【連載小説】ガルー(3)脱力系冒険小説
「タナカ、ちょっとここのマンホールを開けてみてくれないか?」
「はい。だけど、どーするんですか?」
「いいから、開けてみてくれ」
タナカはボクに言われるままに、重たいマンホールを苦労してこじ開けた。
「さあ、行くぞ」
「へ?どこへ?」
「決まってるだろ、中だよ」
「本気ですか?」
「ああ、いたって本気だ」
「こんなところにガルーなんていやしませんよ」
「いないと判断する根拠は何だね?」
「さあ?たぶんいません」
「ボクはこう思う。たぶんいる」
渋るタナカをなんとかマンホールへ押し込んで、追跡調査は再開された。
「ネズミやゴキブリが飛び掛ってきたら…ビビりますよ…」
「食っちまえ、そんなもん」
不法に侵入していることは重々承知の上だが、警官が犯人を追う際には交通ルールを無視するように、緊急事態というのは法の垣根を越えなければならないときだってあるんだ。
水道局からクレームが入らないよう、出来るだけ余計なことは避けるつもりだ。
一歩一歩、確かめながら下へ降りてゆく。
ヘッドライトの明かりでは光度が足りず、ずっと下の方はいつまでも真っ暗闇だ。
声の反響からして、まだまだ下に伸びているようで、延々と長い梯子を降りてゆく。
学生時代、哲学書を持って井戸に入りたいと夢想したことがあるが、暗くて狭い空間というのは、人間の思考を明瞭にする効果があるようだ。
ガルーは必ずこの奥にいると、根拠の無い確信に満ち溢れてくるのだった。
100mくらいは降りたといえば大げさだろうか。
「ちょっと、休憩したいですね」
延々と続く梯子に、さっそく運動不足のタナカは乳酸を溜め込んだようで、手足がしびれてきたという。
休憩しようにも、この体勢のままでは休まるものも休まらない。
それにしても、深い深い穴だった。
「いったいどこまで続くんだ」
降るに従って湿度が増し、衣服がしっとりとして重たくなってきた。
それになんだか、すごい臭気なのだ。
耐えられないってほどでもないが、心地のいいものじゃない。
心持ち、酸素が薄くなってきたような気もしないではない。
酸欠で死んだという事故はよく耳にする。
100mも降れば、そろそろ危ういのではないかと思うが、意外と酸素は残されているらしかった。
まあ、酸欠になるとすれば、ボクよりは断然タナカの方が早いだろう。
ヤツがへたりだす前になんとか下に到着すればいいのだが。
「教授、大変です」
「どうしたタナカ!」
タナカがなにやら発見したようだ。
「妙な横穴を発見しました」
「まず、入ってみろ」
確かにそれは横穴だった。
明らかに下水業者が空けたものとは思えない乱暴な切り口で、ドリルとスコップで造られたらしいものだった。
「教授。ガルーの仕業ですかね?」
「いや、まだわからん。とにかく奥へ進もう」
「いいえ、とにかく休憩です」
といってタナカはどっかりと座り込み、ぬるいコーラをがぶ飲みすると本日2本目のスニッカーズをかじった。
「この横穴も深いなあ・・ムカデとかコウモリとか出てきませんよね?」
「さあ、たぶんな」
「それにしても、案外空気があるもんなんですね」
タナカは大きく深呼吸した。
「地底人でもいるのかなぁ。だったらいいのになー」
「何がいいんだ?」
「だって教授、大発見じゃないですか」
「馬鹿だな。下水に地底人がいたら、管理業者はとっくに出会ってるじゃないか」
「それもそうですね」
10分ほど休憩をして、ボクらは横穴を進んだ。
外界の明かりはまったく届かない真っ暗闇の世界。
ヘッドライトの明かりだけがボクらの頼りだ。
電池が切れたら、たちまち途方にくれてしまうだろう。
モグラの通り道のように、ゆるやかなカーブをぬって進んでゆく。
この先にあるものはなにか?
冒険、そして発見。
『ガリバー旅行記』や『宝島』や『八十日間世界一周』や未知なる物を追い求めて冒険の旅に出る。
リュックを背負う背中から発汗。
額からは汗が落ち頬を伝う。
暗闇の先で出会うものは何か?
それは、明るい未来だ。
「しっ、静かに!」
「なにか物音が聞こえないか?」
「え?そーですかあ」
「確かに聞こえる」
「ガルーでしょうか?」
「ここからは物音を立てずに進もう。せっかくここまで来て、また取り逃がしたとあっちゃあ、やりきれない」
忍び足で進む。
どん臭いタナカのことだ、もうドジは踏んでくれるなよ。
確かに土を掘るような金属音が聞こえたんだ。
遠くに明かりが見えてきた。
ゆっくりと、ああっ…間近まで来た。
タナカはボクのジェスチャーに従って網を用意した。
じりじりと近づいてゆく。
気づかれずに、かなり接近できたぞ。
もはや目の前だ。
「それ!!」
タナカが網をかけた。
何かが捕まったようだ!
「やったぞ!!」
「やりました!教授!!」
感極まって泥だらけの手でガッツポーズをする。
薄暗い穴の奥で、網にかかった生物がうごめいている。
こんな僻地にいる生物はガルーに間違いなかろう。
と、突然女の金切り声がした。
「キャー!!なにやってるのよぉ!!」
「おい!しゃべったぞ!!」
「はい、しゃべりましたね!」
「ガルーは女だったのか?!」
「ガルーは女のようです!」
しかし、網の中から出てきたのは、ひとりのほっそりとした人間の女性だったのだ。
「どういうことだ、これは・・・」
しばらく状況が飲み込めない。
「どういうことでしょう・・」
「馬鹿!!あんたたち、なにやってるのよ!髪が乱れるじゃない!!」
「そんなこと言われたって」
つるはしとシャベルを持って、横穴を掘っていたのは、この女性だったのだ。
「一体全体、君はここで何やってるんだ?」
「そっちこそ、こんなところで何やってるのよ」
「追跡調査を・・・」
「追跡調査ぁ?」
「ああ、ある生物を追っている」
「地底深くに潜ると、おかしな人種がいるっていうけど、あんたたちもきっとそうね」
「おかしな人種とは何だ。それに君こそ、こんなところに大穴掘って何やってるんだ」
「あたし?発掘調査よ。見てわからない?これでも歴とした学術調査なんだから」
と言うと、女はジーンズの埃をはたいた。
「ささっ、調査の邪魔だから向こうへ行ってちょうだい。今日は時間が無いのよ」
女はボクらを尻目に見ながら、シャベルを手にした。
「ひとつだけ、変な質問をしてもいいかな?」
「手短にね。一回だけなら質問に答えてもいいわ」
「ここに妙なカンガルーは来なかっただろうか?」
「ええ。来たわよ。あたしの後ろでさっきまで読書をしてたわ。かわいいカンガルーちゃん」
「ホントかね?!それは!それを見て君はなんとも思わなかったのかね?」
ボクもタナカも、思わず胸が躍った。
「ええ。専門分野外ですもの」
「教授、あまりにも偶然ですね」
「そこらに彼が読んでた本が落ちてるんじゃないかしら」
見ると地面には分厚い本が一冊落ちていた。
それを拾い上げて、ページをめくってみる。
「ヘーゲルだ」
「ヘーゲルって何ですかね?教授」
「ヘーゲルでもパーゲルでもいいけどさー。質問タイムは終了。はい、さよならぁー」
ガルーはボクが予想した通り、相当な知的生命体だということが判明した。
思ったとおりだ。
ヤツはもしかすると、宇宙人かもしれないぞ。
「ガルーはどっちに逃げたんだ?」
「質問は一回きりの約束よ」
「そりゃないでしょう。ボクらも遊びでやってるわけじゃないんだ」
「約束は、約束」
「その約束を了解したわけじゃない」
「そーだ、教授のおっしゃるとおりだ」
「ふん、屁理屈ばっかり。ロクな教授様じゃないわね。いいわぁ、向こうへ行ったわよ。あんたたちが歩いてきた方向」
「すれ違わなかったけどな」
「知らないわよ。ボーッとしてたんじゃないの?抜けてそうだしさ」
また、逃がしてしまったというわけか。
ただ、ボクの勘ってやつも案外当てにはなるもんだ。少しだけ希望が見えてきた。
「それじゃボクらはこれで失礼するよ。最後にもうひとつだけ質問してもいいかい?」
「しつこい男はね、嫌われるよ」
「ボクは才原だ、才原ヒロシ。君は?」
「さあ、名乗るほどの女じゃない」
「名前くらいいいだろう。名前を聞く程度ならプライバシーの侵害にはあたらないはずだ」
「屁理屈教授。705(ナオコ)HNだけどね」
「705さんかあ」
ボクとタナカはもと来た道を戻り、地上へと出た。
すっかり夜になっていた。
今日は満月か。
月明かりの下で、タナカに5000円札を手渡して今日は別れた。
本日の調査はこれで終了。
手ごたえの感じた一日だった。