指導と嫌味の境界線
私が大学で教育学を学んでいたころ、現役の中学校の非常勤講師の方が学友にいました。
その方が、「怒る」と「叱る」は違うと説明してくれました。その方いわく、「怒る」とは「自分の感情に趣くままの行為」であり、「叱る」とは「相手の成長を願って、必要なことを伝える行為」であると。(教育現場では残念ながら「怒っている」人が多いが、そのぐらい日々が大変なんだと複雑な表情で話していたのが印象に残っています。)
ところで、「怒る」と「叱る」の違いの認識を持つことは、教育現場だけでなくビジネスの場でも重要であるなと思います。
知人に、こんなことがありました。
上司から頼まれていた仕事を進めていたところ、一つ想定外のエラーが発生して進行に難儀していたようです。
すると、そこに先ほど指示した上司が現れ、
「まだそんなところまでしか終わっていないの?」
ときつい口調で言い放ったそうです。
いちいち状況を説明するのもはばかられ、とても悲しい思いをしたそうです。
上司が言う「まだそんなところまでしか終わっていないの?」
この質問に対して忠実に返答するのなら、
「終わっていないの?」という確認なので、
「はい」か「いいえ」でしか返答ができません。
いわゆる「クローズド・クエスチョン」です。
したがって、言われた側は、終わっていなことが事実なので、
「はい、終わっていません」としか答えようがありません。
もしも、そう答えたら、上司は次に何というのでしょうか。
「じゃあ手伝うよ」というつもりだったのでしょうか。
あるいは、
「早くしてよ」とさらに機嫌が悪くなるのでしょうか。
そもそもこの質問の意図は何だったのかを問います。
終わっていないことを聞くだけなら、見ればわかります。
だとすると、言外の意図に、
「時間がかかりすぎている」
「もっとテキパキ進めて欲しい」
を込めた可能性が高い状況でしょう。
だから、おそらく大多数の方が、
それを汲み取って、
「申し訳ございません。急ぎます。」
などと答えます。
なんて、不毛で不幸なやりとりなのでしょうか・・・・
もしも、早く終えて欲しい、もっとテキパキやって欲しいのなら、ちゃんとそれを伝えればいいと思うのです。
終わっていないことがわかる状態で、それを確認するのは「嫌味」でしかありません。
まさにこれは、上司側のいらだちが言外に出た「怒り」の行為です。
指導と嫌味の境界線
上司も人なので、イライラしているときもあるでしょうし、心に余裕がないときもあります。
部下に対して、もっとこうしてほしいという思いがいびつな表現で出てしまうときもあると思います。
こうしたことって、自分でも気づかずに相手に伝えてしまっていることがあるかもしれませんよね。(私は自信をもって「いいえ」とは言えません・・・)
だからこそ、自戒を込めて思いました。
指導的立場にある人は、自分が発する発言にどんな意味を込めたいのかを3
秒でもいいから立ち止まって考えて発するべきだと。
「次の仕事も控えているから、少し速度をあげられますか?」
「いついつまでに終えられますか?」
「何か困っていることはありますか?」
と伝えられていたらどうでしょうか。
指導と嫌味の境界線は、相手の変化を本気で信じているかどうか、思えているかどうかだと思います。
まさに「怒る」と「叱る」の違いも「自分本位の発信」か「相手本位の発信」かによる違いでした。
私も気をつけます。