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「光る君へ」を聞きかじる

大河ドラマ「光る君へ」(作・大石静)にはまってからというもの、滋賀や京都を旅行したり、関連のトークショーや講座を見つけてはあちこち出かけたりするようになった。主催者も登壇者もテーマもいろいろだけど、だいたい最初に皆さん「平安文学なんて、ずっと日の当たらない研究だったのに、まさか大河のおかげでこんなことに」とおっしゃる。ずっと紫式部や清少納言を愛していた人だけが味わえる感慨。それを見てインスタントに感動するわたし。


三田村雅子「紫式部と清少納言」

一番最近行ったのは、国文学者の三田村雅子先生の講座(研究者データベース「researchmap」のプロフィール)。Eテレがまだ「教育テレビ」だった頃に「古典への招待」の講師をされていた方で、「100分de名著」の「源氏物語」回のゲスト講師も務められた。

講座は西新宿の朝日カルチャーセンターとオンラインでのハイブリッド開催だった。エレベーターで10階まで上がってまごまごしていると職員さんが用を聞きに来てくれて、それもすてきだったけど、歩き出したとき、後ろから母と同年配ぐらいのご婦人が「私まで、すみません」と律儀に言ってこられた。わたしと職員さんのやりとりを聞いて教室の場所が分かったから、ということらしい。朝日カルチャーセンターに来た感。来たんだけど。

石山寺郵便局の紫式部ポスト。「今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊恋ひしく…」

講座は三田村先生のユニークな視点と分かりやすい解説、そして重厚な朗読がすてきで(読むとき声が鮮やかに変わる!)、90分あっという間だった。資料も平安才女を網羅した家系図(みんな藤原家傍流の受領階級の出でわりと近い縁戚関係にある)に、才女4人の相関図(紫式部だけが他の3人とほぼ交流ない……)、「源氏物語」豪華本の製作風景、「枕草子」に影響を受けたと見られる「源氏物語」の描写集と、ものすごく充実していた。

清少納言が紫式部の夫・宣孝のファッションをディスった件の解釈が面白い。清少納言の父・清原元輔の不遇と関係があるという。歌人・文学者びいきの花山天皇の代まで、元輔はずっと不遇をかこっていて、自選歌集「元輔集」には、除目またダメだった悲しい、みたいな歌が18首も入っている。その元輔がやっと肥後守になったのが79歳で、5年後に彼は任地で亡くなる。宣孝はこの2カ月後に、ほかの人々を飛び越して出世して筑後守になっていて、清少納言としては理不尽な思いがしたのではないか、という説。

ただ、この章段が書かれたのは宣孝が亡くなった後だったので、清少納言は「あのとき悔しかったな。そんなあの人も、もうこの世の人ではないのだな」という“あはれ”の気持ちで綴ったのではないか、決して悪口のつもりで書いたことではないだろう、という解釈だった。紫式部にも当然それは読めていて、恨みに思ったりしなかったはずだ、と三田村先生は言う。登場人物みんなにきちんと敬意がある解釈だ。

しかし、それなら紫式部はなぜ、赤染衛門や和泉式部のことは基本的に認めながらチクっと欠点を指摘するぐらいだったのに、清少納言のことは悪口ばかりを書いたのか、という疑問は残る。そこには文学者としての葛藤があったと、三田村先生は解釈しておられるようだった。和泉式部や清少納言は年齢も近く、書いたものもその評判もすでに宮中に広まっていて、そんななか自分も独自性を出して戦わなければいけなかった、という意味合い。さて、これはどうだろう。「光る君へ」がどう持っていくのか、楽しみにしたい。

清少納言が枕草子を書いた時期や経緯についても解説があって、知ってはいるけどやっぱり感動する。執筆時期は主に、彼女が道長側のスパイと疑われて出仕をやめて引きこもっていた頃で、長徳の変より後だったが、「胸の中で今も輝き続ける定子への強い思いを“現在形で”書き続け」(手元のメモによれば三田村先生こう言った)、そして道長側につくこともできたのに、給料も出ない、親類縁者をコネで出世させる道も見えない定子のところへ戻っていったのだと。

これに続けて、紫式部は当時の最高権力者・道長という強いパトロンを得て「源氏物語」を執筆した――という、よくある紹介の仕方について先生は「確かに道長はとても強いパトロンですが、強いパトロンがつけばすばらしい文学を生み出せたかといえば、もちろんそんなはずはありません」とわざわざ言った。さらに、源氏の豪華本の製作が終わって彼女が里へ下がったときの心情や、その後に続編(宇治十帖)を書き始める心境を日記から読み解いて「清少納言と紫式部は二人とも、わたしにはバックなんかいないけど、これを書く」、そういう姿勢の作家だったのだと解説された。

清少納言は逆境の中で頑張ったけど紫式部はぬくぬくと――のような対立の構図にしないところがすがすがしい。製本後に里で過ごした紫式部の心情は“昔は気の合う人たちと手紙をやりとりして物語の感想を言い合ったりして楽しかったな、宮仕えに出て自分の書いたものが評判になって、ずいぶん遠いところに来てしまった。私を支えてくれたのは気軽に物語の話ができたあの友人たちだったのに”のようなものだった、という解説がなされた。それでわたしは大好きなドラマ「ブラッシュアップライフ」を思い出し、どこかにしまいこんだカラスのTシャツのことも思い出す。

たられば×渡辺祐真「ぼくらの清少納言・枕草子考」

編集者のたらればさん(Xアカウント)と作家・書評家のスケザネさん(Xアカウント)が、二人がかりで清少納言を愛でまくる会にも現地参加してきた。これはNHKカルチャー。たらればさんは犬だった(Amazonで2000円ぐらいで買った犬耳を装着して登場)。

脱線するけど、「カルチャーセンター」とか「ショッピングセンター」って最近あんまり言わなくなった気がする。「カルチャー」と略した(?)形が正式名称になったり、「ショッピングモール」に置き換わったりしている。中学生のとき香港へ行って、街中で見かけるショッピングセンターの看板表記がそのまま「商業中心」で感動したけど、今はどうなっているんだろう。

仕事で市原市へ出かけたときに撮影した「更級日記」作者、菅原孝標女の像。「源氏物語」をこよなく愛していたことでも有名

NHKカルチャーなので、この講座では大河ドラマにも遠慮なく触れていて“史実と違うと分かっていてもあそこが好き”みたいな話も多く、ドラマ好きとしては楽しい。第21回のナレーション「たった一人の悲しき中宮のために、『枕草子』は書き始められた」で「泣きそうになる」とか、同じ回の二条第火事のシーンに触れて「私の史実はもうあれでいいです」とか、第28回で定子さまが亡くなった悲しさについて「信長や竜馬を好きな人って2年に1回ぐらいこんな思いをしているのか」とか言っていて、清少納言に誠を尽くす忠犬だった。

とはいえ、ヲタクの偏愛トークにはとどまらず、「情報があふれる今こそ、“古典の分厚さ”を味わいたい」という講座を通じたメッセージがあり、聞きがいも満点。読み味の軽い文体、斬新な内容、世に残すための(道長たちにつぶされないための)賢い工夫、「枕草子」のいいところを再確認できた。お薦めの章段なんかは、お二人の解説を踏まえて読み返したくなる。

「源氏物語」との簡単な比較も。源氏はまずあれだけ長いものをじっくり構成して読ませるところがすごい、枕草子は大喜利的な章段も多く、発想力や瞬発力が読み手を引きつける、それは「中関白家カルチャー」なのだ――という解説だった。中関白家カルチャーというワード、なにげないけどとてもいい。素人目にも、あの一家はいっとき隆盛を誇って廃れただけの家には見えないので。

ちなみに講座終盤のQAで“中関白家のバカ兄貴”こと伊周について「あいつ本当はこういういいとこあるとか、何かないんですか」と訊かれて、お二人とも口ごもった挙句に「……ビジュアルはよかったそうですよね」と薄い答えを絞り出すものだから、会場みんな、どっと笑った。その後に、「枕草子」では伊周も当意即妙なおしゃれなやりとりとかをして結構褒められているんだとか、政治的手腕の拙さは父親を早くに亡くして帝王学を施されていないからだとか、フォローがちゃんと入った。

清少納言を大好きなお二人だけど、彼女が庶民を見下していたこととか、ルッキズムがひどかったことにも言及されていた。ただし「清少納言は貧乏人とブサイクが大嫌い。ちなみに『源氏物語』には庶民の姿がほぼ描かれない。スルーに近い。『枕草子』ではときどき出てきて筆者に蹴飛ばされる(あしざまに書かれる)。どちらがより差別なのかは……」という持っていき方で、そこにはやっぱり清少納言愛を感じる。

たらればさんは「人生1勝10敗なら御の字だ。負けてばかりの人生なのだから、負け方と負けた後にどう過ごすかが大事。だから、『枕草子』はためになる」と言っていた。せっかく既読の本だし、そもそもどこから読んでどこでやめても構わないような本だし、これからもっと生活のそばに「枕草子」を置くのもいいなと思った。何かあってため息をつくとき、すぐ開くぐらいの近い関係に「枕草子」とこれからなるの、かえって新しいかもしれない。

大石静&高野晴代「ドラマを支えるもの―『光る君へ』の世界―」

「光る君へ」作者の大石先生(公式ブログ)と和歌考証で携わっておられる高野先生(researchmapのプロフィール)の対談。お二人は日本女子大の同期だそうで、同学OG会である桜楓会が主催するイベントだった。申し込み多数のところ、同学に縁もゆかりもないわたしが当選したので、なんて清潔な運営なのかと思う。あとで寄付させていただかねば。
【追記】寄付したら対談が掲載された会報を郵送してくださった。清潔なだけでなく優しい……!

昨年末から今年2月にかけて、NHK プラスクロス SHIBUYAで「光る君へ」展をやっていた。トップ画像に使った貝合わせの写真もこのとき撮った。NHKプラスクロスは残念ながら来月で閉鎖するそうだ

大石先生は紫式部を主人公にした大河をNHKにオファーされた当初から、高野先生に助けてもらえばなんとかなるかもと顔を思い浮かべていたそうで、実際に第6回で道長がまひろに贈る和歌を相談。すると、大石先生の想定より、高野先生がはるかに真摯に調べ考えてご回答され、それが番組スタッフに伝わった。これはぜひにということでみんなで日本女子大へ詣でて正式に考証・監修メンバーに加わってくれるように依頼し、高野先生が承諾して今に至るそうな。なれそめがもう歴史ドラマっぽい。

和歌考証だけでなく、ドラマの中で和歌や書物が原文ではなく現代文で読まれるところは全て高野先生が新たに訳しているという。大石先生がそれを「すごいでしょ、贅沢でしょ!」と言っていた。

高野先生の著書をわたしは1冊だけ持っていて「源氏物語の和歌」(笠間書院)というのだけど、わたしの好きな花散里の一首を解説するなかで、源氏と花散里の歌のやりとりはいつも花散里から始まると指摘されていた。殿方の訪れが間遠でも、そうやって自分から詠みかけるなんてエネルギーの要ることをする花散里のやさしさが、源氏の信頼を獲得したのでしょうという解説に、深くうなずく。花散里像とても一致。

ばったん先生の特大帯がつくのは、ほかに「和泉式部」がある。「清少納言」にはつかない……

高野先生は台本からドラマが「立ち上がっていく」さまに感銘を受けている、この考証の仕事に刺激をもらっているということを、何度も言っていた。ここからまた意欲的な解釈で新しい本が出てきそうだ。

京都の風俗博物館で撮影した花散里さん

大石先生はなんでもポンポン好きなことを言う人に見えて、実は周りを立てながら仕事をされる方だなと思う。いくつか、自分が書いた以上の出来栄えになったと感じるシーンを挙げたり、俳優さんの演じぶりを称えたりしていた。例えば、こんな感じ。

「道長とまひろが廃邸で結ばれる展開について私が『廃邸なんて埃っぽくて嫌だ!』とブーブー言ったせいか、黛りんたろう監督が廃邸の屋根を抜いて、二人のいるところに月光が差し込み、銀粉が舞う演出を考えてくれた。台本の10倍にもなった」(会場を出てからのメモなので、この通りの言い方ではない・以下同じ)

「宣孝がまひろに『お前が生む子はわしの子じゃ』と言うシーンは、佐々木蔵之介の芝居がよかった。私の台本もよかったけど、何倍もよくなった」

「紫式部は“心の闇”を描きたかった人で源氏物語にその言葉が何度も出てくる。吉高由里子は陰と陽の両面を持った人。テレビでは明るいけど普段の彼女はどちらかといえば陰なので、紫式部の気難しさも表現できると思った。吉高だから、黙って空を見つめても心情が伝わるシーンになる。並みの役者がやったら『何しているの?』ということになってしまう」

「書いているときは、道長もまひろも、こんなに月ばっかり見上げて、視聴者が飽きちゃわないかしらと思っていたけど。毎回、このときの月が下弦なのか上弦なのか満ち欠けまで考証して、宇宙専門のカメラマンが麗しい月を撮ってくる。さすがはNHK。大河は日本で一番お金がかかっているドラマ」

今後については「連ドラはやることがなくなるのが一番の悪夢だから、前半飛ばしすぎずにいたら、後半にやることが盛り盛りになった」ということなので、決して間延びしたりせず、ぎゅぎゅっと濃密な、あるいは怒涛の展開が見られそう。「清少納言の悪口を紫式部が言った、それは日記に残っていることなので、逃げずにやります」と宣言されて、清少納言ファンとしては少し心配、たっぷり楽しみ。

最後のほうで高野先生が“今後もお楽しみに”的に煽ろうとして優しいソプラノボイスで「いろいろ死にますので」と言ってしまったのが可笑しかった。大石先生は「長く付き合った登場人物が亡くなるときはやっぱり悲しくて、書くとき、お線香焚いたりしているんですよ」と言っていた。ちょっと意外な感じもして、一番これが印象に残った。

大石先生は日経新聞の土曜版で人生相談の当番をされていたときも(いつからか降板されてしまって寂しい)、回答の中で「人生は基本苦しいもの」と繰り返してこられたけど、この日もそれを言っていた。

「生きていることは基本苦しいです。しんどいことのなかに、ちょこっといいことがあって、それを励みに次のしんどいことを生きていくっていうのが人生なんじゃないかな。紫式部もその視点ですよね。生きていることは悲しい。それを書きたかった人だと思います」

廬山寺の入ってすぐのところにこの像がある。本人が知ったら嫌がりそう

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