しのうとしていた頃のお話
それは10歳の頃。小学4年生でした。
足を掛けられて転ぶくらいのものはもちろん幼稚園でもあったし、
小学校に入ってからは、顔を引っかかれる、お腹を殴られるなどもありました。苗字でいじられるのも毎日の事。
最初は、子ども特有のじゃれあいのようなものでした。
しかし、3年生になった頃から
じゃれあいではなくいじめの域になったのです。
無視。すれ違いざまに悪口を言われる。机を蹴られる。
体育着を投げ合いされて返してくれない。そして体育着袋も破ける。
やっていないのに濡れ衣を着せられる。
あることないこと先生にチクられる。
信じてもらえず注意される。
机に仰向けで押さえつけられる。
息が出来ないほど、顔に防災頭巾を押し当てられる。
とか、なんか、、いろいろ。
遊びに誘ってくれたと思ったら、鬼ごっこの鬼はいつも私。
「避けてばかりだと先生にバレるでしょ?鬼ごっこだったら別にいいじゃん!」
という言葉を私は忘れません。
毎日泣きながら帰り、
誰もいない家で叫び、
ハサミで机を殴ったり、腕を切ったり、
薬を何十錠も飲んだり、包丁をお腹に当ててみたり、
自暴自棄な毎日を過ごしていました。
その頃、母も抑うつだったので
私なんかのことで心配かけたくないと思い、ずっとひとりで抱え込んでおりました。
ある日、薬をたくさん飲んでも全然死ねないし、包丁を刺す勇気もないことに嫌気がさしてベランダに出たのです。
団地の5階だし地面もコンクリだから、当たりどころ悪くていけるっしょ。
飛んだら後戻りできないし。と思って
手すりにのぼり、上半身を乗り出すところまではいけたんです。
そしたらなんか、なんなんでしょうね、
空がすっごい綺麗にキラキラしやがっていて、
親の顔が頭の中に浮かんだんですよね。
母の笑顔も、母の悲しんでいる顔も、
それを抱きしめている父の姿も、
きれーーーーーな空に投影されてさ、
「あれ?なんか、え?死ねねーなこれ。」
ってなって、ベランダでたくさん泣いて、屋根の下に戻りました。
まー、だからといって鬱や嫌な気持ちが晴れたわけではないんだけど、
なんというか、〝やられっぱなしの自分〟が死にました。
私は死ねなかった、死ななかったけど、
私の中の弱い部分が完全に死んだ感覚がしました。
その日からは、空を見る事が趣味になって
家にあったデジカメでよく写真を撮っていました。
毎日空は見え方が違うし、
数分の流れですら変化がある。
全く同じなんかじゃないから、
明日もまた生きてみようかな。
そんな風に思えるようになっていました。
そして一番変わったのは、いじめっ子たちに対するメンタルでした。
今までは、笑うこともなくなり、やめてよって抵抗するだけ。
泣き顔、悲しい顔、マイナスなものをそのまま表現していたのですが、
そんなのあいつらの思うツボじゃないですか。
だから、なにもダメージを受けてないかのように、他の人と関わるときはよく笑うことにしました。
そして加害者にはその場で怒り反抗し、
なに?悪口?とニコニコ聞き返してみたりもしました。
いじめがなくなることはありませんでしたが、
負けない私、強い私。という自己認識に繋がり、
死にたいと思うことが減りました。
中学校では、いじめというより陰口がメインでした。
私の性格は、鬱と強気を繰り返したことにより
躁鬱のようになってしまいましたが、
特に後悔はしていません。
気が強い女になってしまったのは、
大人になった今、後悔することもあります。
まーー、でも、死ぬよりいいっしょ。という謎のポジティブに包まれています。
何が言いたいのかわからなくなってきてしまったよ。
とりあえずね、悪い奴には逆らえ。
集団でイキってるだっせぇうんこはトイレに流せ。
それで誰も助けてくれないときもある。
いじめが加速することもある。
でもね、見ている人は絶対にいるから
時間が経ったあとだとしても、
「ちゃんと発言出来る強い存在だったあなたが好き」「かっこいい」
ってついてきてくれる人が増えてくるよ。
まぁでもそのとき助けてくれなかった奴に興味ねぇから話しかけんなって意見もわかる。
ただ、私は、そうやってついてきてくれた人たちと
今後の長い人生ずっと友達でいられたらいいなって思ってます。
追伸。
いじめっ子のたちの事は一生忘れないし許しません。
社会的に落ちてしまえ、と放った呪いが、頭の片隅にこびりついています。
今日はこれで終わり!