよ。そうなればゲスなことをほざいて小銭を稼いでいた連中だって寝返るかもしれない。いや、寝返るという言い方はあんまりだ。更生なり改心ですね。だって、彼らにそこまで確固たる信念なり論拠があるとも思えませんから。
そんなゲスな銭勘定はさておきまして、ジェンダー目線で中国史を見直した良書でも読んでみましょう。
偏見がない目線
これは手堅い一冊です。どこが具体的に「手堅い」かというと、筆者に性差別意識がないと認識できるところです。良書なら筆者の言動に問題があってもよいか? これはやはり、大事だと思う次第。いくら著書で有名な悪女を庇うようなことを書いていたとしても、SNSで「フェミガー」とやらかしていたら信憑性が落ちますよね。
その見分け方としては、同業者以外からの意見を取り入れていることに現れると思います。本書は中国人留学生の発言からアイデアを得たという書き出しもありますし、信頼ができます。
纏足とコルセットの比較論もよいと思いました。どちらも女性差別的なものとしてあげられるべきであるはずが、纏足だけがことさら悪く言われることに疑念を呈しています。これについてはその通りでしょう。纏足にはファッションやフェティシズムに関する話もたくさんある。ただ、それを突きつけていくと分野がずれてきますし、本書ではそこまで掘り下げておりませんが。
このコルセットと纏足の見方があることで、いろいろなことを考えてしまいます。
反中国感情が高まる中、性差別においても中国は悪いという印象があるようですが、これもおかしな話ではあるのです。というのも、共産主義は女性の社会進出に積極的でした。ソ連の女性兵士は有名ですね。冷戦下、西側はそれに対抗して専業主婦モデルを打ち出しました。共産主義の連中は女房まで働かせているけど、西側の家にはかわいい奥さんが待っている……そういう話。そんなあたたかい理想の家庭論もフェミニズムに反駁され、女性の社会進出を訴えるように鞍替えしていったわけです。
近代以前においても、果たして中国の女性は他の文化よりも抑圧されていたかどうか? そこから偏見をふりはらって検証していく姿勢が明確に提示されていて、本作は誠意を感じます。偏見ありきの中国を貶める論ばかり見ている中で、こういうまっとうな書籍があると心が洗われるのです。
さまざまな史料をもとにして
その検証ですが、その範囲がおもしろい。説話集や怪談まで使うのです! 筆者が中国映画を愛していて、コラムを使ってそこをフックにしているあたりからも、その姿勢は伝わってきます。留学生の何気ない一言からヒントを得るような人物は、どんなことからも材料を引き出せるのだと。
この作者の姿勢そのものが素晴らしい。自分が昔読んだ『笑府』、それに武侠ものの女性像も思い出し、考えるヒントを与えてくれるのです。
歴史を学ぶこととは、現実にある問題とすり合わせてこそ生きてくる。そんな歴史を見る姿勢そのものを刺激します。歴史を見る目そのものに気づきを与える秀逸な一冊です。
本書を読んで思い出したことがあります。
◆ フェミサイドとは?「女性であること」を理由にした殺人、その定義や背景を3つの視点で解説 https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_610e58c4e4b0cc1278bc81a9
痛ましい事件を契機に注目され、それゆえか「フェミガー」といういつもの反応がありますが。
これは何もWHOが規定したから発生した現象でもない。私がフェミサイドという言葉を知ったのは数年前ですが、その時私はこう思ったものです。
「ああ、溺女が典型例だ」
本書でも扱われる「溺女」とは、生まれてきたばかりの女児を溺死させること。この悪習はフェミサイドそのものです。
弊害は色々ありまして、男女比が狂うためにこと都市部では「梅を望んで渇きを止む」(水を飲みたいけどないから梅を想像して唾を飲む=女を抱きたいけど男しかいないからそれで我慢すっか!)という現象が起こる。これは男性が増えすぎたことで発生する機会的同性愛を『世説新語』由来の曹操の故事で言い表した表現です。男女比が狂うと男性も性的に被害を受けるということは頭の隅にでもいれておきましょうか。
本書ではそんな悪習を抑止すべく動いた人々の事例が出てきます。本書で扱う時代ではありませんが、明代の馮夢竜も溺女を止めるべく、女性がいかに素晴らしいのか名文に残しています。この時代にこんな素晴らしい人がいたのか! そう感動したからこそ、はっきりと覚えています。
本書の秀逸な点は、読む側に問題提起をし、思考を広げていくことだと思えます。ドラマ、映画、小説でみた像から考察してゆく。何気ない会話からヒントを得る。今まで当たり前のように受け止めていたことも、偏見ありきではなかったか?
そういうものの見方まで広げて変えるような広がり方があって、読むだけで気分がスッキリするような、そんな一冊です。
歴史研究者がSNSで「フェミガー」ムーブをしていて、歴史を学ぶことに躊躇している学生もいるかもしれませんが、そういう方に最も進めるべきだとも思える本書。歴史研究にジェンダー論は不要どころか、取り入れることで世界が広まる、これからだ! そう思える秀逸な一冊です。
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