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哀れなるものたち 改訂版

やっと「哀れなるものたち」の感想を書きます。
この映画のストーリーを知ると面白さ半減なので
このネタバレあり感想を読む前に映画を観て下さい。
ただし、この映画は子供は観れません。
思ったよりも性的なシーンが多いので配信でも親子で鑑賞は難しいだろう。
表現は「熱烈ダンス」にしていますが
※追記:「熱烈なジャンプ」ですね?
但し英語を理解している人は、「激烈なジャンプ」と書いていたりする。
まぁこれはファンタジーな世界の人物だから観客は観ているのですが、「俺の上で熱烈なジャンプを」と子どもに楽しそうな事を言う大人には気をつけましょう。何を喜ぶか分からない。蛇足かもしれませんが一応。
※追記の追記:これは有名な江戸川乱歩の「人間椅子」の中の話で、あり得ない話しなんだけど、
少女が椅子に成り代わった男の上で〜〜
で、「少女が自分の上に乗って気分は最高!」
みたいなのを読んだのも思い出す。


主人公ベラは、体はスレンダーな女性。
頭の中は、産まれる前の子供の脳を移植されている。
まさに、カトリックが新大罪にしている
神をも許さぬ行為を 映画でしている。
しかも、ベラの体の元々の女性は[自◯]をしている。

これも基督教にとっては[悪]
実は下手をすると自◯をして失敗をした人間は罪人だけじゃ無くて一生◯◯ガイとして精神病院に入れられるかもしれない。

最初から一番最後の最後まで基督教における禁止事項のオンパレードだ。
それだけじゃなく、「まとも」と思いこんでいる人間達がこの映画を見るとショックタヒにをするかもしれない。


「哀れなるものたち」とは、この映画の天才外科医達のようでいて
実は縛られて生きている人々に向けて云っている言葉なのかもしれない。

映画の最初の頃
ベラは赤ん坊の脳だし、外科医は善悪をそんなには教えなかったのでやりたい放題だ。

※漫画「ブラック・ジャック」におけるピノコもそんな登場だったが、ピノコは体を小さな可愛い子供にしているので、悪ふざけがそこまで異常に見えないがやはりピノコの暴れっぷりも凄かったですよね。

ベラは身体が女性で黒いやけに長い髪だし、眼力もある。
この映画の世界観も地球上に無いようなそれでいて昔にあったような世界で

それに付いていけない人は見て数分でリタイアをするかもしれないが、別に人を怖がらせるのを目的にしているホラージャンルでは無いので

何を見ても冷静に判断が出来ると思う人だけが最後まで鑑賞して欲しい。

私の個人的な感想


天才外科医ゴッドウィンの方がベラよりも人が苦手だ。
何しろ恐ろしいほど身体中は傷だらけ
このゴッドウィンはフランケンシュタイン博士であると同時に、改造されたモンスターにも近い。

そんな彼を「ゴッド」とベラは呼んでいるが
人をおびえるゴッドの姿をみてベラは
「犬みたい」だと言う。
そのシーンがまず心に残る。

[追記:英語表記でのGod→Dogという意味もあるのかな? 逆さ言葉 ベラの言葉遊び]
[追記の追記:はい、先程までの間違いを直しました]

 初めて悲しさを知るベラ

世界を知りたいベラに、世界の残酷な真実を見せる
ハリー・アストレイ
この人間に対しても、ベラは的確な事を言う。

実は私はこの船に乗っていた老婦人とハリーが気になり気に入ったので、どんな人達なんだろうと思ったが映画ではよく分からなかった。(どんな仕事なのか ふたりはどういう間柄か?とか、人生の事です)
この映画の中では一番好きなふたり。

※追記:8月26日
ベラは赤ん坊の脳だったのに、知識の吸収が急に加速する。それはハリーと老婦人に会った頃でどんどん知的なものを吸収しようとし、ダンカンとの熱烈なジャンプよりも本を読みたがる。(その後にもそういう機会はやってくる)
 不機嫌になるダンカンが船の中で
「その喋り方」と、ベラの喋り方に対しても不満を持つ。おそらくハリー達と会うまでは
「あたし あなた 熱烈ジャンプ しゅるのよさ」
とピノコのようにぎこち無く幼児的でそれを気に入っていたダンカンだったのに
急にまともな言い方になったのでびっくりしたのではないか?(英語の文法、ニュアンスをしっかりわからないので推測です)

※ダンカンとベラが上品な人達とレストランで食事をする時に幼児的なそれは行動とともに現れていた。
「ダンカンのはしょっぱっ!」
と言った時も幼稚園の子供が先生の前で性的な事を口走るような言い方だっただろう。

ベラはダンカンの提示する[遊戯の時間]から成長して、ダンカンより上に進もうとした。
※ハリー達と出会った頃は中学生〜くらいの思春期かな

弁護士ダンカン

弁護士ダンカン

今まで目にして気に入った女達を難なく抱いたであろうダンカンは世界でとても珍しいベラを見つけてしまった。

そして甘い言葉でベラを誘い館から連れ出した。
金・女・熱烈ジャンプの人生で、勝者のような態度だったダンカン。
しかしベラが違う男と「熱烈ジャンプ」をやったと知った瞬間に
顔色が変わり激情してベラを罵り始める。
(その前からベラにウィンクをした男に怒っていたが)
ここからずっとダンカンはベラを激しく罵るのだが
それなのにベラのそばに時々現れる。

現れるたびにベラを非難する。
まさに世界の勝者から敗者になったダンカンを見て、そこがおかしくてたまらなかった。

ベラを何とか不幸にしよう、しようとするダンカンが
どんどん哀れみを増してきて
個人的にはすーっとした。
観客の中では印象が強い[山羊になった男]よりも、個人的には涙が出るほど笑い、
笑いタヒにしたかった。


私はダンカンのような男を、このようにしたかったのだろう…

 ダンカン以外からは罪を教えられなかったベラは娼館で様々な哀れなる客の相手をした。
そのシーンも良かった。

※娼館時代は大学生くらいの知性になったのかもしれない。映画の画面では一瞬だったが、医大に行っているようだった。娼館で稼いだお金を学問に費やしたのだろうと思う。

※ベラは「娼館にいる赤ちゃんを育てるためにやって」と、女主人に言われたが
いくらなんでもそのために全額は取らないだろう。
娼館の女主人は赤ちゃんを名目にベラ(や他の女達にも?)の同情心を利用していた。


天才外科医ゴッドウィンからは父性が作った檻
ダンカンからは独占愛の檻
(初めは小さい子供のような好奇心から入りたがる)
娼館では同情心の檻
(これは自分さえあれば稼げるという入り方だったが
ハリーによって世界には救われない可哀想な人達がいると教わったので)
に長らく閉じ込められていたベラだった。
最後にもうひとつの檻に気づく

そしてベラはゴッドウィンの元に帰った。



ベラがゴッドの元に戻ってから、やはりもうひとりの
頭の中が子供に改造された女に
家政婦が「ベラは売女」と教え込み
嫌味がましく「ベラは売女」と言わせるのを見て
ようやくベラはうんざりして
世の中では受け入れられ無い事なのかとわかったが(ダンカンのそれとは違う)

そうだとしても、ベラにはさほど関係の無い事。
最初に決められた許婚にも告白をして
「それでも良いのなら結婚をする」
と言うシーンで彼女は、世界の取り決め事には
縛られていない事が分かる。

子供の≪何にも影響を受けない本当に純粋な≫目で世界の

特に、羊達が避けている世界に飛び込んだベラは
楽しさ、哀しみ、怒り、知的な知識を得て徐々に複雑な感情になる。
そしてベラはもっと美しくなる。
この映画は観る価値があると思った。


※映画の世界観の美術を褒める観客が多いが
服も独創的、ユニーク それでいて美が纏わりついているので良かった。


ところでベラ役のエマ・ストーンは「ラ・ラ・ランド」のヒロインも演っていたんですね。
印象が可也異なる。
この映画も思ったより良かったです。
 ダンカンに少し似ている主人公の感傷映画というのかな。

 映画「ラ・ラ・ランド」


「哀れなるものたち」
ヨルゴス・ランティモス監督

天才外科医(ウィリアム・デフォー)
ベラ(エマ・ストーン)
弁護士ダンカン(マーク・ラファロ)

第80回ベネチア国際映画祭
コンペティション部門 金獅子賞


※8月26日、再び加筆修正を致しました。

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