その「利他」は、健全なのか?不健全なのか?
「お前には利他の精神はないのか?!」という呪縛
社会人を迎えてすぐ、当時の上司から「お前は人に対して優しくない!」「もっと人の喜ぶことに有難く仕事が出来ないのか!」と良く叱られたものです。
サービス業に関わっていた私は、人のお役に立つこと、人が困っていること悩んでいることを解決することを仕事にする立場にいながらも、自分可愛さ故踏み込めない幼稚な部分があったり、若さ故に能力が乏しくマルチタスクが苦手で、仕事を受ける怖さ(業務遅延や失念で怒られる)がありました。
よって若い時期は、この言葉で良くお叱りを受けたものです。
社会人に限らず、経験を積み重ねる年数を過ごすうちに、出来なかった事が出来るようになる等、自分自身が成長を感じられる程、沢山の未経験業務を与えて頂けた事で、「もっとより多くの仕事を覚えたい」「もっとより多くの人に貢献したい」という気持ちが沸き立ち、30歳を目前にして、とにかく目の前に映った仕事を取り組む姿勢に身を置けるようになっていました。
それが楽しく、複数の仕事を掛け持ちし、能力を試すかの様に仕事に没頭している内に異変が起きて来ました。それは、同じように「お前は人に対して優しくない!」「もっと人の喜ぶことに有難く仕事が出来ないのか!」と言われ始めたのです。
当時、「お前はまだまだ上に行ける」「お前の限界はこんなもんじゃない」そう言われているような気持ちになり。更に応える為に、休日返上は当たり前、プライベートよりもビジネスを優先し、友人や家族との時間を削り始めました。更に、まだまだしたことない仕事に手を出し、深く学習する為にも時間を削り始めました。
ある時、体調に異変が生じ「ここが自分の限界かも知れない」というところまで来てしまいました。そんな時、「お前は人に対して優しくない!」「もっと人の喜ぶことに有難く仕事が出来ないのか!」「利他を知れ!利他を!」
またしても言われる事に違和感を抱きながらも、これを断ると「こいつは利他の精神が無い」と思われるのが嫌で、毒を食らわば皿までもの精神で、限界突破を意識し、更に一歩前へ踏み出し始めました。
すると周囲からこんな声が聞こえてきました。「お前、利用されてるだけやで」「もう十分やろ」と、そんな言葉に「人の役に立ててこそ利他」という信念が芽生えていたのでしょう、その言葉に猛烈に批判しました。
友人は去りました。
家族は呆れていました。
批判したことで自分のギアが更に加速し、体調不良を起こしても出社し、有給を使う事もなく、寝る時間を惜しみ、常に「利他」「利他」「利他」と心に念じる様になっていました。
笑顔が消え、人間らしさが薄れ、友人や家族との楽しい思い出作りもなく、ただ「利他の精神がない」と言われたくない一心になっていました。もっと言えば、叱られたくないという想いになっていたように思います。
そんなある日、周囲に言われました。
「今、何が楽しいの?」
考えた事が無かった質問に言葉が出てきませんでした。
そして続けてこう言われました。
「朝から仕事して、終電まで仕事して、休日も仕事して、それでお給与変わらないで、何を愉しさに頑張れているのか不思議」って。
その時になって「ハッ」とさせられました。
自分は、自分の人生で楽しい事も見つけられず、体を壊しながら、利他な行動をしている自分でいることが「美学」と思っていて、更に言えば、そんな美学を持っている自分がただ好きなだけだったことに気づいたのです。
日本人は、人のお役に立つ精神性が強い国民性だと思います。
しかしながら、一人ひとりの人生の豊さはもっと大切なことだと今はそう思っています。そして、そんな精神性を利用する人もいるということも知りました。
だからこそ私が言えるのは、自分を犠牲に苦しめてしまうような「利他」は、真の「利他」ではないと思います。相手も自分も幸せで豊かであれることが真の利他だと考えます。
利他には2種類存在します。
「健全な利他」と「不健全な利他」この指標を持って、人と大切に関わって頂きたいと思います。そして、「利他」という言葉のトラップにかからず、自分を見失わない客観性を養い、一人の人間であることを忘れないで欲しいです。
「不健全な利他」だと感じることは、断ってもいいんです。
あなたの人生が豊にならないのであれば。
より良い人生を送るためにも。
著作
44310(SISISANTO)
代表 森川慎也
普段メディアに登場されない上場企業経営者様の取材動画の収録費用に活用させて頂き、多くの方々の学びの機会提供に活かして参ります!サポート頂けると幸いです😊